あなたをあなたたらしめるもの
タイトルが早口言葉のようになってしまった。先日会社全体のトップが交代になり、四半期に一度の全社員向けビデオメッセージで簡単な自己紹介をしていた。
その最初の一言が、”私はイタリア人です”だった。
これがちょっと驚きでもあり嬉しくもあった。
というのも、私も仕事で初めて会う人にはつい”私は日本から来ました”と言ってしまう。しかし周りを観察しているとほとんどの人はそういったことを言わないのである。
私の会社の本社はスウェーデンにある。といっても本社機能は限りなく小さく、過去20年くらいの間に世界中の企業を買収して成長したので、同僚が世界中にいて、ビデオ会議でしかやり取りしない人はその人がどこの国の出身でどこに住んでいるか分からない。そして彼らはずっとそのような環境で仕事をしてきたためか、そういったことも話題にしないのである。
昨日も百数十名が参加した会議があったのだが、ヨーロッパ・北米・アジアの各地からみんな一斉に繋いでいて、誰がどこにいるかほとんど不明だった。唯一参加者の場所が特定できたのは、バハマくらいであった。カリブ海に浮かぶ島国バハマには世界最大と言われる海草が生えている一帯があり、別の事業部の製品を使ってその調査(二酸化炭素の自然固定場所として)をしている部隊がいる。彼らが携帯のカメラを使ってライブ参加しながら、調査に使っている小型飛行機や美しい海に浮かぶボートなどを見せてくれたのでそれは一目瞭然だった。
少し話が逸れたが、要は今の時代、仕事をする際にその人の出自や居場所に関係なく仕事をしているし、できてしまう。
それで、冒頭のトップが開口一番に自分がイタリア人であると説明したのは何とも新鮮だった。
それに続けて彼が言ったのは、キャリアの早い段階でスイス、その後アメリカ、イギリスなどで働いた経験から、異なる文化の中では、”自分を出すこと”がそこで受け入れられる秘訣だったということ、そしてイタリアに戻ると何故か最初は違和感を感じるとも。
これはまさしく私も同感で彼に急に親近感を持ってしまった。
住み慣れた土地から別の場所に行くと全てが新鮮に感じる。けれどもそこにしばらく住むといつの間にかその土地に馴染んでしまう。ある人はそれを〇〇かぶれと言ったりするかもしれないが、やはり人間は物理的に三次元に存在しているので、環境から受ける影響は大きい。
たとえば、私が今住んでいる街は標高1,199mにある。車で一時間も走ればロッキー山脈が連なり、少しハイキングでもすれば2,500〜2,800mくらいまで普通に到達してしまう。昨夏に弟が遊びに来て一緒に山に行った時に普段毎日トレーニングをして、それを他の人に教えてすらいる彼も息を切らせていた。それを見て、よく考えてみるとこれは高地トレーニングのようなものだと気付いた。私の心肺機能はいつの間にか高地仕様になっていたともいえる。
毎日口にする食べ物もその土地毎のエネルギーを内包している。日本に昨年3年ぶりに行ってまず感じたのは全てが”柔らかい“ということ。光も緑も水も、そして植物・野菜が放つエネルギーもとても優しい。私が普段食べているものにはもっと力強くて荒削りなエネルギーがある。自然環境の厳しい土地では植物もそうならざるを得ないのかもしれない。そしてそれを頂く私たちもそのパワーの恩恵に与っている。毎日食べていたら当然身体も変わってくるだろう。どちらがいいとかではなくて単に違うのである。
そしてそういう同じ環境に住む人たちの集合の中で生活していたら纏う空気も変わってくるだろう。
それでも両親の国籍や生まれた国によって人は〇〇人と振り分けられ、それに誇りさえ感じるのは不思議なものである。奇しくも今日、カナダ人の同僚二人とそれぞれ仕事と関係ない話をしていたら、彼らは別のコンテクストの中で”だってカナダ人だから”と言っていた。
これだけ国際化が進んだとはいえ、”国”の境界は存在していて、有事の際には自国民を第一に考えるのだということはこの数年の社会の混乱により学んだ。カナダはリベラルな国ではあるが、昨年秋まではワクチンを打っていない外国人の入国を認めず、カナダでビザを持って働いている外国人も例外ではなかった。片道切符で出るのは自由ですよ、でも戻ってきていいのは医療関係者と農業従事者だけですと大見得を切っていたのが何とも滑稽であった。国が一旦ルールを決めると企業は手も足も出ない。もちろんカナダ人と永住権保持者にはそんな条件は課されなかった。
社会保障など諸々のことを考えると、三次元に生きる私達はどこかの土地と紐付けられざるを得ないというのも理解できる。
私もカナダに住んで五年が経ち、税金を払ってカナダに貢献していることが認められ、この度永住権を手にすることができた。”日本のパスポートを持ってカナダの永住権があれば最強”とは日本の友人の言葉だが、あちこち自由に行き来できるのは性に合っているので素直に嬉しい。
私から会社全体のトップまでのレポーティングラインは
私(カナダ在住)ーカナダ人(カナダ)ースペイン人(アメリカ)ースウェーデン人(スウェーデン)ードイツ人(アメリカ)ーイタリア人(イギリス)
出身国と住んでいる国はまちまちである。もちろんそれぞれのバックボーンには〇〇人であるプライドのようなものはあるだろう。だから私も自己紹介で日本から来ましたと言ってしまう。でも誰もそんなことを気にしていない。それぞれがそれぞれの色を出して、お互いを尊重して刺激し合って一緒に仕事ができる素晴らしい環境にいる。結局は、出身地やら住んだ環境やらそれまでの経験やらがブレンドされたその人をその人として見ていて、それ以上でもそれ以下でもない。
みんなで英語で伝言ゲームをしたらどうなるだろうと想像したら可笑しくなってしまった。今度ボスに伝言ゲームを知っているか聞いてみよう。そういうイベントを企画してみたくなった。
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