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神と宇宙と霊界科学の関係性&宗教と科学の融合

みなさん、こんばんにちはようす🏡 丸々です!!😆

今回は「宗教学」という観点も踏まえながら、「未知の科学とはなんぞや?」ということを率直に語りたいと思います(>_<)


今日は『素数の音楽』の第2章について前半の方を解説したので、後半に入りたいと思います。前々回は「素数は本当に言語なのか?」について結論が見出せず、途中書きとなりました。

今回は、抜粋で書くスタイルで話を進めて行くのではなく、私が考えてることや思ってることを前提として読みながら解説していく内容となっております。その理由は、抜粋部分を抜いても面白みがなく、話が長いから割愛するということです。

まず前回の「素数は本当に言語なのか?」ということに対して、結論と致しましては「一つの文字において、エネルギーが媒体している言霊(kotodama)の中において素数が含まれている部分があるだろう」ということです。音と数でできた文字には、素数の概念が構造上として何らかの役割を果たしているのは事実だと思います。

まず「素数とは何か?」ということですが、これはどんな整数でも割り切れない整数のことであります。たとえば、4は素数2で割れるので、この数は素数ではありません。しかし、3はそれよりも小さい素数2で割れることはないので3は素数であるということです。ただ、0や1は素数ではないということです。

また「フィボナッチ数」とは1と1を足して2になり、その2を前に足した数である1を足して3になり、今度は前に足した数2に3を足して5になるということ。つまり、「0,1,1,2,3,5,8,13,21,,,,」のこの数すべてがフィボナッチ数です。そして、素数は「2,3,5,7,11,13,17,,,,」のことであります。

このフィボナッチ数と素数の関係には深い密接性があると考えられます。それは文字においても、科学技術のウラにおいてもです。

では、行こう🏃‍♀️🏃‍♂️


科学の進展の限界は「証明にこだわり過ぎている」という利点における帰納性の追求であります。やはり「演繹性の探究」をしなくてはならないのであって、それはこの世界の法則、あるいは宇宙のすべてにおいて人類の魂の実権を担う神仏のご存在の声に耳を傾けること。これしか方法がないでしょう。

人間が地球外生命において0と1を使ってコンタクトをよりグローバルにコミュニケーションの神速化を行うかどうかは、すべてアンデスの神が委ねております。そして、0と1は二進法でコンピューターの開発が発展し、機械語の搭載やセキュリティー重視に関わっています。16進法が地球外言語の基本となるならば、言葉の選び方、感情の選択が多様化し、言葉で語ることのできない領域を説明することができるでしょう。そしてそれは、16以上の数進法で説明なされるかもしれません。つまり、0と1だけで言語がすべてそろうとは限らないということであります。

これが正しいかは神が委ねることであり、私は間違いだらけなので安易なことは言えませんが、憶測で世界を語ること、秘密の意味を知ることが好きなので、研究意欲や関心の出来心はあってよいと僕は思います。そうでなければ世界の面白さを実感することはないでしょう。私はHSの宗教に所属しているので、神の声を知っています。神のみ教えを知れば、世界のつまらなさはないものと同然であり、神の創られた世界のワクワク感は信仰心によってほとばしるでしょう。

数学の世界は証明できれば終わりではありません。誰にだって、数式で表さなくても、その能力がなくとも、定義を定めればおのずと答えは出てくるものです。証拠は入りません。いるのは神の心を知ることにしかないのです。

やはり、地球外に関心があるなら「未知なる発見」は常にしておくことは重要であり、数学は発展の限界が来ているので文明が衰退していると考えてもおかしくありません。パターンを認識するより、違った発想は方法論、人類が考えたことも感じたこともないことに尽力を注ぐべきです!


証明しなければならないことなど何一つもなく、ただ神の世界を知るということが、神のみぞ知る世界の探究、これを全人類が意識しないで次元上昇ができると思うかどうか。ここに至るための方法は「いかにエル・カンターレ信仰が重要で、伝道の大切さを認知しているか」というところにあるんだと僕は思います。

「法の創造」は神様でしか出来ないことであり、人間が創造したとしても時間が経てば修正は必ず起きます。そういう意味で、法の創造は人間にとって神に委ねるしかないと思います。


「演繹性」とは何でしょうか?

まずその対義語の「帰納性」とは、人類が知っていることを理解して、知らないことを地道に追求する方法です。これは取り組み続ける土台柱となっております。

逆に「演繹性」とは、その反対のことであり、人間が知らないことは神が知っているので、そこに心を合わせること。つまり、神の声からくる「未来の姿」を逆算して、現実の今、未来をどうするかと考え続けるところにあります。

まず、人類史上の数多くの失態や現代社会の衰退の原因は、神を知らない大多数の人間が陥っている屈辱であります。その屈辱をはらすために神の法があり、アリンコの人間は裁けないのであります。これは3次元にしか考えが思いつかない人種において、そうだと言わざるをえないということです。

「定理」の筋道である「予想」が何であれはどうでも良い話であります!


