うえぴー
春は魔物だ。 冬の間に固く閉ざしていた心に、ふと、温かい風が吹きつけると油断してしまうのだろうか。 気持ちにさざ波が立つ。 情緒が揺らぐ。 涙腺が緩む。 それと同時に、浮かれ出すものがある。 萌え立つ感覚がある。 春は、だから危険なのだ。 文字でしか伝えられない感情がある。 言葉でしか届かない気持ちがある。 歌でしか震えない心の琴線がある。 もし人間に永遠の命があったとしたら、きっと人生は輝きを失くすだろう。 なぜなら、明日は、未来は、必ずやって
ドルオタを本気で一年間やってみて気づいたこと お久しぶりです。誰も待ってないと思うけれど。 前回の記事(1月!!)からお前はいったい何をしていたのかというと、全力でオタ活をしてました! と胸を張って言い切ります。 前回の記事以降にあったことを簡潔に説明すると、 続けざまに推しの卒業発表⇒実際の卒業 があったのです。 半年ほど前にも、心底から愛したアイドルの卒業があり、心に相当な深手を負ったことがある。 こんな思いをするくらいなら、「もう恋なんてしない」(©
ドルオタと『めぞん一刻』の相関関係について ~あるいは音無惣一郎と五代裕作をめぐる物語~ ドルオタなら誰しも「推しの卒業」という悲しみを経験していることと思う。その悲しみを抱えたままどう生きていくか、今回はそんなお話です。 ぼくにとって、アイドル業界で「あのひと」と呼んでいるのはただ一人だ。心の中での話だけれど。 ここで言う「あのひと」というのは、英語でいえばTheという定冠詞がついた存在、世界で一人だけの特別な存在だという意味合いだ。 おそらくそれは、これからも
すべてのアイドルに希望という名の光を ぼくはアイドルが好きだ。 これまで出会ったアイドルはもちろん、いつか出会うかもしれないアイドルも、これまでに存在し卒業していったアイドルも、全員ひっくるめて好きだ。 なぜなら、アイドルとは、自身が輝き、その輝きを誰かに届けようとすることを使命とする、崇高な存在だと感じるから。 その輝きに触れて、ぼくは背筋を伸ばすことができる。心を震わせることができる。自分の存在意義を思い出させてくれる。 懸命に生きている人たちに接することで、
No Cookin' ,No Life ぼくは料理が好きだ。 食べることはもちろんだけれど、作ることはもっと好き。 なぜかと考えると、それは大学進学を機に一人暮らしをしたことが契機になっている。 実家暮らしの頃は母の手料理がぼくの主な栄養源だった。 おふくろの味というものは、いくら歳を取っても忘れられないものだ。 仕事をしながら家族の料理を作ってくれていたことには愛しか感じられないし、いくら感謝しても足りないくらいだ。 しかし。 今さら言うのも何だけれど、全体
星降るクリスマス ジャングルジムの上から声が降ってきた。 「ねえ、プロデューサーさん。月の声を聞いたこと、ある?」 見上げてみると、聖の顔のとなりに満月が浮かんでいた。 彼女を知らない人が聞いたら、なにを突拍子もないことを言ってるのかと思うだろう。 でも、私はそんな彼女が好きだ。 そして、世界中の人たちにも好きになってもらいたい。 大げさではなく、そのために私は生きているといっても過言ではないのだから。 私は聖と出会った日のことを思い返していた。
アイドルという生き方 (20240104改訂) 【長文注意】 「うえぴーは最近すっかりアイドルに沼ってるよなー」 ぼくを少しでもご存じの方なら苦笑まじりにこう思っていることだろう。 最推しのアイドルが卒業し、9月にぼくは燃え尽きた。 そのはずだった。 それが間違いだったことに気づいたのは、10月下旬。 ドルオタになるきっかけになった仮面女子が参加する大型の対バンライブイベントに参加したときのことだ。 せっかく参加するなら、出るアイドルを片っ端から調べてMV
去年までのぼくには想像もできないと思う。一年後のぼくが、こんなことになっていようとは。 ヘッダに載せた写真のことだ。 これまでも散々に書き散らしたので繰り返しを避けるけれど、今年の4月にほんのちょっとしたきっかけで、ぼくはドルオタになった。 それまでは平凡な、ただの本好きだった(まあ、ただの本好きと言ってしまうのも躊躇するくらいの書痴なわけですが)。 いや、いきなりドルオタになったわけではない。 最初は地元のイベントに来ていた仮面女子に夢中になった。 そこから
