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「世界は自分の目で見てたしかめたい。」20歳で休学してアフリカで小学校の先生をした話 岡村ナナ



岡村ナナ 2017年8月カナダの公立学校へ高校留学。 2018年7月1年間の高校留学を経て帰国。 2020年3月跡見学園高等学校卒業 。2020年4月武蔵野大学教育学部教育学科入学 2022年4月大学三年次休学し、アフリカへ渡航。

現在、武蔵野大学教育学部教育学科に通う3年生。
2022年4月から3ヶ月間は南アフリカの小学校教員としてインターンシップに参加し
7月から3ヶ月間はガーナの小学校、そして10月からは再び南アフリカに戻り同じ小学校で教員をした経験をもつ彼女。

日本人ゼロの環境で出会った様々な光景や人。
アフリカの地で現地の人に囲まれながら生活したからこそ見えてきた、学校教育や文化のリアル。

全国の20の学校と、2000人以上の子どもたちに伝えてきた彼女の想いとこれからの展望についてうかがいました。


【アフリカでの体験を雑誌にするため、現在クラウドファンディング中!】



教科書のコラムで見たアフリカとの出会い

好きな事はスノーボード、旅、そして人と会う事。
ヒッチハイクや野宿が趣味のナナさん。

そんな彼女が教育大学をを選んだきっかけは小学生の頃にあったと話します。

「小学校の時の社会の教科書に、JICA海外協力隊の方のコラムがあったんですね。それを読んだときに、うわぁかっこいい!と思って。いつかアフリカの小学校で先生をやりたいな、と思ったのがきっかけです。
その後、アフリカで先生をするためには、日本で数年実務経験を積む必要があると知って教育大を選びました。」

「今振り返ると、昔から自分はやりたいと思ったことや目標に向かって挑戦するのが好きだったんだなと思います。当時小学生だったので、まだしっかりとした目標がなくて。
そのコラムを読んだ時、ただただ惹かれたんですよ。こんな選択肢もあるんだなぁって。
その時に感じた直感に向かって、突き進んだという感じです。」

「高校生のときに交換留学を経験して、大学でも一年間は自分の力で海外に住みたいという気持ちがありました。どこかのタイミングで休学したいというのは確定していたのですが、当時の私が知っていた『海外に行く方法』は、留学かワーホリ(ワーキングホリデー)だけだったんですね。
留学は高校生の時に経験したので、挑戦するならやったことのないワーホリかなと考えました。」

大学2年生も後数か月となった頃、海外へいくために準備をしていたナナさんでしたが
コロナ禍で思うように事が進まないという事態に。

「その頃、私の行きたかった国はヨーロッパのエストニアでした。でも、コロナでビザがおりなくて…。どうしようかなと考えていた時、海外に行く方法としてインターンボランティアという選択肢があると知りました。

そこで、『Africa Asication internsip』で調べてでてきたのが今回のインターンでした。本当にたまたま。」

アフリカでインターンをするのが決まったのは、休学の4ヶ月前だったそうです。

初日から担任に!?南アフリカでの小学校教員生活

2021年、南アフリカの小学校でのインターンシップがスタート。
「私以外は、全員現地人という状況での生活が始まりました。ジンバブエからの移民の生徒が多い学校で、私だけ肌の色が違うような。そんな環境でした。

私が在籍していたのは、全校児童120人、教員が5人。6歳から13歳の子どもたちが通う、教室が5つしかない小さな学校です。

インターン生というのは本当に名前だけで、いきなり先生をぼんとやらされた感じでした。(笑)
初日に、急に授業したい?と言われて、何の準備もないまま『ここやって』と言われて、授業をすることになりました。
最初はびっくりしましたけど、その自由な感じがおもしろかったですね。」

複式学級の3、4年クラスに入ることになったななさん。

「高校生の時に交換留学をしていたので、英語でのコミュニケーションには問題はなかったですが
先生として小学生に指示をするとか、教員の専門的な単語は全然だったので…。
最初は調べながら試行錯誤して授業をしていました。

