ICT教育の黎明期~過渡期を終えて

 最近長くてちゃんとした文章を書くことに慣れていない。教員という仕事に就いている以上、出来なければいけないスキルなんですけど。どうしても、1000字以上(原稿用紙2、5枚)になるとめんどくさがってしまう。

 元々は地元で公立の教員として勤める予定だった。しかし、東京の私立学校に勤めるようになったのは、大学院で研究した内容を同じような環境で実践して、論文としてまとめたかったからです。

 しかし、仕事をし始めてなかなか手が付かず今に至ります。そろそろちゃんと自分なりにアプローチしていかないといけないと思っています。学会とか教育系企業とか。父や恩師を見た先生の楽しさを求めて教員を志したわけですが、大学院で芽生えた「教育」というものへの探求心は忘れていません。むしろ増しています。いや、マシマシです。

 元々の専攻は、教育学(修士)国語教育専攻です。現代文学が持つ教材としての有効性を何とかして示したい。いずれは。

 未来にはこうするぞっていう思いを持ちつつ、現在はICT教育についてまとめています。いずれはもっとちゃんとした形で、プロットも作って、文章化したい。その上で今日は簡単な必要なメモとして頭の中で考えていることを残しておきたいと思います。

 オンライン授業の実施から現在に至るまで

 3月の緊急事態宣言から教育界(教育業界)は、様々な対応に追われました。対面が常だった環境が大きく変わり、ICTを用いたオンラインでの教育活動が求められるようになりました。

 勤務校においても同様です。当初は戸惑いがあったものの、機器(iPad)の支給、タスクツール(Teams)の決定、教員への研修、実施とスムーズに進みました。まずは、形としてのICT教育が定着したと言えると思います。※ここら辺の経緯は今後詳しく。

 その後、宣言は解除されて、とりあえずは通常の対面授業形態に戻りましたが、年明けに再びの緊急事態宣言が発令されました。勤務校では時差・分散登校とハイブリッド型授業(登校生徒と自宅生徒へのリアルタイム授業)を実施し、通常時間割による教育活動を継続することが出来ました。これは1度目の経験と、教員と生徒双方の努力によるものです。

 ICT教育の可視化

 多くの変化が学校側に求められました。先生方も苦労したと思います。が、しかしこの変化は、実は緊急事態宣言が無くとも「やろうと思えば出来る」という事実が示されたとも考えています。実際に生徒が登校できないという状況が生まれたことによって、必要性が生じ、初めて本格的に始動しました。

 以前からICTの技術自体は存在していたわけです。これまでもICT教育の有益性は叫ばれていましたが、実際に用いている学校はほんの少数であり、その他の学校は従来のやり方が変わる事への不安や、不十分な環境により本格的な導入には至っていませんでした。学校は、旧態依然の方法が根強く残る職種であると思います。効率化、改革よりも慣習、情緒が優先されることが多い。たとえ変える方がいいと分かっていても、変えるのをどこかで嫌っているんです。「先生だったら~しなければいけない」「学校は~であるべきだ」という意識は、日本の学校教育に昔から根付いているもので、なかなか変わりません。それは仕事の方法についても同じ。紙で出席簿作って、何十枚もコピーして、何時間も会議して。阻害要因となっていることに気付いてるのかどうかは知りませんが、もっと良くなる方向に行きにくい。

 この状況が、コロナによって大きく変わりました。必要に迫られて、というと開国・明治維新・文明開化みたいに感じますが、やらなければならない状況になって、やっと動いたのです。

 結果として何が起こったか。これまでは差として認識していなかったICT教育の有益性が可視化しました。では、この後何が起こるか。便利さを知った後で、「出来るのに出来ない環境」を生徒や保護者は選ばないでしょう。つまり、これまでのような付け焼刃ではなく、本当の意味でICTを活用している学校が選ばれる(生き残る)ようになると思います。

 今後の展望

 上記を踏まえて、まず気を付けなければならないのは、ICTを活用していることに満足してはいけないということです。既に多くの学校が用いている中、今後は「ICT教育を行っているか」「デバイス・ツールは何を使用しているか」ではなく、「ICT教育によって、生徒に何を身に付けさせるか」「ICTの活用で、教員の働き方をより良くしていくためには、何が必要か」を考え、日々実践しなければなりません

