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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

『余命10年』を見て※後半ネタバレ注意

〈はじめに〉※ネタバレなし
 『余命10年』という恋愛映画を見てきた。それもなんと、高校の同性の友人と。最初に誤解のないようことわっておくが、私は同性愛者ではなく、ただただ自分とその友人がその映画を見ることでどのような反応が起こるのか知りたかったためにこれを見るに至ったのである。もちろん友人のファーストインプレッションは芳しくなかった。むしろ拒否反応すらみられた。また、そもそもこの再会の目的はラーメンを食べに行くことであり、映画を見に行くことを提案したのはそこに向かう途中での思いつきともいえる。というのも、先日に別の友人とこの映画を見る約束をしていたが頓挫し、私の中でいつかその映画を見て見たいという感情がくすぶり続けていたのである。話は逸れたが、その拒絶をものともせず、いわば「ノリ」で見に行くこととなったのである。

〈IKEAにて〉※ネタバレなし
 ここでいよいよ映画の感想が来ると思った人もいるとは思うが、しばしお待ちを。映画館でチケットを買った後、我々は近くのIKEAに立ち寄った。そこには意外にも(?)高校生カップルがいたのだ。私は特に関心を寄せなかったが、友人は妙に興味を示した。あとから聞くと、その理由はおよそ3つあり、ひとつめは高校生カップルとIKEAという取り合わせのおもしろさ、ふたつめはその高校生がどのような経緯を辿ってそこに至ったのかということ、さいごにそのカップルが友人にとっては初々しいものだったからである。そして友人は「リアルのカップルを見ているのは楽しいけど、映画の中の人工的に作られた(演じられた)カップルを見て何がおもしろいんだ」とこぼした。私は笑って応えたが、内心そのタイミングの悪さを恨みつつもあった。

〈作品について①(見る前の印象・なぜこの作品が見たかったのか)〉※ネタバレなし
 さてこの映画、見るとなったはいいが前情報がほとんどない。なので詳しい講評はできないが、そのぶんこの作品を知らない人が読んでいてもおもしろい記事になるようにするつもりだ。まずは、私がこの作品に対してどれほどの認識だったかを確認してみよう。
・恋愛もの
・インスタのストーリーでよく見かける→おそらく流行ってる
・主演が坂口健太郎(小松菜奈が相手役ということは知らなかった)
・とにかく泣ける!
 本当にこれくらいの認識しかなかった。〈はじめに〉にもあるように、私にとってこの映画を鑑賞することは一種の実験であった。なぜなら、私は感動系の作品でとにかく泣かないため、今度こそは泣けるだろうという淡い期待を持っており、要するに、「映画を見て感動して泣く」という経験をして見たいという浅はかな願望があったのだ。

