ぼくのBL 第四十四回
すべてのアイドルに希望という名の光を
ぼくはアイドルが好きだ。
これまで出会ったアイドルはもちろん、いつか出会うかもしれないアイドルも、これまでに存在し卒業していったアイドルも、全員ひっくるめて好きだ。
なぜなら、アイドルとは、自身が輝き、その輝きを誰かに届けようとすることを使命とする、崇高な存在だと感じるから。
その輝きに触れて、ぼくは背筋を伸ばすことができる。心を震わせることができる。自分の存在意義を思い出させてくれる。
懸命に生きている人たちに接することで、自分の中に埋もれている情熱を奮い立たせてくれるのだ。
生きていくだけで息苦しさを感じるこの世の中にあって、ありのままの自分を全肯定してくれる存在など、めったに存在するものではない。
アイドルはその稀有な例外だ(家族や付き合いたての恋人などを除く)。
ファンになった自分に対して、アイドルは自分のすべてを肯定してくれる(ように感じる)。だからぼくはアイドルのすべてを肯定する。肯定したくなる。
ぼくは、楽曲を真剣に聞き、ステージをちゃんと見て、良かったことを相手に伝える。言葉で、文章で。授かるだけではなく、きちんとお返ししたいと思うから。
アイドルから受け取った煌めきを、サイリウムという光の棒でアイドルに返す。その光の愛を受けたアイドルが、さらに光度を増した煌めきを客席に返す。ライブの現場は、この美しい幻想のラリーが続く競技場だと、ぼくは思っている。
昨年の春からアイドルに夢中になって必死に追いかけ、たくさんの現場を見てきた。
特典会でお話しすることも多く、そこでのやり取りを通して今のぼくが感じていること、アイドルに対して思っていることを、今年の第一稿にしたいと思う。
第四十一回の記事にも連動するので、お時間のある方はお読みいただけると幸いです。
上記の文章の中で、「アイドルとファンは月と太陽の関係、お互いを照らし合うもの」といった趣旨を述べた。
今回は地下アイドル業界全体を見渡して、普遍的な愛の話をしようと思う。
以前、あるアイドルの卒業公演に参加したときの話。
最後の挨拶の中で、卒業する彼女はこのようなことを言っていた。
「舞台に立つのが怖くて仕方がないことがたくさんあった。まわりにいる全員が敵なんじゃないか、自分の色のペンライトを振ってくれていても、本当は私のことなんか好きじゃないんじゃないか、そんな風に思ってしまうこともあった」
もちろんこれは挨拶のごく一部を切り取ったものだ。
全体でいえばアイドルをやっていて本当によかった、まったく悔いはないという前向きなものだったので、誤解しないでいただきたい。
そこでぼくはハッとしたのだ。
応援している側は(僕に限ってかもしれないけれど)、そんなことを微塵も思っていないし、考えたこともない。
けれどアイドル側の不安というものに関して、あまりにも考えがなさすぎた自分に気づいて愕然としたのだ。
もちろん緊張はあるだろう。心身の不調で万全のパフォーマンスができずに落ち込むこともあるだろう。しかし、自分の推しであるはずのファンに対してまで疑心暗鬼になるという修羅が存在するとは、露ほども思っていなかったのだ。
そこでぼくは考えを新たにした。
もっと本気を出して向き合わなくてはアイドルに対して失礼だと。
だから、応援しているアイドルが目の前にいれば全力で応援する。たまに別のメンバーによそ見していることがあっても、それは箱推しを基本にしている身としてはグループとしてのパフォーマンスを観察しているという意味合いなので大目に見てほしいところだけれど。
ここで少し話をずらす。
以前、二次オタの友達数人とカラオケに行ったときのことだ。
それぞれの持ち歌(もちろん二次の歌)を歌うときに、みんなが持参していたペンライトを振ってくれたことがあった。なんでペンラを持ってんだ、という疑問は措いておくとして。
