「男としてのケジメをつけた」って何ですか?
今日もこちらの記事に辿り着いて頂きありがとうございます。
11月も終わりに近づきましたね。
ある芸能記事にて気になる文言を見つけました。
結婚不適合者と称してきた
Aさんが、
ついに「男としてのケジメ」を
つけた。
ケジメをつける、
という言葉の裏側に前提として
「女性は待たされている=婚約を提案する権利はないのだから、男として責任を取れ」と
いったようなニュアンスを感じます。
とういうことなのでしょうか?
①「ケジメ」とは
はっきりさせるべき物事の区分。節度のある態度。
うまくいかなかったことに対し責任や反省を明確にする行動。(Weblioより)
今回の場合は、
長く交際をしてきたAさんが
相手の女性との関係を
法的および公的に効力のない「交際」に
とどめるのではなく
「結婚」という公的な関係を結ぶことに
踏み切ったことを
「男としてのケジメ」と
定義したのだと思います。
二人の関係をはっきりさせたという点で、
「ケジメ」という表現が近い、
ということは理解できます。
②「男として」とは
どういうことでしょう。
ケジメをつけることに
性別は関係あるのでしょうか?
関係あるか否か、というより、
なぜ「関係がある」とのか考えてみます。
そもそも「待たされている」という認識は、
いにしえの固定観念(女性は社会的自立をしておらず、自身にパートナーを決定する選択権がない)から派生したものだと考えられます。
ふざけんじゃねえ!と憤りを感じる方も多いのではないでしょうか。
「男としてのケジメ」のような
今更性別を取り上げて、男がどうだ、女がどうだという話は
世間の一般常識から離れつつある時代です。
でも、社会にはまだまだ「ジェンダー浦島太郎」がいるんですよね、怖い怖い。
さぞ竜宮城が心地よかったんでしょう。おかえりください。
③ケジメとか他人が言うもんじゃないよ。
ケジメは誰でもつけられます。
そう、別に男性がケジメを取ってもいいし、
女性がけじめをとっても良いんです。
というかケジメとかどうでも良いです。
対外的にどう見えているかは重要ではなく、
二人の中で丁寧にコミュニケーションを取り、合意できていれば問題ないと思います。
今日も一緒に!
UK3
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