忘れられない物語 毎年ある季節になると思い出す物語というものがある。 ヘッダに載せたのは北村薫の『秋の花』。 秋海棠という花の写真が、創元推理文庫には掲載されている。別名「断腸花」とも呼ばれ、子を喪った母の涙が落ちて花になったものと説明される。 「円紫さんと私」シリーズ3作目、初の長編だ。 デビュー当時から追っているわたしは、北村薫が覆面作家だった時代を知っている。本書が刊行されたときには既に覆面を脱いで、素性が明らかになっていたけれど、それが読書に影響を与えたか
定期的に説明をする必要があるならいっそブログタイトルを変えればいいじゃんと思うのだけれど、誤解されたり気を惹かれたりすることを期待している部分もあるので、変えません。 ここでいうBLはBoy's Loveではなく、Book Love(r)、もしくはBook Lifeという意味合いです。 さて、 いやあ、出ましたね。 これは真の「奇書」といって過言ではないでしょう。絶対に手元に置いておきたい書籍。 竹本健治『瀬越家殺人事件』講談社 何がすごいって、いろは四十
文筆家2.0 久しぶりに二次創作で小説を書きました。 というのも、Twitterで相互フォローだった方とお会いするため、共通のコンテンツである「女子高生の無駄づかい」の小説を冊子にしてお渡ししたいと思ったから。 1年近く前から構想はあって、冒頭部分だけ書いて寝かせておいたのだけれど、この機会に切りのいいところまで書こうと思ったわけです。 文庫サイズで16ページ、原稿用紙で10枚程度ですが、頭の中で物語が動いた感触があって、ああこれでまた書き始められる、と少し自信を取
人生の扉 こんばんは、こんにちは、どうもうえぴーです。 いつもお世話になっております。 さて、このたびぼくは50歳を迎えることができました!!! え? い……いつの間に! ほんと時間というものはあっという間に過ぎ去るもので、ぼんやりしていたらこの歳ですよ。まったく。 少し前までなら、「恥ずかしながら……」なんて言っていたかもしれませんが、そこはそれ。今はこれまでの人生でもっとも充実している時期なのでね、実年齢だけで物事を計ることの無意味さを実感しています。
三十五という数字から連想するのは、直木賞の名前の由来になっている直木三十五だ。 不勉強で申し訳ないけれど、彼の著作は読んだことがない。早世した彼のために菊池寛が「直木三十五賞」を創設したのは、北村薫『六の宮の姫君』で読んだ気がする。 直木賞は、ぼくが子供の頃は今のようにエンターテインメント全開の作品には与えられていなかった気がする。気がするばかりで気持ちわるいので、ちょっと調べますね。 気のせいでした。 なんせ、連城三紀彦が『恋文』で受賞してるのは1984年(第
それからの日々 お久しぶりです、みなさまお元気ですか? ぼくは14年間も乗ってきたFITに今日お別れをして、新しいN-ONEをお迎えしてきました。 FITは走行距離22万キロを超え、今年の頭くらいから徐々にあちこちに不具合が出るようになってきました。車軸がぶれて微振動がひどく、エンジンも不整脈を起こすようになって、いつ動かなくなるか分からない、とても不安な状態で乗っていたのです。 そして、8月に契約した車が、本日納車となりました。 周りのみんなからは「早くね? 今
最後のファンレター 【注意】 ここから先の文章はフィクションかもしれないし、自然主義文学の流れを受けたマジックリアリズムかもしれません。 そもそもフィクションの定義とは何でしょう。 ありのままを描写する自然主義文学にしても、『蒲団』の作者である田山花袋はどこまで自分をさらけ出したのかという疑問は常に付きまといます。 著者の主観が入りこんで少しでも誇張や歪曲を加えれば、それはもはやフィクションと呼んでも差し支えないのではないでしょうか。 ……何を書いてるんだ俺は。
自分で自分に驚いています。 あなたが紹介してくれたこの本。 ミステリばかり読んでいるぼくが、初めて読了した創元推理文庫の灰色背表紙なんだ。 説明が必要だよね。 創元推理文庫は背表紙が色で分けられていて、淡いパステルカラー(オレンジとかピンクとか水色とか)がミステリ系、明るい灰色がファンタジー系に区別されているんだ。日本人作家のミステリは黄色だったりする。 で、ぼくが持ってたり読んでいたりするのはもっぱらパステルカラーだったり黄色だったりするんだけど、灰色だって持