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【本紹介】世界は困難だ。それでも美しい。

 どうも。ネットの海を渡って、今日も開店する自由気ままな架空の書店、電子書房うみのふねにお立ち寄りいただきありがとうございます。

 今日は2冊用意しました。どちらも最近読んだものなのですが、とても良かったので、ご紹介します。


 一冊目は、こちら。

子どもが豊かな条件で教育をうけている国がある一方で、践祚や自然災害のために教育どころではなく、筆舌に尽くしがたい悲劇に押しつぶされながら生きる国々の子どもがいる。子どもの幸、不孝は大人のつくりだした悲劇の犠牲者になってしまうからだ。つまり子どもは大人の社会のきわめて克明な鏡なのだと思う。また物質的に豊かな国の子どもの中には近代科学に翻弄され、また大人の欲望の餌食となり、キラキラ輝く瞳を失っている者も多い。

 田沼さんが文化勲章を受章されたことを記念して創られた写真集。

 上記は、三章から成るこの本の、第三章の冒頭に寄せられた著者の言葉の抜粋であり、個人的に特に印象的だった部分です。

 本書には、全部で210枚の写真が集められており、全て白黒の写真です。濃淡で表される影と光。そしてその中にある子どもたちの笑顔・光、貧困・影。

 日本も含め世界中の国々に足を運んで、シャッターを切られていったその刹那たち。しかし、どれだけ遠くても、どれだけ生活形態が異なっていても、子どもというのは常に希望を内包しており、同時に困難もありありと示すということが伝わってきます。今にも子どもたちの声が聞こえてきそうな生々しい写真には、思わずこちらも笑顔になるようなきらめきもあれば、締め付けられるような痛々しさもあって、どちらも真実であることを伝えてきます。

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 この左の子のおどけた顔が好きです。

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 時にあまりにも壮絶な困難な中で、希望を持って生きている。

 どの国にも子どもはいて、子どもがいなければ、世界は滅びていくだけ。そして私たちも、子どもであった時代がある。大人になった私たちがすべきことは、なんなのか。

 グローバル化が進んで国境があるようでなくなってきている現代だからこそ、国境を越え海や山を越えた先にはどんな世界が広がっているのか、どんな人がいて、どんな文化があり、どんな生き方をしているのか、知るべきなのだろうと思います。知らなければ、理解は難しいから。写真や絵は視覚で明確に訴えかけてくるので、自身にあるもとの基盤が鍵となる文章では及びにくい、内面に素直に広がる自分の感想に耳を傾けやすいように考えています。

 知る、そして考えさせられる写真集です。ぜひ、本屋でも図書館でもいいので、開いてみてほしい一冊。


 二冊目は、こちら。

 貧困に喘ぐ世界をありのままに書くノンフィクション作家の代表格である石井光太による新書。「物乞う仏陀」や「地を這う祈り」、最近では3.11直後の震災現場を書いた「遺体」があらゆる意味で話題になりました。私は「絶対貧困」で知って以来いくつか著作を読んでいますが、現場に赴きその最下層現場に住み込んで現状を描きぬく筆力には、毎度頭の上がらない思いです。

 石井光太の好きなところは、小難しく練られた文章ではなく非常に読みやすい文体であることも勿論なんですが、ありありと絶望を書きながらも、突き放しすぎない、絶望の中にある光に着目しているところです。その石井光太の深く優しい、そして強い内面性を凝縮したのがこの新書です。

 なぜ人間は希望を必要とし、しがみつくのでしょう。それは、人間がそれでも生きなければならない生き物だからです。命を受けた以上、人間はどんな境遇にあっても生存本能で生きていこうとします。しかし、絶望だけでは人間は前へ進んではいけない。そのために「小さな神様」という光をつくり上げるのです。

 この著者の言う「小さな神様」という概念。そこに善悪は無いということを繰り返し伝えてきます。

 たとえば、生まれながらにして物乞いを続けてきて、同情を誘うためだけにマフィアに手足を切断された子どもが、「遊んでくれる・ごはんを食べさせてくれる」からマフィアを庇うということ。そのマフィアもまた、子どもであった時にマフィアに捕えられ傷つけられてきたということ。お尻に小石を入れられて喜ぶ小児愛者を、「あたたかく抱きしめてくれる」から好きだということ。売春婦がお金を貰わずに毎日男に抱かれるのは、「戦争の銃撃音や爆発音が恐くて、男性に抱かれていないと絶えられない」からということ。

 物事には多面性がある。ある一面からは悪だとしても、別の一面からはそうだとは言い切れない。正しさも、間違いも、すべて言い切れない。それは貧困という根深いテーマに限らず、私たちの身近な生活でもいえることだと思います。決して、遠い世界の話ではなく。

 国境線が薄れていて、ネットを通じて簡単に人と繋がれる現代だからこそ、私たちは意識的に「良い方向」を目指していく必要がある。

 その「良い方向」って、なんなのだろう。

 困難な現実を変える力がドキュメンタリーにはあると、著者はあとがきで語ります。

 著者の気迫と熱意にあてられてのめり込んでしまう本。なぜ彼が、貧困の最下層の世界へ直接足を運ぶのか、その理由と、その世界を歩きながら著者自身がその理由と感動を深めていく過程、そして、壮絶なドキュメンタリーから何を伝えたいのかを書いています。

 これを読んだ私たちが、何もその最下層の世界に行けと言っているわけではないし、なかなか誰もが行ける世界ではないからこそ、その実情を知ることができる媒体がどれほど貴重なことか。それは彼の本に限らず、あらゆる本や映像作品等に言えたことなんですけどね。まだまだ、私自身も知らないことなんて無限にあって、考え尽くせていないことばかり。きっとみんなそう。

 何故物事を知る必要があるのか。

 現時点、私が思うに、世界というのは結局のところ個々人の集合体であり、たとえたった一人の個人が少しものを知って考えを変えたり深めたからといって、当たり前ながら突然大きな世界の流れは変えられなくても(貧困だったり差別だったり本当に様々)、個々人が変わらなければ、世界は変わることができないから。そして個人にもそれぞれの思考・宇宙が広がっていて、それを変えたり深めることは、個人の人生をより豊かにしていくことに繋がると思うから。世界と個人は、同一だと思うから。

 石井光太は、全員が全員、世界を変えなければならない、と彼のように行動しなければならないと言っているわけではないのだと思う。

 ただ、「良い方向」はどちらなのか、判断するために、人は知る。彼の「世界がひっくり変えるほどの感動」の波が、目に見えぬ誰かに伝わって、それが更に余波として広がっていくことを祈っていると思うのです。その中で、行動に移す人が出てくることに、喜びを感じながら。

 なんだかだいぶ長くなってしまったんですが、良い本です。彼のノンフィクションを読んでいなくても伝わるものはあると思うし、読んだら著作を読みたくなる。私も読んでいない作品を読みたいな。熱意や現実が凄まじいだけにどうしても読むには多少なりともエネルギーが必要になるんですけど、それだけに得るものは大きいのです。

 彼の作品を好きな方にはぜひぜひとも読んで欲しい一冊です。


 ちょっと熱がこもりました。写真という側面と、文章という側面から選んでみました。

 なかなか単純ではない時代に生きていて、自分の生きてる意味も意義も見出しづらいときもありますが、そういうときに指標となるものが一つでもあれば、助けになるんじゃないかな。

 今週はここまで。立ち寄ってくださり、ありがとうございました。

 また来週の日曜日、ご縁があればどこかの海岸でお会いしましょう。

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