Voy.10【これイチ】Top5ランキング!北極海航路のリスク
【これイチ】『北極海航路の教科書』シリーズ **第10航海**
リスクを知って、安全運航!
前航海では、北極海航路利用のメリットについて見てきました。
アジアとヨーロッパを結ぶ航路が短くなるのであれば、「今すぐにでも使いた~い」と思われるかもしれませんが、一旦お待ちください。
はやる気持ちを抑えつつ、本航海では北極海航路利用のデメリットとなり得る「リスク」について見ていきます。北極海航路を利用する上での適切なリスクの把握とリスクレベルの評価は、船舶運航の安全性や経済性を評価するうえでも、非常に重要となります。
北極海航路を商業目的で利用するということであれば、通常海域(ここでは、北極圏外の海氷の影響がない海域の事を指す)では考慮する必要のない、特殊なリスクについての知識も必要となる。
また、同じリスク因子であっても、以下のような「利用方法の違い」によって、そのリスクに対する「策」も変わってくるだろう。
Destination ShippingとTransit Shipping
冬季と夏季
航路が北極圏に存在するがゆえに、基本的には気象や環境面でのリスクがメインとなってくることは想像に容易いことだろう。
ひとつ、ことわりを申し上げますと、リスクを定量評価するのは非常に難しいことです。本航海ではリスクをTop5のランキング形式で記述しますが、これは完全に”筆者の感覚に依るところ”となっております。
それぞれのリスクに応じた「発生頻度」「影響度合」について★を記しますので、こちらを参考にリスクのレベルをイメージしてください。
それでは参ります
第5位:着氷
発生頻度:★☆☆☆☆
影響度合:★★☆☆☆
「着氷」とは、船体や甲板上に積載した貨物などに水しぶきが付着し、その水分が凍結した氷のことである。この水分付着と凍結の過程が繰り返されることによって船舶や貨物に付着した氷(着氷)が、どんどんと大きくなると、船体の重心が上がって、復原力*の低下につながる恐れがある。
*復原力:傾いた船が、もとの直立状態に戻ろうとする力
下の写真は、筆者が傭船していた貨物船に発生した着氷の写真だ。
甲板上に積載した貨物の梱包フレームなどが氷に覆われてしまっている。ひと昔前の冷凍庫にこびりつく「霜」のようだ。こうなってしまうと、気温の上昇により融解するのを待つか、ハンマーで叩いて氷を落とすしかないので、非常にやっかいである。
着氷が発生するための要素として、「しぶき」と「気温」の関係性が重要なのだが、詳しい発生メカニズムは、別の航海で説明することにしたい。
即効性のあるリスクの軽減策としては、着氷発生の主な要因となる「しぶき」をコントロールすることが有効である。
「しぶき」が発生する要因は主に「風」だ。
風が強く吹くことで「波」が大きくなり海が荒れる。そこを航行する船舶が「動揺」によって海水面に打ち付けられて「しぶき」が発生する。また、強風により海水が吹き上げられてしぶきが発生することもある。
北極圏では、低緯度エリアと比較して太陽による熱エネルギーは氷や雪により多くが反射されるため、気象への影響力が乏しい。そのため、暴風を引き起こすような勢力を伴う強い低気圧が発生しにくいが、それでも「しぶき」を生じるような荒天はしばしば発生する。
安全運航の基本としては、このような荒天海域には「進入しない」というのが鉄則だ。しかし、どうしても不可避な場合には、以下のように、なるべく「しぶき」の発生を抑えるように操船すればよい。
速力を調整する(落とす)
波の迎え角度を調整する
第4位:低温
発生頻度:★★★☆☆
影響度合:★★☆☆☆
前述の「着氷」の要因でもある「気温」は、つまり「低温」のことであるが、北極海を航行する以上、このリスクは避けることができない。
船舶に対するリスクとしては、動的機械類の固着や低温による油圧装置系統の性能低下、水系統(冷却水、生活水、作業用の清水)の凍結などが考えられるが、これらは電気もしくは蒸気によるヒーティングによって解決するのが一般的な対策となる。
船員に対するリスクとしては、低体温症や凍傷などであろう。特に強い風が伴う外界に曝される場合には要注意である。
「Wind Chill」(日本語では風速冷却)への考慮が必要になるからだ。
簡単に言えば、風が強いと余計に寒く感じる、ということだ。
例えば、外気温マイナス10℃の時、風速が13メートル毎秒(傘がさせなくなる程度の風速)だと、体感温度はマイナス22℃になる。
船舶の運航に係わる作業には、どうしても屋外での作業が伴う。北極海での航行を前提とした船舶であれば、シェルターを設置することで暴露部を極力少なくする設計がされる。しかし、これにより建造費が嵩むことになるし、北極海以外での航行も想定した船舶であれば、シェルターが設置されていない。
