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ぼくのBL 第四十九回

それでもぼくは読書をやめない


 2週間ほどかけて、『模倣犯』(宮部みゆき)を読み終えた。

 内容についての事前情報は何もないままに軽い気持ちで読み始めた。
 読み始めてしまった、と言うべきか。

 重かった。
 ひたすらに重かった。
 途中で逃げ出そうとも思った。

 この先は読みたくない、という気持ち。
 でも先の展開が気になる、という気持ち。
 二律背反が頭の中をぐるぐるしていた。
 けれど、そう思うたびに新たな展開が訪れ、先へ先へとぼくを誘導していく。

 本の読み口に関して「フルボディ」という比喩を使うことがある。
 もともとはワインの飲み口についての表現で、「重厚で存在感がある」といった意味合いだ。
 『模倣犯』はまさにフルボディの1冊で、オークの樽に長期熟成したシラー種のヴィンテージみたいな印象だった(そんなもん飲んだことないけど)。
 極力ネタバレをしないように感想を述べたい。

 原稿用紙3,551枚という超大作だ。紙の本だとかなり厚い。文庫だと厚めのやつ5冊だ。
 登場人物は多く、それぞれの視点で語られる犯罪もののミステリで、捜査関係者だけでなく、犯罪被害者にも紙幅を費やしているのが本書の特徴だろう。
 誘拐・監禁・殺人・死体遺棄・マスコミや警察に対する挑発など、胸糞の悪くなる凶悪犯罪が描かれていく。
 その中に、犯人の視点から描かれる章が少なからず登場する。
 それを読みながらぼくの頭をよぎったのは、これだけ長い物語を、作者はどんな心理状態で書き続けたんだろうという素直な疑問だ。


 以前にも、noteに書いたりshowroomで語ったりしていると思うけれど、ぼくも二次創作とはいえ小説を書いている(いた?)人間なので、執筆中の心理状態には敏感になってしまうのだ。
 特にこの作品を書いたとき「産みの苦しみ」というものを経験したので。


 作家の横山秀夫がこう書いている。

 私の小説はいつも、最初の段階で主人公に強い負荷をかけ、内面で沸き起こる感情の波が物語を推進させていく、という作り方をしています。

小説丸「横山秀夫さん『ノースライト』」より


 白菊ほたるは「不幸体質」を自称することをはばからない。
 14歳にして悟りきったような悲しげな笑顔を見せる彼女の過去に、いったい何があったんだろう?
 気になったぼくは、彼女の物語を作ることにした。
 作らなくてはならないような強迫観念を持ってしまった。
 だって、公式が何も語ってくれないから。
「白菊ほたるの過去を書こうと思ってるんだけど」
 こんなつぶやきに賛同してくれた人がいた。
 Twitterで知り合ったアイマス関係のフォロワーだ。
 その方とのやりとりで、ぼくの頭の中で物語が膨らんでいった。
 ほたるの現在から逆算すると、過去にあったのは相当な悲劇だろう。それも生半可なものではない。
 そう考えてこの物語を書いた。
 少女には過酷すぎる負荷をかけてしまった。
 書きながら何度ほたるに謝ったかわからない。
 こんな目に遭わせてごめんな、ほたる。でも最後にはちゃんと救済するから。
 心が重かった。
 書き終えるまで、それ以前に救済のプロットが浮かぶまで、仕事をしていても休息していても、いつだってほたるの顔が、声が頭の中を占めていた。
 書き終えたとき、大きなカタルシスを得たと同時に、ようやく肩の重荷が下りた、と思った。
 小説に限らず、創作をする人間は多かれ少なかれこういった体験をするのではないだろうか。

 だから、『模倣犯』を読み終えたとき、真っ先に浮かんだのは作者、宮部みゆきの顔だった。
 なぜあなたは辛く苦しい思いを抱えながら3年も連載できたのか。
 なぜ2年もかけて改稿できたのか。
 なぜ想像すらしたくない冷血な犯罪者と付き合うことができたのか。

 重すぎるテーマの本書だけれど、ミステリとしての構成も素晴らしく、特に題名に関する謎を最後まで引っ張っていったのには素直に驚いた。
 なんせ全体の98%あたりまで読み進めても「模倣犯って何のことなんだろう?」という疑問が浮かび続けているのだから。
 それがラストになっていきなり提示され、これ以上ないくらいすっきりと納得をさせられてしまうあたり、「ああ、もうこの小説はこのタイトルしかあり得ないし、一生忘れられねーよ!」という気持ちになってしまった。いやマジで宮部みゆき天才だわ。

 ここで少し脇道へ逸れる。

 「フルボディ」という話をしたけれど、読みながら体力や気力を奪われながらも最高の読書体験をもたらしてくれる作品というものがある。
 ぼくが読んだ中では『猛き箱舟』『砂のクロニクル』(船戸与一)、『シンセミア』(阿部和重)、『ダイナー』(平山夢明)、『涙流れるままに』(島田荘司)、『ガダラの豚』(中島らも)、『クライマーズ・ハイ』『64』(横山秀夫)、『背いて故郷」(志水辰夫)、『砂糖菓子の弾丸は打ちぬけない』(桜庭一樹)、『魔群の通過 ~天狗党叙事詩~』(山田風太郎)、『隣の家の少女』(ジャック・ケッチャム)、『羊たちの沈黙』(トマス・ハリス)、『ペット・セメタリー』『11/22/63』(スティーブン・キング)。
 マイクル・コナリー、トマス・H・クック、ケイト・モートン、ロバート・ゴダードの諸作。
 ノンフィクションでいえば、『なぜ君は絶望と闘えたのか』(門田隆将)、『殺人犯はそこにいる』(清水潔)など、闇の深淵を覗かせてくれる作品が忘れ難い。自分には想像もつかない世界。

 話が取り散らかった。

 心身の調子が良くないときにフルボディの作品を読むとしばらく動けなくなるけれど、それでも読むことはやめられない。
 なぜなら、本を読むことは多くの人生を生きることだから。
 登場人物に自分を重ねたり、自分の中にない思考やロジックに触れて視野を広げたり、今まで動いたことがなかった心の琴線を震わせたり、そんな素晴らしい経験ができてしまうのだ。読書は。
 テレビやラジオや音楽、映画など受動的な趣味と、読書という能動的な趣味とは、やはり厳然と違いがあると思う。
 目が追う文字から想像する世界は、一人ひとり見え方が違う。
 そこが醍醐味だし面白さなのだろう。

 だからぼくはこれからも読書をやめない。

 次回は連載50回!
 なに書こうかなー。

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