見出し画像

殺し合う私たち

こんな経験はないでしょうか?
仕事でもなんでも自分がいいなと思ったアイデアが
一発で否定される。

考える余地も議論の余地もなく、頭ごなしに否定されたこと。

僕は結構ありますね。
仕事ではなく主に学生時代の部活の時なんかが多かった気がします。

自分はこう思う、こうしたいというのが一切通用しない。
完全なトップダウン組織で監督、コーチの言うことは絶対。

今、仕事でも部活でもそんな経験をしている方がいたら注意喚起として
言わせてもらいたいのですが、その状態は危険だと思います。

あなたの素敵で素晴らしい才能が殺されようとしています。

『天才を殺す凡人』という本を読んでいかに日本はもったいない教育や組織が多いのかを考えさせられました。

今日はそんなことを書いていきます!

まず、ざっくり本書の説明をすると
人間には大きく分けて3つのタイプがいます。

凡人=共感性が強い。主語が自分や人。
秀才=再現性が強い。主語が組織やルール。
天才=創造性が強い。主語が世界や真理。

天才だから、凡人だからどうというわけではなくて
誰でも共感性、再現性、創造性は持っていて、持っている割合がそれぞれ違うだけのことです。

ですが圧倒的多数派である凡人は少数派である天才を理解できないから
排除しようとする、異端扱いする。

まさに日本の社会そのものだなぁなんて個人的には思いました。

日本に限らず、人類の多くは凡人らしいのですが
それ自体が悪いことだと僕は思いません。

共感性が強いというのは理屈なしでも共感できてしまえるので強いパワーを持っています。

今はもう落ち着きましたがタピオカブームってありましたよね?

あれって何があそこまで人を引き付けたのかって正直僕は分からないのですが、ゴミ問題というちょっとした社会問題になるほどに流行しました。

あとは若者で流行っている言葉だったり、人気の映画などなど
そういう流行の起爆剤となっているのは共感性で動いている凡人です。
母数が多ければ流行の波も大きくなります。


ですが、日本は凡人であることを強要しているように感じてしまいます。

凡人でも再現性、創造性があるという話はしましたが凡人の多くが

共感性:再現性:創造性=6:3:1

という割合の才能を持っていたとします。

イメージで言うと、日本の社会的圧力や学校教育は

「天才は凡人に合わせろ」
「凡人に創造性はいらない」

みたいな完全に白黒はっきりさせようとしている気がしています。

学校で勉強ができすぎてしまう人や仕事で優秀すぎる人は空気を読めないと
忌み嫌われ

逆に凡人が何かアイデアを出そうとしたら凡人は黙ってろと釘を打たれる。

適材適所といえばそうなのかもしれませんが
なぜわずかでも持っている才能が殺されなければいけないのか。

答えは簡単です。
その方が簡単に多くの人を支配できちゃうからです。


仕事で色んな企画書を提出しても全ボツされたら
もう企画なんてしたくないと思いますよね?

その結果、創造性はあっても
その才能を発揮することが出来なくなる、しようと思わなくなる。


あとは仕事が回る程度の再現性と傷の舐めあいができる共感性を
持つ凡人を量産してしまえば実質的な奴隷の完成です。

学校教育なんて最たるものです。
会社員になるまでのルートを完備して、外れようものなら
無理だ、現実見ろ、大学は出ろ、なんて凡人であることを強要する。

学校では進学率や就職率がブランドになるから
それを利用してさらに凡人を量産していく。

僕たち凡人は社会に自分の才能が殺される、殺されている可能性があります。

ですが、同じように天才という素晴らしい才能を意図せず殺している可能性もあります。

共存しているつもりでも殺し合っていることがあるのです。
天才は凡人を置き去りにし、秀才はルールや数字でマウントを取り、凡人は数の暴力で。

お互いに相容れないのはそもそもの考え方が違うので仕方ない部分はあります。

ですが、凡人は天才を理解してあげることが出来ます。



どういうことか?

創造性の高いものは大抵数値化できない芸術的価値
だったり、新しすぎて良し悪しが測れなかったりします。

数字大好きな秀才にとって数値化できないものは理解しにくいことです。

僕たち凡人も基本的に未知のものは嫌う傾向にあります。
ですが、理屈関係なく共感できてしまうのも凡人です。

反発があるのというのは新しい可能性が眠っているということでもあり、共感されたら「あの人は天才だ!」と認めてくれるのです。

ちょっと説明が難しいのですが

ライブドア事件で捕まったホリエモンさん
絵本を出した時のキングコングの西野さん

が分かりやすいですかね?

世間一般では
ホリエモンはなんかよくわかんないけどやらかしたやばい人
キングコング西野さんはなんか自分に酔ってる人

みたいな印象が強かったのが今では多くの人の印象が逆転している気がします。

もちろん100%天才を理解することはできませんが
天才が天才であることを認めて孤独から守ることができます。

結局のところ何が言いたいのかというと

自分の価値観の外側の価値観を理解しようと思う人がもっと
増えたらいいのになぁ

ということです。

__________________________

相変わらず上手くまとめられません笑

日本でも多様性、グローバル化、移民受け入れなんて言葉が囁かれていますが

内部でさえ多様性を排除しようとしつづけている今のままでは

量産型凡人が増えていく一方だと思います。

ファストフードは受け入れる柔軟性はあるくせに
ちょっとした考え方は頑なに変えようとしないのは

なぜなんでしょうかね?

「色んな人の価値に触れるのがオモロイ」

そんな日本になっていくといいよね。

うじまる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?