時間の感覚
にわか雨が降ってきた。土砂降りだ。
先程まで、強烈な陽射しが照り付けていたのがウソみたいだ。
今日は、昼すぎから、畑を耕し、ひたすら雑草を抜いていた。冬野菜の種まきに向けた下準備である。汗だくになった。
その作業がちょうど終わり、家に帰るところへ、この雨だったので、何とも僕は運がいいと思った。今日もついている。
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ここ数年、ベランダ菜園をやっていた。
トマト、ナス、キュウリ、ピーマンなどをプランターで育てていた。
本で調べたり、ホームセンターの親切な店員さんに教えてもらったりして、それなりに収穫できるようになった。とても楽しく充実していた。
ただ、ここ最近、スイカなどの新しい作物に次々とチャレンジしてきたのだが、うまく収穫できるときもあれば、全く育たないこともあった。狭いベランダでは限界があると感じていた。いわゆる、プラトー期にさしかかったってわけだ。
そんなとき、役所の広報で、市民農園の利用者を募集していることを知った。早速、申し込みを行い、近所に畑を1区画借りることができた。
しかも、講習と実技指導がついている。農業指導者の方が丁寧にやり方を教えてくれ、疑問点にも答えてくれる。初心者にはうってつけだった。
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あるとき、上司に、畑を借りて、野菜の育て方を習っていると言うと、
「原井は、いったいどこを目指しているんだ。」
と冗談っぽく言われた。
たしかに自分でもそう思うのだが、どこかを目指しているという感覚はない。単に無性にやりたくなっただけで、作物を育てたいという気持ちが心の底から湧き上がってきただけなのだ。
だから、上司には、「趣味で楽しいからやっているだけです。」と言った。実は、本音で伝えたいことは、別にあるのだが、本心をそのまま相手へ伝えるべきでない時もある。
いずれにせよ、この活動は、日々、いろいろな発見があり、心が豊かになるのだ。
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気づきの1つに「時間の感覚」がある。
1日といえば、お日さまが昇り、お日さまが沈み、再びお日さまが昇るまでの時間だ。
1か月といえば、お月さまが、満月になって、満ち欠けして、再び満月になるまでの時間だ。
1年といえば、太陽の日照時間が刻々と変化して、春夏秋冬と季節が移り変わり、再びもとの日照時間に戻るまでの時間だ。
たぶんこれらの時間の感覚は、古代から変わっていない。
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では、野菜が育つペースはどうだろう。種を植え、芽が出て、茎が伸び、花が咲き、実がなる。
もしかしたら、品種改良や生産システムの効率化により、野菜の育つペースは、昔と比べて早まっているのかもしれない。たとえそうだとしても、野菜を育てるとなると、それなりに長い付き合いとなる。時間がかかる。
僕は、このくらいの時間感覚が、自然本来のペースだと思う。
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一方で、現代人の生活ペースはどうだろう。
最近、仕事の量が山盛りのてんこ盛りだ。日々、締め切りにも追われている。
効率性を追求し、生産性を上げることは、悪いこととは思わない。価値あるものをすばやく大量に生み出すことで、人々の生活をより豊かにすることに異論はない。
ただ、あまりにも最近、ペースが速すぎないだろうか。消費の速度はますます上がり、答えの出にくい問題の結論すら早く求める風潮があるように感じている。
何をそんなに急いでいるのか。
つまり、地球の自転や、月の満ち欠けや、野菜の生長速度に比べて、人間生活の速度だけが極端に早まっているように思えるんだ。
既に、人間の時間感覚のシンギュラリティは超えているのではないか。
なんて、思ったりもするのだ。
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そうはいっても現代人の僕は、急がなくてはいけない。山盛りでてんこ盛りの仕事と締め切りに追われているからだ。
ここで、立ち止まって考えよう。冷静になろう。なぜ、僕は急がなくてはいけないのか。
まわりのみんなは知っている。そして僕も薄々感づいている。
そう、僕の場合は、単に仕事が遅いだけなのだ。
山盛りでてんこ盛りの仕事も優先順位をつければ、本当に必要なことなんてわずかかもしれない。要は、余計なことを考えて仕事が遅れているだけなのだ。
だから僕は急がなければならない。そして、自然本来のペースと帳尻を合わせるために、週末には、土と触れ合い、野菜を育てることで、癒されているにすぎない。
でもね、ダッシュとストップを繰り返していると、疲れるしケガしやすいんじゃないかな。マイペースで進んだ方が長い目でみて効率がいいかもしれない。
そんなわけで、いくら詭弁だと言われても、上司に言いたいんだ。
「締め切りを延ばしてください・・」
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いつの間にか雨が上がり、草いきれの匂いが立ち込めていた。
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