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【氣付き】月夜の波動に導かれて

皆様こんにちは(*・ω・)*_ _)ペコリ
水鏡(みずかがみ)と申します。
ご訪問賜りありがとう存じます。


今回は本来の自分になった
最高の世界に生きる和多志(わたし)が
氣付きについて語ります♪




『あ』ってどうして
『あ』と発音するの?

なぜ🍎を『林檎』と呼ぶの?

ってずーっと思ってた。


『あ』については
漢字が簡略化ものだと知ってからは
その漢字(安)をなぜ『あん』と読むのか
という疑問に変わった。


個人的に仮名は
見た目も意味も至高の文字だと思う。
(平仮名じゃなくて仮名の話)



何の変哲もない部屋の中に
生まれたばかりの赤ちゃんがいて
ビー玉を1つ転がしながら遊んでいる。


私たちの地球の外側にある宇宙。
宇宙の果ての果てにある端の向こうには
何の変哲もない部屋と赤ん坊。


私たちの宇宙はビー玉の中の世界。

そんなイメージを子どもの頃から持っている。



太古の時代にワクワクする

『地球ってどうやってできたんだろう?』

『宇宙ってどうやってできたんだろう?』


未来には興味がない。
興味があるのはいつだって過去だ。
特に過去の中の過去、太古だ。
太古は浪漫の宝庫。


確実に存在したはずなのに分からない。
自然環境が変わって海面の高さが変わり
海というタイムマシンに
閉じ込められてしまったのかもしれない。


タイムマシンのおかげで
良い状態で発見されたものもあれば
深海という手が届かない場所で
静かに眠り続けているものもある。


今更氣付いたのは

深海は宇宙と同じぐらい神秘的
もしくはそれ以上に神秘的

ということ。


宇宙より深海の方が
人間が到達するのが難しい世界。


人間社会じゃない。
こんなに近くに
人間以外の世界が地球にあるのに
行けないもどかしさと浪漫。


そこには魚の楽園があるかもしれないし
魚じゃないものの楽園があるかもしれないし
深海は地底に繋がっているかもしれないし
遺跡が現役かもしれない。


今わたしたちが暮らしている高さは
太古ではすごく高いところで
こんな高いところを調べても
出てくる手がかりはほんの一部で
たくさんの手がかりが
深海に眠り続けているかもしれない。


だけど行けない。


『確かに存在していたのに
 分からない』ということは
なんて魅力的なのだろうか


小さい頃から憧れていた。
今YouTubeでいろんな動画を拝見しているが
やっぱり楽しい♪


もしタイムスリップができるようになり
実際に自分の目で見えるようになったら
わたしは太古に興味を持たなくなるだろう。


わたしは記憶があまりできない。
量もそうだが、時系列で記憶できない。
子どもの頃のことなんて
もうほとんど覚えていないし
1週間前だってほとんど記憶にない。


そんなわたしだから
『世界5分前仮説』だって否定できないし
もしそうだったら神秘的すぎる。


そもそも
『生きている』『物に触れられる』
『他人と会話ができる』
『目と鼻の先に何もない、空間しかない』
ということがすごく不思議な状態で
少し違和感がある。
普通ではないという感覚。
いつからこう感じているのかは分からない。


他人の生活は全てがわたしに見える訳ではなく
例えばその人がトイレに入ったとして
わたしにはそう見えているだけで
その扉の向こうは張りぼてかもしれない。
(トゥルーマンみたいな)


わたしの視界から消えたその人は
存在しなくなり
わたしの視界に入る寸前のところで
現れているのかもしれない。


わたしが見える空間だけが存在して
ちょうどスポットライトが当たる感じで
わたしがいない空間
つまりスポットライトが当たっていない空間は
真っ白な虚無かもしれない。


だけどわたしにはそれが観測できない。
自分が観測していない状態を観測できないので
実在しているのか分からない。
だから『ない』かもしれない。


なぜそんな作りにしたんだろう?
やっぱり次元が高くないからだろうか。
もしくは本当に『ない』のか。


未来は観測したことで現在になる。
現在を未来から観測すると過去になる。
あれ?未来って本当に存在するの?
観測できないから『ない』かもしれない。
観測する瞬間に
『ある』状態になるのかもしれない。



太古はもう観測できないけどあった。
あったとわたしは思っている。
わずかに残された痕跡を繋ぎ合わせて
推測することしかできない。


そうか。

わたしは『観測できないけどある』というものが好きなんだな。

無限の果てしない浪漫を感じるんだ。


世界って

『ある』か、『ない』か

なのかもしれない。
ということは・・・



水鏡

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