 ICTの活用によるオンラインでの学校教育活動が定着し、ある程度慣れてきて感じたのは、大きく二つあります。

1.授業への更なる活用

 緊急事態宣言下でフォーカスされたのは、「オンラインでも授業が可能」だという点です。場所や時間を選ばず、生徒に教育を届けることが出来るのは、今回生じた登校制限という事態において大きなメリットでした。

 しかし、その内容がこれまでの授業と変わらないままでは、いずれ停滞してしまうでしょう。ICT教育=オンライン授業ではないのです。今回生じた必要性が、オンライン授業だったというだけ。教育界がICTを本格的に取り入れる転機となりましたが、必要が無くなり元の形の戻ってしまえば、成長は望めません。現在、コロナ以前とは言いませんが、多くの学校が通常の登校形態を取り戻しています。授業は対面です。ICTを使わないと授業が出来ないという環境ではなくなりました。

 ここで持たないといけないのは、「授業の質を更に良いものに変えるためにどうICTを用いていくか」という視点だと私は思います。機器の使い方は生徒も教員も身に付けた。それを通常の授業で活かしたい。

 本年度、私自身色々なことを試みました。

 ・レポート作成(芥川龍之介「羅生門」・安部公房「赤い繭」)→Wordで作成→PDFに変換、Teamsの課題機能を使ってオンラインで提出

 ・J-popの歌詞の解釈→自身の好きな歌を解釈し、グループで発表→Youtubeで曲を鑑賞し共有

 ・Formsを用いた小テスト

 ・PowerPointでプレゼンを作成→プロジェクターで発表

 授業では、教科書の本文をプロジェクターに映して書き込んだり、動画を見せたりと、より視覚的なアプロ―チが可能となりました。現代文においては生徒への一般化が求められますが、文字だけではどうしても退屈になりがちで、イメージもしづらい。そこで、文字だけではなく音・映像・写真などを利用し、文章を生徒たちの身近なものとして捉えさせることが出来ました。

 生徒へのアンケートからわかったことは、結局のところ、授業で何を用いるかではなく、質の重要性です。その質を向上させるために教員はICT機器を用いるべき。ただ使っているだけでは置いていかれます。より良い授業を可能にするツールとして、ICTを今後更に活用していくことが求められていくでしょう。

 2.学校運営への応用

 もう1つは、学校運営を円滑にするためにICTを用いるという事です。

 生徒への配布物も教員間の書類も会議資料も、全て紙ベースで配っていました。しかし、PDFで配布することで時間と場所に関係なく全て共有できます。

 会議の為だけに休みの先生が来ていました。しかし、オンラインで会議に参加することが可能です。朝礼での連絡は全て口頭でメモを取っていました。しかし、グループに投稿すれば書き残すことなくいつでも見ることが出来ます。

 生徒への連絡を忘れてしまったとき、伝える方法は電話するしかありませんでした。しかし、クラスのチームに投稿することで伝えることが出来ます。

 個別の生徒への対応、受験生への指導、全員に対面で対応するのは時間が掛かります。しかし、管理されたチャットを用いることで円滑な個別対応、指導が可能になります。

 何か緊急の事態が生じたとき、近くに誰かいなければそれを伝えることが出来ません。しかし、手元にある器機からすぐに助けを呼ぶことが出来ます。

 その他、細かな点を数え上げるときりが無いほど、便利になるのです。勤務校も大きく働き方が変わりました。細かな連絡と連携により、業務に掛かる時間と手間が短縮され、教材研究や自身の生活に充てる時間にも余裕が生まれたのです。

 「教員はブラック」と言われます。確かにその働き方は変えるべき。教員って素晴らしい仕事ですって胸を張って言いたいし、教員になりたい人も増えてほしい。生徒と共に、僕ら教員も楽しく働きたいですよね。ICTを用いれば可能になる。

 1年間で大きく変わった教育界。今後の在り方は、学校と働く僕たちにかかっている。良くしていこう。生徒のため、そして働く僕たちのため。頑張りましょう。

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