見出し画像

【考えないって楽】異校種人事交流より⑰

こんばんは。本日もお疲れ様です。
前回に引き続き、中学校の勤務のメモをしていきます。

意義・目的を考えなくなったシステム

飲み会の場の終わりに一本締めをしますよね。
地域によっては一丁締めや三本締めなど、
それぞれの文化がありますよね。

なんとなくみんなやってるから、
なんとなくやってることありませんか?
また飲み会の話になりますが、

料理を仕分ける人について。
ある意味「仕込まれた人」ほど、
とりわけを率先してやるイメージがあります。

飲み会の場であれば、
自分の食べるものは好き勝手に自分でやりたくないですか?
「飲み会の場も仕事のうちです」とかですか?

令和なのでやめてください。
私は昭和生まれですが。

話を戻します。
先輩から教えられて、それが「正しい」と、
疑わずに思考停止して信じている人が、
同年代でも非常に多いと感じます。

その行為による結果が、
なんの不利益も出さない、または、
何らかの利益になっているのであればいいのですが、
残念ながら私が教員として働いてきたこの10年以上の中で、
明らかに不利益になっていると感じた場面が少なくありません。

義務教育で行われる「班会議」

中学校で勤務して初めて知ったことの中に、
毎日の「班会議」がありました。
地域によっていろいろ形はあるのでしょうが。

中学校への勤務は3年間と限られている人事でした。
初年度に所属した学年の主任は、
クラス経営は全面的に任せるタイプでした。結果的に?

高校と中学校で異なる部分ばかりなので不安はありましたが、
私なりに全力を尽くしました。
文字通り、身を粉にする勢いで。

クラス経営をする上で、
私がやらなかったことに「班会議」があります。
隣のクラスでは毎日やっているようでしたが、

赴任した中学校では、
「朝の会」や「帰りの会」を生徒が進めることが定着していました。
高校で採用された自分からすると、

その時点で「すげぇ」でした。
また、一日がせわしなく過ぎる義務教育の学校生活で、
「班会議」をやる時間がもったいない、と感じました。

必要があれば班での活動もさせましたし、
話し合いも設定しました。
ただ「毎日」やる意味が、私には見出せませんでした。

見学させていただいたクラスの生徒の様子を見て、
明らかに形骸化している印象を持ったからです。
毎日見ていたわけではないけれども、

授業でほぼ毎日顔を見ています。
その生徒の様子を見れば、
なんとなく済ませている。ことくらいには気が付きました。

後々から、本来の目的意義を知る機会があったのですが、
当時の学級担任の方々の中で、
それを知る方々がどれだけいたでしょうか?

「みんなでやろう」を押し付けるのやめてくれませんか。
個性の伸長という言葉をご存じないのでしょうか。

中学校勤務3年目は、
班会議をやらざるを得ない状況になりました。
はじめは意味が分からなくて噛みつきましたが。

学年として「班会議」をやってほしい。とのことでしたが、
前述のとおり教育的意味や価値が感じられなかったというか、
私の指導するタイプなのであれば、
別の方法の方がより効果的に生徒の成長につながる取り組みができると考えたからです。

「みんな同じ」が大好きですよね。日本人。私も日本国籍ですが。
母がフィリピン人であったおかげで、
様々な国の感性を小さいころから知ることができました。

私の中での「普通」は「一般的」ではなく、
自分の考える普通が「普通」です

考えることを放棄しているのではなく、忘れている?

この「異校種人事より」シリーズは次回で最後にします。
なので若干愚痴多めになっていますが、ご容赦ください。

PDCAがもはや古いと言われ始めるくらいに、
仕事や業務の改善・向上を目的としてたメソッドが増えてきている現代。

これまでやってきた仕事内容が正しいかどうかは、
評価をしてもらわないと判断することができないと思います。
圧倒的に教員は閉鎖的です。

教員が何も考えずに仕事をしていても、
子どもたちはわからないのでクレームできません。
保護者は学校にいないのでわかりません。

ふとした時に子どもの不満が溢れ、家庭に伝わります。
急激な2次関数のグラフみたいに、
保護者の気持ちは揺さぶられることでしょう。

中学校で勤務してすごいと思ったのは、
担任の先生方の家庭連絡の密度です。
欠席連絡や遅刻連絡の徹底は、
とても素晴らしかったと感じています。
いろいろな観点で(^^)

保護者対応を充実させることは素晴らしいと思うのですが、
そこって最初に頑張る部分ではないですよね?
最初に頑張るのは「生徒の学校生活の充実」ですよね?

時代の移り変わりとともに、
家電ってすごい進化してますよね。変化ともいえるくらいに。

人も、そうじゃないですか?
こちらが同じことをやり続けて、
その内容が現代に適している。

または教育的に効果があると説明できる。
ということが明確なのであればいいのですが、
いろいろな場所で問われる「説明責任」

教育現場でも、いろいろ考える必要ありますよね?
考えることを放棄しているのであれば、
若手のためにも生まれ変わってほしいです。

一番怖いのが、
成長することを忘れてしまっていることです。
自分が「できる」「正しい」と思い込んで。

そうであれば、誰も幸せになれません。
唯一、指導している本人は幸せなのかな?

現在勤務する場所は高校ですが、
小学校・中学校と、別の教育現場の方々とも、
絶えず交流を持っていきたいです。

変わっていく時代に対応する方法を探すとともに、
それぞれのカテゴリで求められることを把握して、
日本の教育を充実させたいからです。

自分の姿を客観視して改善できる大人は、
子どもにとっていいお手本になりますよね(^^)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?