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いつか来る子離れの予行演習

 2005年の3月9日、小学生の私は『今日や!』と父に言った。レミオロメンの『3月9日』のCDを指して。その時のことはよく覚えている。

 2007年の3月9日、中学生の私はアコースティックギターで3月9日のアルペジオを弾いていた。ギター部に入っていた。
 同じ部活の友人が「『3月9日』は結婚式のために作られた曲なのに、卒業ソングとして扱われてるのが気にくわない」と言っていた。中学生は曲がったことが受け入れられない年頃だった。その友人は結婚し、離婚した。

 2011年の3月9日、高校生の私は卒業式で『3月9日』を合唱するはずだった。でもキラッキラの高校生活が終わるのが本当に寂しくてさみしくて、式中涙が止まらなくて歌えなかった。
 翌日、大学に落ち、その翌日、東日本大震災が起こった。自分のことがショックで、また関東〜東北にゆかりがなく、地震も津波も画面の向こう側の出来事だった。 

 2012年の3月9日、一浪して大学に合格した。一人暮らしの物件を決めて、家を出た。京都での楽しい一人暮らしライフが始まった。

 2018年の3月9日、「溢れ出す光の粒が」鴨川越しに部屋へ入ってくるなか、今度は京都を離れるのが寂しくてさみしくて、泣きながら荷造りをした。

 そして2024年の3月9日、1歳半の子どもとボールを蹴って遊んでいた。


 私が「今日や!」と言った日から、父は毎年3月9日に娘の成長を感じていた。小学生が中学生になり、高校生になり、大学生になり、ついに2012年の3月9日には娘が家を出ることになった。

 私自身はずっと一人称で3月9日をたどってきたので、何とも思わず「やったー念願の一人暮らし! しかも京都! わーい!」というテンションだった。その隣で父は何を思っていたのか――親の心子知らず。今まで親がどう感じていたか、考えたことがなかった。


 今目の前にいる1歳半の子も、いつかは私と離れる日が来る。

 今は、ご飯も準備してあげないといけないし、おむつも替えてあげないといけないし、着替えもハミガキもお風呂も遊びもお散歩も全部親がやってあげないといけない。大きくなったとはいえ、まだ生まれてから1年半しか経っていない。

 この子がいつか大きくなって、私がしてきたみたいにいろんな感情を経験するのかな。泣いたり、起こったり、笑ったり、親に言わない秘密を持ったり、親に言えないようなことをしたり、親にバレたり、親の知らないところで生きるようになる。
 そもそも今でさえ、保育園に行っている間のことはわからない。本音を言うと定点設置カメラでずっと様子を生中継してほしい気持ちもあるが、きっとわからない方がいい。


 3月9日の思い出は、いつか来る子離れの予行演習。今一緒にいる時間を抱きしめてあげたい。


≪終わり≫

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