〈作品について②(ストーリー)〉※ネタバレ注意
 ここからはネタバレ注意!3回も言っておけば大丈夫でしょう。
 物語は病室のベッドから始まる。私たちは映画館に入ったのがギリギリだったので座ってからすぐに作品の上映が始まってしまった。
 チケットを購入したのが映画館入場の約2時間前で、その時はまだかなり空き席が目立っていたため、場内は空いているものだと予想していたが、蓋を開けてみるとほぼ満員だった。しかも、男性の客が圧倒的に少なく(いたとしてもカップル)、完全にアウェイだった。こういう状況は初めてだ。
 最初から坂口×小松のカップルが成立していたわけではなく、同窓会で再開し、そこから距離が縮まっていくという展開だった。小松演じる茉莉(まつり)は人知れず不治の病と闘病中だ。一方で坂口演じる和人は実家が潤っているが両親とは絶縁状態で、自殺を試みるも失敗し、茉莉に忿怒されたことがきっかけのひとつとなり、茉莉に心惹かれていく。この和人のキャラクターがおもしろく、イケメンだが奥手で、さらには『サザエさん』の堀川くんという、サイコパスとして知られるキャラクターと一部行動が重なっていたのだ。その行動とは、和人が自身の飲食店を開くときに、店名を「まつり」にしていたことである。これは、堀川くんが親戚にもらったひよこに「わかめ」と命名したことに通ずるものがあるのではないだろうか(知っている人も多いだろうが、『サザエさん』には磯野わかめという登場人物がおり、堀川くんはその同級生である)。しかし多くの観客はこの異常性に気が付いていなかったように感じる。それも含めて面白いと感じた。(詳しくは次章で)
 しかも和人がすごいのはこれだけではない。彼は茉莉と付き合う前のアプローチで執拗に手を握ったりハグをしたり、さらには店長に許可を得ているとはいえ、彼女の最寄駅を走り回るほどである。ここまで異常なキャラクターは滅多に見られないと感じた。それともこういうキャラが創作物の中では一般的なのだろうか。現実では即逮捕だろう。
 さらに、その片鱗、というよりも彼が恋愛に奥手であるが故の奇妙さは冒頭の同窓会から見られた。(おそらく)高校時代に、和人が茉莉に制服を直してもらったエピソードを、和人が嬉しそうに語るが茉莉は覚えていなかったのである。このあたりから、かなりこの物語の方向性が見えてきた。
 それを引き立てていたのが彼らを取り巻く同級生たちの存在である。実家が裕福だからなのか、和人は根暗だがいじめられてはおらず、しかもクラスの中心人物となぜか良い関係で、その人物がキューピットになるという出来過ぎた構造になっていたが、そこにツッコミを入れたらキリがないのでおいておく。
 印象的だったシーンを3つほど紹介しよう。これらは全て茉莉に関するものである。1つめは、やけ食いするシーン。医師からは塩分の摂り過ぎを控えるように言われているが、ビールジョッキ片手に、泣きながらピザを口に詰め込むシーンに引き込まれた。2つめは、終盤で瀕死の状態の茉莉の姿が豹変してしまうところだ。髪をベリーショートにし、さらに役作りのためのダイエットもあってか、かなり痩せこけてしまう。これほどの変化を急に見せられるショックは大きい。3つめは、その続きで、和人が病床の茉莉の手を握るシーンで、茉莉に医療用酸素マスクが装着されていることだ。茉莉はほとんど動けないため一瞬死んでいたかのようにも思えたが、そのような誤読を阻止するためにしっかりと補助線が引かれていた。
 この映画には、先程のシーンもそうだが、観客の誤った解釈を避け、置き去りにしない易しい仕掛けがとにかく多かった。これは私が『エヴァンゲリオン』のファンで、『エヴァ』に慣れてしまったために感じたものなのかも知れないが、その温度差はかなり感じた。また、エンディングにRADWINPSを登用するのも、「はいここで感動してくださいね〜」という製作者側からの誘導という解釈もできるだろう。

〈作品について③(泣けたかどうか)〉※ネタバレ注意
 ここからが本題である。果たして、我々非モテ男コンビは泣いたのか!結論から言うと、泣かなかった。というより、どこで泣けばいいのかわからなかった。仮に泣けそうなところがあったとしても、松重豊があまりにも白髪頭で、あまりにもストレートネックでそればかり気になってしまった。

〈おわりに(映画館で映画を見ることの意義)〉※ネタバレなし
 この作品を通して、改めて装置としての映画館の素晴らしさを再確認できた。自分が一視聴者に過ぎないことを突きつけ、早送りや巻き戻し、一時停止の通用しない一期一会の瞬間の数々。そして感動の共有という機能を初めて知った。前にも述べたように、我々は全く泣かなかった。しかし会場では物語が進むにつれて、観客の啜り泣く声があちこちから聞こえた。この体験は、自分が能動的に参加できなかったとはいえ、とても貴重なものである。
 因みに友人は映画を見に来ること自体が5年ぶりらしく(その時に見たのは『黒子のバスケ』だそう)、「映写機の真下の席だから、ここからペットボトルを投げ上げたらどうなるだろう」と考えてしまったそうだ。おそろしあ(や)。

〈作品について③(おまけ)〉※ネタバレ注意
・個人的に驚きだったのが井口理である。かなりハマり役だと感じた。クレジットに「King Gnu」と書いていないところにこだわりがあるのだろう。
・茉莉が吐いてしまうシーンで吐瀉物が見えていたのがよくなかった。アングル次第でいくらでも隠せるカットだ。
・茉莉は文才があるという設定だが、どれほどすごいのかが伝わらないためリアリティに欠ける。受賞歴などがあれば尚良かった。
・和人が嘔吐するシーンは、前のシーンで同人物がビールしか飲んでいないため無理がある。これもリアリティに欠ける。
・茉莉の病気のことをその家族と和人しか知らないため、リアリティがない。

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