(うわー、マジで気持ちいい)
規模はまったく違うが、アイドルってこんな気持ちで歌ってるのか、と思ったらほんの少しアイドル側の心理が理解できた気になった。
だから、ぼくがアイドルを応援するとき、ペンライトを持っていれば気持ちを込めて振るし(激しく振ったり絶叫でコールを入れるという意味ではない)、カメラを持っていれば可愛い瞬間、カッコいい瞬間を切り取りたいと思って真剣に見ている。
アイドル一人ひとりに目指すものがあり、その光に向かって必死にもがいている姿を見ると、ぼくはどんな風に応援したらいいんだろう、どうしたら気持ちが伝わるんだろう、と焦燥感とともによく考える。
現場に足繁く通えばいい、それはわかる。
特典会でいっぱいお話しすればいい、それもわかる。
ただ、人生は有限だ。行きたい現場すべてに行けるわけではない。
仕事や距離、金銭的な問題はファン全員が抱えている問題だと思う。
取捨選択は必然だ。
単推しで俺にはその子しか見えない、という熱狂的なファンもいるだろう。
DDで誰にでもいい顔をしたいというファンもいるだろう。
ガチ恋勢だっているし、同担拒否だっている。
コールに命を懸け、喉も割けんばかりに絶叫する人もいる。
激しいオタ芸で愛を表現する人だっている。
そんなファンの中で、ぼくの立ち位置はどのへんなのだろうと客観視したくなる時がある。
ここで唐突にぼくのアイドル観を説明しておきたい。一部の友人にはDDじゃないかと思われている節があるので。
ぼくがまず何よりも最優先するのは楽曲だ。
ドルオタになるきっかけになった仮面女子はまさにそれで、メロディに心を鷲掴みにされたことでハマっていった。
そこから半年ほどは同じ事務所系のスチームガールズ、カタクリ娘伝説を中心にライブ参戦していた。どのグループも楽曲がぼくの好みだったから。
視野が広がったのは、以前にも書いたが、対バンライブに参加した時のことだ。
それまでに経験したことのないような曲、メロディ、ダンス、衣装、そういったものが次々と目に耳に飛び込んでくるようになった。
世界は広いな。つくづくそう思った。
そこから現在のぼくが出来上がってきた訳だけれど、好きになったグループ、メンバーができたとしても、推しを自認するまでにはちょっと時間がかかる。
まず、楽曲がいまひとつぼくの感性にマッチしないグループの場合、お金を出してまで特典会に行こうとは思えない。
顔がいいという理由だけで、もしくはダンスが素晴らしいという理由だけで継続してライブを観て、チェキ会での会話を続けられるかと言われたら自信がない。
だから、パッと見かわいくて即座にチェキ会に行って無料の2ショット写真を撮ったりもするけれど、2度目3度目と接触したくなるアイドルはごく少数だ。
逆にいえば、ルッキズムの観点では食指が動かなくても楽曲が良ければ無条件に特典会に行きたくなるし、そこからいくらでも話が広がるから、会話をすることが楽しみになる。次のライブにも参加したいというモチベーションが継続する。
いざ2度目以降のライブに参加しても、気に入った子に対してすぐには推しを宣言できない。
オタクは面倒くさいと言われる原因だと思うけれど、ぼくの場合は「卒業してもその子の人生を応援したくなるレベル」もしくは「対バンライブに出る持ち時間が15分だけど、地元からの往復に時間も交通費も掛けてまで応援に行きたくなるレベル」にならないと推しを自認したくないのだ。
特典会で交わした会話だとか、SNSやチャットなどでの立ち居振る舞い、アイドルに対する向き合い方などを知り、それでも引き続き応援したくなり、仕事をやりくりしてでもライブに行きたいと思うようになってはじめて「そろそろ推し宣言しようかな」となる。
ね? 面倒くさいでしょ?