まず、人間丸々が考えていることに対して、こう思います。

「メンデレーエフの周期表」の元素並びは宇宙語の概念と関係する点も「素数の並び」を理解すると分かると思う。

もっとも数式の中にある論理法則は、言葉を話すときの文脈整理に似ていると思う。


[エイリアンの耳にはワグナーの「ニーベルングの指環」のように神秘的に響くだろう]と74ページに書かれているところを読むと宇宙人と地球人の会話はこの音=数の理解からすべてが始まると考えられる。

[証明の物語は古代ギリシャ人から始まった]とあるけれども、証明がすべてではなく、真実は神の心にあることを理解しなければ、真実は証明できて初めて理解するとは言わなくなる。

[証明の父「エウクレイデス」は、古代エジプトの王プトレマイオス1世が紀元前300年頃にアレクサンドリアに作った学術研究所に所属していた。そしてそこで、人類の歴史上最大の影響力を誇る教科書『原論』をまとめた。]と書かれていて、この『原論』という考え方をもう一度新しいバージョンとして「新しい原論」つまり『神・原論』に変える必要がある。

すると、宗教学と未来科学が融合すると考えられる。そうすることで科学に革命が起きると推定する。自明の真理は、公理にも、公準にも、幾何学にもどこにもない。それは言葉の地味な研究でしかない。

論理は矛盾を受け入れないが、矛盾を受け入れて仮説を立て、定義を多く増やした方が証明に執着することはなくなり、未解明なものがイノベーション型思考と天上界のインスピレーションに基づいて解明できるはずである。


84ページにはこのように書かれている。[メルセンヌの関心は宗教儀式だけにとどまらなかった。音楽が好きで、和声学に関する一貫した理論を作った最初の人物でもあった。さらに数について考えるのも好きだった。<略>

メルセンヌの音楽に関する直観が一役買っていたのかもしれない。ある音の振動数を2倍にすると、音は1オクターブ上がる。よって2の累乗(ruijou)は倍音を生み出す。これを不協和音、つまりそれまでの振動数と調和しない「素な音」にするには、1ずらせば良いのだ。]

メルセンヌとは数学者のことである。メルセンヌ素数「2^n-1」というものがあって、この数は素数になることもあれば、そうはならないこともあるけれども、「n」を大きくすればするほど一番大きい素数が見つかるという考え方のことである。

ただ、注目してほしいのは、やたらと難しい数学の話ではなくて、「倍音」「振動数」「不協和音」というフレーズである。

たとえば、自分が相手と会話するときに、ある内容においては共感するけれども、それ以外のジャンルでは面白みがないときがたまにある。

これは「共鳴」と言って、自分と相手の心の波長がある場面で上に行く時もあれば、違った場面で下に行く時もある。こう考えると各人の心の中にある数字「周波数」は「心の波長」と方程式の繋がりはあると考える。

もし共感してテンションが上がれば、お互いの周波数による倍音が増幅されるが、あまり共感がないならば会話は弾まないことと同じく、不協和音がお互いの間で起きてしまう。現代では離婚や失恋の影響もここにあると考えられる。

ただ、心は素数で表せるとは限らず、多次元的なので、行列で表せるよりもはるかに大きいと考えらえる。つまり一言で言えない。人間は、協和音の増幅によって、人間関係を正しくすることができるということでもある。

これに対して、宇宙語は、数字を図形に置き換えることは有利であるので、その数字の番号にどんな意味(言霊の特徴の起因)が込められているかで、文章が変化する。


人間の創造力には限界があるので、この観点は「神の創造力、エル・カンターレのお考えを知らなければ、こういった発想は思いつかない」と僕は思う。

93ページではこのように書かれている。[1715年にオイラーは次のように記している。「この世には、人知では伺い(ukagai)知れない神秘が存在する。そのことを得心したければ、素数の表を一目見れば良い。そうすれば、そこには秩序も規則もないことが分かるだろう。」]

オイラーも数学者である。この世にない神秘とは何かというと、あの世に素数の神秘が隠されているということであり、あの世の事実をまず先に学ばなくてはならない。素数に規則がないと記されているならば、いかに予想を立てて証明したとしても無理なものは無理だということでもある。

魔術と科学の融合は大きな意味があると思う。宇宙語には数字やアルファベットだけでなく、記号も使われているという概念は知っておくべきことだろう。


最後に[ハノーファーの山を地図に記入しながら、エウクレイデスの平行線公理についてあれこれ考えるかと思えば、観測所に戻っては、素数表を広げた。ガウスは、素数の奏でる音楽の主旋律をはじめて耳にした人物だった。しかし、素数の不協和音の背後に潜む和音の力をほんとうの意味で解き放ったのは、ガウスの数少ない弟子の一人、リーマンだったのである。]

このリーマンが試みた予想が人類の唯物的落とし穴となったと考えて良いと思う。しかし、リーマンから受け継がれるアイデアは繊細で、霊界(あの世)の真実を見抜く一つのきっかけであるとも考えられる。


結局のところ、神の教え、つまり、エル・カンターレの教えは「湯川秀樹の霊言」「アインシュタインの霊言」「岡潔(oka-kiyoshi)の霊言」と数多くあります。

これも神のみ心にそった現代科学の新しいアプローチでもあります。

丸々は科学者に興味はありませんが、その考え方において神のみ心にそった進展が必要であると強く訴えるものです!ここから社会や人類に対する意義を申し立てます。

🙇‍♂️🙇‍♀️

宗教は真実の神が興したものであり、それを脱退する考えは、正しい宗教に属している以上、ありえない考え方であると言わざるをえません。
みなさんは疑うことが民主主義に基づいてお好きだとは思いますが、やはり、神を知らない民族はゾンビと同じでしょう。
いかに自分自身がゾンビであるかを身を持って知るべき時が来ています。
今のコロナ現状をみるにしてもそうです。今の世の中を見てください。いかほど、神を知らない人々が自由意思に基づいて議論している民族だと言えましょうか。これには、神もお怒りであり、南海トラフが起きてもおかしくないでしょう。
みなさんは新しいワクチンを接種しなければならない時が来ているのです。この意味が分かるでしょうか?
それでHSという宗教や神を侮辱するものや信者を冒涜(boutoku)するものは奈落の底に一旦落ちた方が良。

🙇‍♀️🙇‍♂️


いかがでしたでしょうか??!|=゚ω゚)ノ

次回、5/21~5/24はお休みとなりますので、5/24以降からになります。

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以上、丸々でした!!





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