でも実際にやってみて、言語は重要ではないなと感じました。英語が喋れる喋れないに関わらず、教壇にたつ人が熱意をもってやっていれば、子どもにもそれが伝わるなと。」

「最初の授業は、単位換算の算数の授業でした。
教科書をぼんと渡されて、どこでもいいよ好きなとこやってーと言われて。
南アフリカの学校って、カリキュラムが存在しないので。

先生の気分ではじまって、終了して
今日ここまでやるとかも決まってなくて。本当に自由な感じ。

朝、だいたい8時から8時半くらいに子どもたちが来ます。適当に集まってきたら先生のタイミングで授業が始まって、
時計が存在しないので先生の体内時計で一時間ずつくらいですかね。

先生が5分か10分説明して、そのあと問題を黒板に10問くらい書いて30分くらいかけて解かせる感じです。その間、先生はふらふらしたり、外に散歩しに行ったり。

先生が帰ってきたら答え合わせをして、問題を直す習慣はないので、何問中何問あってたね
はい終わり。っていう本当に自由な感じでした。

そのあとは、お昼ご飯のお弁当を食べて12:00~13:30二コマくらい授業をやって、13:30以降は放課後ですね。」

旅行客と協力し、学校に知育玩具を寄付

南アフリカの自由な校風を楽しみながらも、ある課題を感じていたそうです。

「授業が13:30に終わると、そのあとは帰りのバスやお迎えを待つ時間になります。遅い子だと17:00ごろまで。
人によっては、4時間くらい空白の時間が生まれるんです。

校庭もないし、教室も4つしかない。治安が悪いから外に出るという選択肢もないし
教室で暴れまわったら先生に怒られる。
静かに待たなきゃいけないけれど、勉強するものも本とかもない。

その時間が、本当にもったいないなと感じました。」

その時間、せめて何か学びになるものを導入できないかと考えたナナさん。
日本からきた旅行客と一緒に知育玩具を学校に置くクラウドファンディングをすることを決意したそうです。

「最初の数か月は、生活と学校に慣れることに必死でした。でも、半年くらい経ったときに、この経験を自分一人で留めておくのはもったいないなと思い始めたんです。

日本から南アフリカに来る人の多くは、駐在員だったり旅行客だったりが多いです。お金があるからご飯は美味しく食べられるし、海も山もあって自然豊かで、南アフリカって良い国だな〜って思って帰る方がほとんどだと思います。

でも私は、数日の旅行だけだとどうしても良い面しか見えないなと思うんです。
影の部分は見えないまま帰ってしまうことが多い。

ローカルで過ごしているからこそわかる、裏の部分も知ってもらえたらと思って最初は学校のツアーを企画しました。
SNSで興味のありそうな人に片っ端からDMしたら、30人くらいの人が来てくれて。

そのツアーに参加してくださった方が、放課後の様子を見て
「一緒に何かやろう」と声をかけてくださった事がきっかけで知育玩具のクラウドファンディングをすることになりました。」


企画したクラウドファンディングで、30万円が集まり、そのお金で放課後に楽しみながら遊べるおもちゃを購入して学校に寄付したそうです。

その土地に住むからこそわかるローカルの良さと課題

「やっぱりその土地に住んでみないとわからない事ってたくさんあると思います。
特にその地域での人種差別の問題は
ローカルに溶け込んで、現地の人に聞いてはじめて知ることができました。