低温環境から身を守るには、しっかりとした防寒装備をしたうえで、Wind Chillを考慮した作業時間の管理が必要になってくる。
極寒の環境に対する準備をしてから入域することが重要だ。
第3位:高緯度
発生頻度:★★★★☆
影響度合:★★☆☆☆
意外と見落とされがちなのが高緯度のリスクだ。
影響を受ける要素は2つ、「通信」と「コンパス」だ。
まずは「通信」について見てみよう。
最も一般的で普及してる船舶と陸上(海運会社や港、航路管理局など)との連絡手段は、インマルサット衛星を利用した音声およびデータ通信である。筆者が船員だったころには既に電子メールによる通信手段が普及しており、現在ではブロードバンド対応により、インターネットの利用も可能である。
インマルサットの通信は、4基の静止衛星により全地球をカバー範囲としているが、実は北緯70度(南緯も同じ)以上になると、通信精度が著しく落ちる難点がある。
下の図は4基のインマルサット衛星がカバーしてる範囲を示したマップであるが、ご覧の通り、北極海航路の一部がカバー範囲の外に出てしまっている。もちろん、電波を利用したシステムである為、範囲を示している線を越えた途端に通信ができなくなるということではなく、サービスの質を担保できる範囲という意味での区切りであるため、範囲外では全く通信が出来なくなってしまうということでもない。
筆者の経験上、北極海航路を航行している船舶との通信は確かに不安定であった。しかし、傭船との通信(電子メール)が途絶えても1日待てば、再び通信が可能な範囲内に入る為、実務に大きな影響は及ぼさなかった。
もうひとつの「コンパス」はどうだろうか。
「コンパス」と言えば、理科の実験でも扱った「方位磁針」を思い浮かべるだろう。
その通り! 地球の磁力線の流れに沿って「磁北を指す」磁気コンパスのことだ。
船舶にはもうひとつ「コンパス」の搭載が義務付けられている。
「ジャイロコンパス」だ。
ジャイロコンパスは、高速で回転する円盤の回転トルクと地球の重力を利用して「真北を指す」コンパスである。(詳しい原理について述べ始めると長時間に及ぶため割愛)
残念なことに、磁気コンパスもジャイロコンパスも、高緯度では誤差が大きくなってしまう欠点がある。
船舶は、コンパスにより自船の針路を把握して航行するため、コンパスの精度は安全運航に直結する重要な機器なのである。
コンパスの精度が悪いことで、自船の位置を正確に把握することが出来なくなると、浅瀬が多い北極海航路では「座礁」などの事故リスクが高まることになる。
しかしながら現在は、自船の針路や位置をGPSでも高精度に把握できるため、コンパスに関しては、GPSが正しく機能している限りにおいて、操船実務上において大きな問題にはならないだろう。
ジャイロコンパスの主要メーカーである東京計器のホームページに、北極海に対応した新しい機種の紹介がありますので、ご参照ください。
第2位:補給港がない
発生頻度:★★★★★
影響度合:★★☆☆☆
今のところ、「船舶」はヒト(船員)により運航され、燃料やその他の消耗資材を消費しながら航行する「機械」なので、適宜「補給」が必要だ。
北極海航路および、これに接続するロシア沿岸の航行ルート上には、船舶の運航に不可欠な「燃料」「潤滑油」「その他船用品」「食料」「飲料水」などを補給できる港がほとんど整備されていないことが問題なのだ。
北極海航路の範囲は、東のベーリング海峡から西のノバヤゼムリア島の北端および南端に挟まれるロシアの沿岸水域である。Destination Shippingの場合には、この範囲内に目的地の港が位置することになり、Transit Shippingの場合にはアジアとヨーロッパを結ぶ航路上に北極海航路を経由することになる。
北極海航路経由でアジアとヨーロッパを行き来する場合、アジア側での最後の補給港となり得るのは、北海道の各港やロシアのペトロパブロフスク・カムチャツキー港あたりになる。
ヨーロッパ側では、ノルウェーのキルケネス港やロシアのムルマンスク港あたりだ。
例えば、横浜港からオランダのロッテルダム港へ向かう航海の場合、一般的な船舶の速力で航行すれば、およそ24日かかる距離だ。
もちろん、1か月程度の航海ならば、無補給で走破することは可能だ。
しかしながら、通常海域とは別次元のリスクがある北極海航路を安全に航海するには、北極海航路に入域する時点で、30日以上の燃料ほか消耗品の余剰を持っておきたい。特に海氷エリアを通航することがあらかじめわかっているときには、海氷に閉じ込められたり、砕氷船の支援を待つスタンバイ時間が発生した場合などに備えておく必要がある。
皆さんは、車で遠出をするのはお好きでしょうか?
