一生忘れない雨の日に流れていた曲
音楽など、耳から入ってくる情報と、その時に見たものなど、目から入ってくる情報がリンクして記憶している、という特殊能力があって、
昼間に、車のラジオで聞いた流行りの曲が、夜に風呂場の防水スピーカーから流れてくると、
車で見ていた景色が蘇ってきたり、
フジファブリックの「陽炎」を聞くと、弟に勧められて初めて聞いた時の、景色と感情が蘇ってきたり、
YUIにはまっていた大学生時代、「Please Stay With Me」を繰り返し再生をしながら通学したら、学校に到着してしまい、その時の車窓からの風景や、駅から学校までの雰囲気を今でも覚えている。
上記の曲は10年以上前の記憶で、曲を聞いていた時の記憶なのだが、
その逆もある。
印象的な場面で、たまたま流れていた曲ということである。
ここ最近で一番印象に残っている、曲を聞くと蘇る景色について書いていく。
音楽を聞くと蘇る風景の、今の所の完結編にお付き合いください。
その曲というのは、好きな歌手の曲であったが、特別よく聞く曲ではなかった。
この出来事をきっかけに、よく聞くようになったし、その度に、同じシーンが蘇ってくる。
数年前の11月下旬。
その日は雨で、Tシャツにパーカーを羽織るくらいでちょうどいい気温だった。
窓の外に目をやると、空は雨雲に覆われており、午前中にしては薄暗いそんな空模様だった。
昨夜中降り続いていた、雨の足跡は窓に水滴として残っていた。
この前日、奥さんは破水をし、入院となった。
病院から、「そろそろ産まれる」と連絡があり車で病院へ向かった。
車中のラジオの血液型占いでは、奥さんの血液型も、私の血液型も、出産には役に立たなさそうなものがラッキーアイテムだった。
着いてみると、同じように待っている数時間後に父親になる人が2人いた。
そろそろと言われて向かったが、なかなか声は掛からなかった。
先に待っていた人が呼ばれ、私より後から来た人も呼ばれていた。
冷蔵庫に入っていた、奥さんが買ってくれていたであろうコスタコーヒーだけを持って出てきた私は、窓の外を見るくらいしか時間の使い方がわからなかった。
雨は止んでいたが、窓にはまだ、雨が降っていたことを思い出させるには十分すぎる水滴が残っていた。
ついに、私を呼んでくれる看護師さんが現れた。
しかし内容は、まだ産まれていない、点滴の同意書が欲しいというものだった。
私は震える手で署名をした。
書き終えると看護師さんは、慌てて戻って行った。
再び待合場所に取り残された私は、改めて出産に立ち会うことへの不安な気持ちを自認した。
ドキドキもしたし、そわそわもした。
親になる不安も、奥さんや産まれてくる子に万が一のことがあるかもしれない心配もあった。
出産とは命懸けであることを身にしみて感じた。
待合場所で待っているのは、もう私だけになっていた。
別に話すわけでもなかったが、誰かがいる、同じ境遇の人がいる、というのは、心の支えだったのかもしれない。
コスタコーヒーのペットボトルを開けて、一口飲んだ。
そういえば起きてから何も飲んでなかった。
小さいペットボトルのコーヒーは、すぐになくなり、待合場所の自販機横のゴミ箱に捨てた。
少し気持ちが落ち着いた私は、イヤホンは持ってきていることを思い出す。
音楽をランダムで流し、また椅子に座って窓の外を見た。
窓越しに雨粒がわかるくらいの雨が静かに降っていた。
最初の数曲は何が流れたか覚えていない。
何曲目だったかに、秦基博の「アイ」が流れてきた。
「もう産まれそうです」
先ほどとは違う看護師さんが私を呼びにきてくれた。
分娩室に入ると、もう赤ちゃんの足が見えていた。
奥さんは、こちらに背を向けて横向きになっていたが、
横顔だけで、いつも笑顔の奥さんからは想像できないほど苦しそうな表情をしているのがわかった。
私には気づいているようだが、とても会話ができる状態ではなかった。
周りの助産師さんも看護師さんは、「頑張れ」「もう少し」と声かけをしてくれており、私も手を握ったり、腰にテニスボールを押し込んだりした。
私が分娩室に入ってから数分後、
体感は数十分はあったが、子は無事取り上げられた。
奥さんは横向きから仰向けに体勢を変え、私の手を強く握り返してきた。
いつもとはまた違う笑顔の奥さんがそこにはいた。
子は奥さんに抱かれ、私は写真を撮った。
助産師さんは私にも抱きますかと聞いてくれたが、
初めて間近で見る新生児は想像よりも小さく、
咄嗟に「いいです」と言ってしまった。
助産師さんと、子の体に異常がないか一緒に確認させてもらい、再度、抱いてみるかと聞いてもらった。
恐る恐る、初めて抱いた我が子は、抱いてみると余計に小さく、
抱いていることを忘れそうになるくらい軽かったが、重みは感じた。
わずかではあったが、新たな家族3人での時間を過ごし、私は分娩室を後にした。
待合には、また別の未来の父親が数人待っていた。
呼ばれることはないんじゃないかと思うほど、長い時間を過ごしていたが、病院に着いてから1時間ほどしか経っていなかった。
窓の外は、雲の切れ間から太陽が顔を出していた。
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