南アフリカと聞くと、私はアパルトヘイトが思い浮かびます。南アフリカに来る前、それは解決されたと聞いていました。

でも、現地で暮らしているとそれは名目上解決されたと言われているだけでその土地に根強く残る問題なのだという事がわかりました。

黒人と白人で食べるものが違う。行くスーパーやレストラン、通う学校、すべてにおいて違う。

他の国でも人種差別の問題がある地域はありますが、南アフリカではこの”差別の距離”がとても近いと感じました。
白人が住む豪華な家と黒人のトタン屋根の家がすぐ隣に並んでいたり、
目の前で一緒に歩いている人も、黒人同士か白人同士だったりとか……。
顕著に現れているのが、南アフリカ特有なのかなと思いました。」

人種差別の文化がある地域に住み、自身の価値観を見つめなおすきっかけにもなったと続けます。

「やっぱり、そういう文化のある南アフリカにいると人種差別に敏感になっている自分がいましたね。

アジア人=中国人という認識があって、中国人に間違えられることがよくありました。
どういう意図があるのかわからないけど、釣り目の真似をされたり、『チャイナ!』と言われたり。
でもそれって、ただアジア人が珍しいから、いわゆる自分たちの肌の色とは違う”黄色人種”と関わりたいだけじゃないかなぁって。

そして、もし私が『チャイナ』と言われて嫌な気持ちになったとしたら、それは私が中国を良く思ってないということに繋がるんじゃないか、と思いました。

仮に悪意をもって、そうやって話しかけてきた人がいたとしたら、それは歴史や社会的な背景などの教育をしっかり受けて来られなかった、知識がないからこそ言ってしまっていたんじゃないかなと。これが南アフリカのリアルなのかなと感じています。」

南アフリカからガーナの村へ。想像していた生活と想像以上の整備された学校教育

3ヶ月間、南アフリカの小学校で過ごしたナナさん。
その後、ガーナに渡ったと言います。

「そもそもビザの関係で南アフリカに滞在できるのは3ヶ月と決まっていました。最初に訪れた南アフリカは特殊な国で、アフリカでもなくヨーロッパでもなく、唯一無二の不思議な都市だったんですね。

私は、いわゆる想像するようなTHEアフリカの生活を体験したかったので、ガーナにある村に行くことを決めました。」

ガーナでも小学校の先生としてインターンシップを行なったと言います。
実際に訪れてみて、想像と異なっていた世界を見たと感じたそうです。

「南アフリカにいたときは、来る前はガーナって完全な”発展途上国”だと思っていました。
たしかに生活は、『電気も水も無い』みたいな、想像していた景色が広がっていましたが、
学校教育に関しては南アフリカにはなくてガーナにはあるものがたくさんありました。」

ななさんが訪れた学校では、しっかりとしたカリキュラムや時間割があり、定期テストでの順位付けもされるなど、日本とよく似た形の教育が成されていたとのこと。

「体育、図工、音楽などの教科もありました。テキストが一人一冊国から無料で配布されていて、校外学習もあって……。日本と変わらない質の高い教育が確立されていたんです。

それを通して、情報を自分の目で確かめる事の重要さを改めて感じました。
たとえニュースや授業で得た情報だとしても、それが正しいとは限らないな。と。」


「日本人の私だからこそできることがしたい。」再び南アフリカの小学校へ

ガーナの小学校で3ヶ月過ごした頃、ナナさんの心境に変化が出始めたと言います。

「アフリカで教員やるという目標でここまできたけれど、”日本人の私だからできること”がしたいなという気持ちが湧いてきました。

ガーナはもう何も手を加えるところはない…というか。
南アフリカの学校では、より改善できる可能性が広がっていたように思います。
だからもう一度、南アフリカの小学校に戻ることを決断しました。そこで、私にできることをしよう、と。」

再び南アフリカのに戻ったななさん。
出来ることから、様々な取り組みを実施していったと話します。

「私が行なったこととしては、図工体育日本語の授業の実施です。そして、知育玩具を学校に導入し、先生がいない時でも学びが起こるように工夫しました。

そして掃除も子どもたちと一緒にするように変えました。今までは、先生が掃除をしていたんですね。本当に基本的なことだけど、一緒に取り組むことで掃除の方法も覚えることができます。
教科書に書いてあるような勉強ももちろん大切ですが、生きていくうえで大切なこと、必要な知識をもっと伝えていきたいと思いました。私たちが、小学校時代に学んだような生活するための知識です。」

