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古郷を想う小林一茶の俳句から僕が感じたこと

 今日は、僕の好きな小林一茶の俳句をご紹介しながら、俳句の魅力について語りたいと思います❗️

初雪や古郷見ゆる壁の穴  小林一茶
 みごとな心理表現といわなくてはならない。雪の句というだけでいえば、芭蕉にも蕪村にもこれほど深く自分の心の襞を表現した句はなさそうだ。
 近代俳句の開拓者といわれる子規に先立つこと百年。ここにはすでに古典を典拠とせず、生身こ言葉で自分の心を表現する近代が生まれている。  長谷川櫂

【小林一茶】

 今日は長い引用になりましたが、これは、作家の池澤夏樹氏が監修する日本文学全集(河出書房)の中で、僕の好きな小林一茶の句を長谷川櫂さんが解説された文章です。
 僕はこの文章が好きで、手帳に書き写して、何回も読み返しています❗️

【松尾芭蕉】

松尾芭蕉が代表する江戸期までの俳句は、平安時代に和歌に詠まれた古典から、名所旧跡を歌に詠みこむことが暗黙のルールとなっていました。

 松尾芭蕉の有名な「奥の細道」は関東から東北北陸のそんな名所旧跡を辿りながら、俳句を詠んでいった旅の記録です。

【正岡子規】

 そんな俳句のある意味で窮屈なルール・伝統を壊して、近代俳句の基礎を作ったと言われているのが、明治時代に活躍した正岡子規です‼️

 子規は、目の前にあるものをそのまま歌う「写生」ということを重視しました。彼の有名な俳句でこんなのがありますね。

 柿食えば鐘がなるなり法隆寺  正岡子規

 この句なんかは、柿を食べていると、法隆寺の鐘がなったというだけの句ですが、そこには秋の暮れ行く奈良の旧都の奥深い余韻を感じることができると、僕は思います。

【近代俳句の祖】

 このように、現実にある風景をそのまま切り取る中で、その言外に奥深い情緒を織り込むというのが、近代俳句のすばらしさです‼️

 正岡子規が近代俳句を確立した第一人者というのが定説ですが、長谷川氏は、子規よりも百年早く江戸末期に活躍した小林一茶が、近代俳句の境地に到達していたと指摘されています。

 初雪や古郷見ゆる壁の穴  小林一茶

 小林一茶は長野県で生まれ、15歳で奉公のために江戸に出た人です。

 この句から僕は、初雪が降る年末に粗末な家で暮らす一茶が壁に空いた穴から雪を見て、今は帰ることができない古郷の風景を思っている、寂しくもあり、懐かしくもある、そんな情景を想像します😊

 【まとめ】

僕は田舎で育って、都会に出た人間なので、ふるさとの懐かしさはよく分かります。その懐かしさは雪との相性がとてもいい。❄️

 年が暮れゆく年末に故郷を思うという気持ちもすごく共感できます❄️❄️❄️

 そんな深い意味を17文字で詠み切るというのが俳句の醍醐味ですね。

 素晴らしいです‼️

 僕も、こんな句が読めるようになりたいなと思います😆

 今日も最後まで読んでいただいて、ありがとうございます😊

 コロナ禍で今年の年末はふるさとに帰れない人もいると思います。

 そんな人にこの記事を読んでもらい、一茶の句から何かを感じてもらえるとうれしいです😊😊😊

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