ただ、アイドル一人ひとりに夢と希望と目標があり、そこを目指して必死に羽ばたいていることに関しては、すべてのアイドルに尊敬の念を覚える。
大型対バンライブに何度も参加しているけれど、行くたびに名前も知らないグループが何組も登場している。それこそ大空に広がる星たちのように、たくさんのアイドルが存在しているのだと思うと、目がくらむようだ。
だから、いつだって機会と時間があれば未知のグループを見てみたいし、想像もしなかったベクトルからぼくのハートを掴んでくるアイドルがいるかもしれないと期待に胸を膨らませている。
さて、アイドルと言われて思い出す曲ということで、前の記事ではNegiccoの「愛は光」を紹介した。
実はそれ以外にもアイドルを重ね合わせてしまう曲がある。
下で紹介する、山下達郎の「希望という名の光」だ。
時間のある方は、まず聞いてほしい。
CD音源ではないが、山下達郎本人の歌唱しているバージョンだ。
現役のアイドルがネガティブな胸の内を明かすことはあまりないけれど、卒業や引退、退所などで業界を離れるときに、正直な気持ちを吐露することがある。
これまで何度かそういった文章を目にしたり本人の口から聞いたりして、やはりアイドルという職業は、命を削り自分を消費していくものなのだと思わされた。
その崇高な姿を見て、ぼくはあなたたちを追いかけることを選んだ。
地下アイドルはマスメディアに取り上げられることが少ない。
知名度やリピーターは自分たちの努力で勝ち取らなくてはならない(事務所の力が介在するとしても)。
明日がどうなるか分からない、動員によって自分たちの運命がいつ動かされるか分からない、そういった不安定要素しかない業界に身を置くアイドルたちは、まさに「勇気という名の船」だと思う。
この曲の成立については、大病を患った桑田佳祐、心を病んだ岡村隆史に向けてのエールとして書いたと山下は語っているが、歌詞の内容から発表翌年に発生した東日本大震災に関連付けられることが多い。
実際ぼくも記憶の時系列が混乱して、この曲は震災後に作られたもの、被災者に向けられた曲だと思い込んでいたくらいだから。
ということは、広く万人に向けてのエールと捉えることもできるだろう。ぼくはアイドルの生き方にこの曲を照射できると感じた。
アイドル人生がいつも快晴ではないことくらい、いくらドルオタ初心者のぼくにだって分かる。
悔しさに涙する日もあるだろう。
不安に押しつぶされそうになる日もあるだろう。
でも、ファンとしてのぼくが言えることは「だからどうぞ泣かないで」くらいなのだ。
ありきたりな、古ぼけた、誰にでも言えることば。
それでも、心で言葉で繰り返せば、あなたに、あなたたちに、少しでも伝わるのではないか。
SNSに書き込まれるネガティブな気持ちやライブ中に見せる不安そうな表情、そういったものに触れるたびに、ぼくは祈る。
祈りは愛だ。
愛という名の絆。
ドルオタのぼくがあなたたちに与えられるのは、ペンライトの光と、声援。そういった形での絆だ。
傷ついたあなたたちの心に、ぼくの愛が届くと信じて、ぼくは愛を発信し続けよう。
運命は非情だ。
アイドルを続けたいといくら願っても、さまざまな要因から夢を断念したくなる出来事が襲ってくるだろう。
ただその中でも、ファンの力で、ファンの愛で再び顔を上げて起き上がろうと思えることがあるのなら、その力を送り続けたい。
愛を、絆を、希望を、これからも送り続けよう。
いま、この時を共有できるということは、何にも増して奇跡的なことだと、ぼくは常々思っている。
生まれる国や時代が違っていたら、もっと言えば、生活圏が違っていたり、ちょっとしたすれ違いで、あなたたちとぼくは出会っていないのだ。
だから、せっかく出会えた(あるいはこれから出会えるかもしれない)奇跡に感謝をしつつ、あなたを、あなたたちを「希望」という名の光で照らし続ける。
これが、ぼくのアイドルに対する今の姿勢です。
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