#2【日記のようなメモ】毎日何かしらネットで情報を発信している理由のようなもの。

なぜか、日記のようなメモをはじめた。なんでだろうか。この5年くらい、なるべく自分からの発信はやめて、組織の仕組みとしての発信に切り替えようと思い、会社内の情報発信には、なるべく関わらないように工夫してきた。そして、それも今は続いている。

しかしながら、まだまだ規模もそんなにない会社で、そんな仕組みとか言ってる場合でもないかなとも最近思い始め、もう一度、自分のメディア化みたいなこともやってかないとなーと思い、少し情報発信をはじめている。しかしながら、ものづくりとかの情報をあんまり入れていくつもりはない。いや、気がかわったら、わからないけど。

とりあえず、毎日、やれる範囲で、日記のようなメモを書いていってみようかなとも思う。

社会人になって12年ほどが経とうとしている。僕は常に何か発信はしてきているが、なんで発信しているか?というと、よくわからない。でも、ネットにない情報は存在しないと思われている現代において、自分が毎日日々、仕事をしている営みのようなものを、ネット上にプロットしていかねば、社会との接点をうめないのではないか?と大学の時に思い始めたのがきっかけかもしれない。

大学のころは、ミクシーに、大学卒業するくらいにはフェイスブックとかツイッターに、インスタグラムが出てきたらインスタグラムに。とりあえず、どこでもフォーマットはよくて、そして、内容も意外になんでもよくて、とりあえずパソコンとかスマホに向き合い、1日に1回書くというルールだけを決める。

インスタでいうと、日々とった写真を眺め、絵日記のように何か思いついたことを書く、ほんの五分だ。今ノートを書いているが、とりあえず、何を書くかは決めたり決めなかったりして、仮タイトルとか決めて、書き始めてみる。書いていたら、なんかテーマが変わったりしてくるので、そしたらタイトルを書き直す。

そんなこんなで、ある程度の文章量になったり、自分が書くのを飽きてきたら潔くやめる。

いや、これは、発信をするために書いているのではなく、ある意味で、僕にとっての筋トレのようなものかもしれない。特に誰にみて欲しいということが明確にあるわけではないけれど、誰かに見られるということ前提で、文章と思考を、少しずつアウトプットしていくことに、筋トレ的な要素がある。

筋トレといっても、僕の中では大きく2種類あって、一つ目はハードに筋肉量を増やしていくための筋トレ。もう一つは、筋肉や体力が退化しないための維持するための適度な運動のような筋トレ。僕にとって、毎日ネットに触れながら、なおかつ更新していくいことは、社会との接点をもつこと、発信することで、発信者の心理を理解すること、そして、いろんな発信を眺めることで、社会がどのように流れていっているかを、体感的に把握していくということ、そんな複合的な意味合いがあるのかもしれない。

この12年くらいで「どうやったら発信がうまくできるのですか?」「情報発信ってどうするんですか?」とたくさん聞かれてきたけど、みんな、ちゃんとしすぎようとしているのだとは思う。

僕はご覧の通り、言語脳ではない、あくまでも口語的な脳だから、厳密に言語にすごく強いわけではないが、思いついたことをベラベラタイプすることはそんなに苦痛ではない。いろんなタイプがいると思うが、自分にあったやり方をすればいいと思う。とはいえ、誰でも発信した方がいいわけでもないし、進めているわけでもない。

ただ、僕たちの会社は「伝える」ということが一つの大きな命題としてあるなかで、インターネット上、そしてリアルな世界においても、発信する、言語化する、口語化する、概念化するという、変換・編集機能は、必ずといって必要になることだ。これは、ある程度の訓練であり、習慣であり、癖のようなものだと思う。

終わり。どれくらい、この日記のようなメモが続くのか楽しみだ(自分のことだが)。

結局、無理して書いていたら、自分のライフスタイルとあっていないということだから、やめることになるだろう。続いていけば、自分のライフスタイルとあっているということ。それだけでしかない。続けばいいし、続かなかったら、違うやり方を模索すればよい。明日地球環境が劇的にかわっているかもしれないし、外的要因で続けられないことが出てくるかもしれない。

あんまりプレッシャーを感じずに、毎日を一生懸命取り組むのが大事だけど、人間はあらゆる言い訳をしながら、自分の行動を制限している。

終わり。

本質的な地域文化の継承を。