ぼくのBL 第三十六回
人生の扉
こんばんは、こんにちは、どうもうえぴーです。
いつもお世話になっております。
さて、このたびぼくは50歳を迎えることができました!!!
え? い……いつの間に!
ほんと時間というものはあっという間に過ぎ去るもので、ぼんやりしていたらこの歳ですよ。まったく。
少し前までなら、「恥ずかしながら……」なんて言っていたかもしれませんが、そこはそれ。今はこれまでの人生でもっとも充実している時期なのでね、実年齢だけで物事を計ることの無意味さを実感しています。
たぶん仕事だけしていたら、とっくに老いぼれて人生の搾りかすみたいな生き方をしていたんじゃないかな。
ここ数年でプライベートにさまざまな刺激を受けて、いまは煌めきの中に生きている。そのことを(自分のためにも)表明しておきたいと思います。
気が付いたら50歳を迎えたぼくの今の心境を、また悪い癖を出して引用していきますね。これを読んでいる若い皆さまの指針になれたら嬉しいです。
人によって考え方は様々だと思います。
誰にもどんな爪痕も残さず、静かに消えていきたいという人もいるでしょう。
ぼくは、一人でもいい、どんな断片でもいい、誰かの心に何かを残せたら、生まれてきた意味もあるんじゃないかと思うタイプの人間です。
40代になってから、二次創作ではありますが、小説という形で創作をするようになりました。
自分が読みたいと思う作品を、自分が好きな文体で書く。現代のユーザーというか読者には見向きもされにくい作風だと思うので、100人のうち99人にはそっぽを向かれるでしょう。
しかし、残りの1人に届けばいい。その1人だって、ぼくの書くもののたった一文でもいい、なにかふとしたきっかけで「あ、この文章、なんか心に残ってるんだよな……誰の作品だっけ?」とたまに思い出してくれる程度でいい。
二次創作でよくあるタイプの台本形式ではなく、きちんとした文章で書いているのは、ぼくだったらそういう作品の方が心に残りやすいからです。
まあ、こんな文学論はいいんです。問題は50歳というところ。
ぼくが子供の頃は五島勉『ノストラダムスの大予言』という本がベストセラーになり、1999年に世界は滅亡するという世界線で生きていました。
1973年生まれのぼくは、X-dayには26歳。
それ以降の人生を想像することは難しかったのです。
何事もなく2000年を迎えたぼくは、一種の虚無感に襲われました。
あれ、生きてるじゃん、世界、終わらなかったじゃん。と。
仕事に追われていたことも関係しているでしょうが、それ以降の人生はなんとなく余生を生きているような惰性を感じていたのも事実です。
その時その時では懸命に生きていたのでしょうが、あとから振り返るに、たいして記憶に残る生き方ではなかった。
仕事して、読書して、食べて、飲んで、寝る。
遊ぶにしたって、それほど本気ではなかった、そんな気がします。
それがここ数年でガラリと様相が変わりました。
数年前に出会ったアイドルマスター。これでぼくは創作の楽しみを見つけました。
そして今年。
仮面女子、スチームガールズに出会ったことで、さらにぼくの人生は煌めきを増しました。
去年までの自分ならアイドルの追っかけをしている今の姿など想像もしていませんでした。
オタの道は「推しは作るものではない。いつの間にか推しに落ちている」と言われています。
確かにアイマスを追いかけていた初期は推しが見つからず焦った時期もありましたが、ふとしたきっかけで落ちていました。
そしてリアルアイドルです。
これまでさんざんに書いてきたように、その気はなかったのに気づけば落ちて(堕ちて)いました。
これまでになかった力が体の底から湧いてきて、疲れも知らずに推し活をしていました。
友達からは「うえぴーさん、以前にもましてツヤツヤしてるじゃん」と言われるようになりました。
アイドルという煌めきから不思議な力を授かっていると、いつの間にか底なしのパワーがみなぎってくるのです。
そんなぼくが、このたび誕生日を迎えて、50歳ですよ。
ぼくが尊敬する辻真先という作家さんがいます。
テレビの黎明期にアニメの脚本を書き始め、そのあとミステリ作家として活動されています。1932年生まれ、現在91歳で現役です。
彼のツイッターを見ていると、クールごとに新作のアニメを観たり、新人作家の小説を読んだりしながら的確な感想を書いています。
そんな活躍を見ていると、50歳なんてまだまだひよっこだなと思います。
病は気から。加齢も病だと考えるなら、気持ちが若ければ年を取ることだって怖くない。そりゃあね、体力の衰えは感じてますよ。若い頃は探検部で全国を駆け回ったり、30代はジム通いしてマッチョな体作りをしたりもしました。
ただ、肉体年齢が若くても心が枯れていては意味がありません。
ここで唐突に引用をはじめますね、「また出たよ」とお思いの方はまた次の回でお会いしましょう。
いま竹内まりやの「人生の扉」という曲をヘビロテで聴いていますので、その歌詞から。
1コーラス終わりの「But I feel it's nice to be 50」、これですよ。
50代もいいもんだよ、と人生の先輩が言ってくれています。
続く2コーラスめ。
年を取るたびに、「満開の桜や 色づく山の紅葉を この先いったい何度 見ることになるだろう」と思いを深くするのは本当です。
ここで竹内まりやは90代まで言及してくれています。
80代だってまだ捨てたもんじゃないんだよ、でもあたしは90過ぎまで生きるけどね! って明るく言い切る。たまらないです。
この曲が収められたアルバムタイトルは「DENIM」。
新品もいいけど、時間が経つことで煌めきを増すものだってある。
輝く何かは、今じゃない、この先にだってあるんだ。
そして続きます。
弱っていくことは悲しい、年を取ることは辛いことだ、人生に意味なんてない、と人は言う。
でも、人生は生きる価値があるとわたしはまだ信じてる。
ぼくの人生は、これからまだまだ煌めきを増していく。そう信じてるし、その気力にも満ちています。
その力をくれたのは、他の誰でもない、あなたです。
誰かがどこかで言っていたか書いていたことを、ぼくは毎年実践しています。
誕生日は自分のためのものだけではなく、生んでくれた、育ててくれた親や家族に感謝をする日だと。
今日は休みを取りました。
日が昇ったら墓参りをして、ぼくをこの世に生み出して、ここまで見守ってくれた両親と祖父母に感謝を伝えてきます。
そしてこれからいつまで続くかわからないぼくの人生に関わってくれている皆さんに、絶え間ない幸せが降り注ぐように祈ってきます。
これまでありがとう。
これからもよろしくね!
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