日本の教育をそのまま導入したいというわけではないんです。
数か月前にぽんときた私のような外の人間が、南アフリカでずっとやってきた教育を変えるのってどうなのと思ったし、現地の人からすればいい迷惑かなという気持ちももちろんあります。

でも、やっぱりカリキュラムも科目数も少ない学校の現状を見ると
自分が何を好きかもわからない、チャンスやきっかけすらも与えられない環境ってすごく閉じられていてもったいないなと感じたんです。

体育やれば運動が得意になるから、とかではなく、学べる機会があればあるほど『自分の好きを見つけられるきっかけ』に出会えるようになる。

そして、日本のすべてをマネするというよりも、最低基準の学びの場を提供したいなという気持ちです。必要最低基準の教育の良い部分を導入したい。

南アフリカでは、黒人と呼ばれる人の職種が、『白人のお手伝い』とか『バスの運転手』とか月に3万円程度しか稼ぐことができないものばかりなんです。

毎日ごはんを食べるので精いっぱいで、それ以上の生活はできないというサイクルがあります。知識や技術を学ぶ環境が無いと、そこから一向にぬけだせない。
私はこれを改善したいと思いました。」

経験を伝える雑誌を制作するためのクラウドファンディング

現在はアフリカから戻り、この経験を伝える活動に力を入れていると言います。

「今やろうとしているのは、この経験を記した雑誌制作です。帰国後、自分が得た知識や知見を多くの人に知ってもらうために学校で講演活動を始めました。お話させていただくことで、良い意味で興味のある人にも無い人にも届ける事ができた実感があります。その経験を通して、今度は『興味関心のある人の心に刺さる、より濃い内容と想い』を届けたいと思うようになりました。

現地の子達に色んなことを教えてもらったので、この経験を自分だけで留めるのはもったいない。次の誰かに伝えたいなって…。

今度は、この経験を雑誌という形で残していけたらと考えています。」

【2023年7月7日からスタートするクラウドファンディングのこちらのサイトから雑誌購入できます▽】


「クラウドファンディングで募ったお金の一部は、アフリカの小学校に寄付する予定です。私を通じて、アフリカの現状を知ってくれた人の気持ちや行動が現地の子どもたちの幸せに繋がったら嬉しいなと思います。」

「今後も、アフリカにはずっと関わっていくと決めました。
今回は本当に私一人だけの活動で、やってみて正直自分だけでやれる限界も感じたんですね。だから、次はビジネスとしてアフリカに拠点を置いている企業や、日本の良さ、日本の品をアフリカに届ける活動にも関わっていきたいと考えています。」

「新しく何かをするとか、人と違う事をする時ってとても勇気がいるし
なかなか一歩踏み出せないこともあると思います。でも、行動することで、見えてくる景色がある。

やりたいことがあったら、まずそれを口に出すことが大事だと思います。自分自身が動くプレッシャーにもなるし、自分が語ることでそれを応援してくれるファンも増えていくと思う。だから、今何かやりたい事がある人はどんどん行動してほしいです!」

これからも、”自分の目で見て、体験する。確かめる。”を大切にしていきたいと語ってくれました。

編集後記
お話する姿から、ななさんの飽くなき好奇心とパッションが伝わってきました。『社会が変わってくれない』と嘆くのではなく、自分がまず行動することに意味があると改めて感じるインタビューでした。南アフリカ、ガーナ、そして日本。どの国にもそれぞれの良さと課題があると思います。ななさんの見た景色や、そこで得た想いがたくさんの人に伝わることを願っています。
ななさん、貴重なお時間ありがとうございました。
(インタビュー・編集・イラスト By Umi)


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