よく高速道路の出入り口付近のガソリンスタンドやコンビニの道路際で、「○○インター手前の最後のGS(もしくはコンビニ)です!」という立て看板を見かけるが、同じように北極海航路に入る前にはしっかりと補給を行ってから進入してほしい。
第1位:海氷
発生頻度:★★★★★
影響度合:★★★★☆
「やっぱりか!」
という声が聞こえてきそうですが、 そうです、やっぱりです!
海氷中を船舶が航行すること自体は、別に北極海航路に限ったことではない。北欧のバルト海や、中国の渤海、日本のオホーツク海にだって海氷に覆われる。しかし、これらの海域では、冬場のうち数カ月間の限られた時期にのみ海氷が出現する。北極海航路における海氷の捉え方としては、やはり1年を通して「リスク」として考慮しなければならないところが大きな違いとなる。
「海氷」と一口に言っても、海氷には様々な種類がある。
また、航行する海域の地形や時期、周辺の気象・海象、自船の耐氷性能、船員の知識・スキルなどにより、リスク評価値は大きく変動する。
「海氷」については、北極海航路の利用において絶対に避けて通れない最重要検討事項となる。海氷については別の航海でしっかりと学んでいきたい。
海氷によるリスクは、例として以下のような事態を招く
船との衝突による船体・プロペラ・舵などへの損傷
冷却水取り組み口から海氷を吸い込むことによる冷却性能の低下
海氷への乗り上げによる浮力の低下
海氷を避けることによる操船難易度の向上
海氷により動けなくなること
実際、商船が北極海航路を航行中に海氷に閉じ込められて自力航行が出来なくなった事例は、ここ数年間以内にも数件発生した。いずれも原子力砕氷船が救助に向かい、無事に脱出することができたが、貨物船にとってスケジュールの遅延というのは大きな経済的なダメージとなり得る。
しかし一方で、北極海航路を航行中に、海氷との接触によって船体に著しいダメージが生じ、燃料油などの海洋汚染物質の流出につながるなどの事例は発生していない。
リスクがあるとの共通認識が、今のところは無秩序で無謀な航行は抑制されていると言えるかもしれない。
番外編
■ロシアであること
発生頻度:★★★★★★★★★★
影響度合:★★★★★★★★★★
こちらは、2022年4月現在の状況を考慮した上での評価となりますので、これ以前、または今後の状況の改善によっては、リスクの評価値は異なってくるでしょう。
ご紹介したTop5は、いずれも「地球環境」的な要因によるものでしたが、「地政学」的なリスクも忘れずに考慮するべきなのです。
北極海航路は、黒海を含むウクライナ周辺の海域とは隣接しない為、一見、現在の戦争事案とは関係が無いように思えるが、海運業界には無視できない影響が現実に起きはじめている。
参考のために、ロイターの記事リンクを参照いただきたい。
船舶の損害保険を扱う各社は、このJWCの決定を受けて、ロシアの全海域を「戦争リスクが高い水域」に指定し、当該水域を航行する加盟船舶の保険料を値上げ(戦争保険プレミアの支払い)することとなった。
北極海航路は、ほぼすべてがロシア領海および排他的経済水域であるため、仕出港・仕向港にロシアの港が含まれるかどうかに係わらず、航路を通航する船舶の保険料が上がり、運航費が船社の利益を圧迫することとなっている。
今のところロシア側が、多国籍船の通航を遮断するような事態にはなっていないが、今後の情勢がさらに悪化するようなことになれば、北極海航路の友好的な利用は制限されるかもしれない。
ロシアもこれまで北極海航路の利点をアピールし、航行数の増加と航路の発展の政策を進めてきた。この積み上げてきた実績をすべて台無しにするような事態となってしまったことは、非常に残念でならない。
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