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ぼくのBL 第五十回  「整形アイドルプロジェクト ~私+ism~」という事件

はじめに

 地上波でこのアイドルグループが紹介されることを祝して、放映前にこの文章を書き上げておきたいと思った。
 だから、この文章は2024年5月19日と26日に2週にわたってTBS系列の地上波で放映される「週刊さんまとマツコ」のオンエア前に書かれている。
 放送を見たらまた印象が変わってしまうかもしれないし、最初に受けたインパクトが別の形に上書きされてしまうかもしれないから。

日本のアイドル界におけるルッキズムとその破壊

 ドルオタになって1年が経過した。
 それと時を同じくしてこの連載も50回を迎えることになったので、今回の記事はこの1年の「アイドルオタクうえぴー」としての成長の過程を振り返る総集編にしようと思っていたのだ。

 だが、そんなことを言っていられないような事態が起きた。
 出会ってしまったのだ、とんでもない存在に。

 グループ名を「整形アイドルプロジェクト ~私+ism~」という。
 正直に話すと、タイムテーブルでこの名前を見たとき、ぼくの目と心は何も反応しなかった。
 興味なし。
 それで終わるはずだった。

 会場は、初めて訪れた「なかのZERO」小ホール。
 この日のぼくのお目当ては、14:45からのTheWORLD、15:50からのSTELLASTELLA。これらのライブと物販が終わったら帰ろうかと思っていたのだ。
 だが、物販待ちのあいだに見た他のアイドルのことも気になって、その物販にも参加して、お目当てまでには客席に戻って、そういったサイクルを繰り返しているうちに、馴染みのグループCOLOR'zが登場した。いつもとは違った黒・茶系統の衣装、新参のぼくは初めて見るものだったから、これは特典会でチェキを撮らねばいかんと思ったのだ。
 しかし、ライブ終了直後は込み合うし、特典会の開始時間にもラグがあるから、次のグループも見てからでいいか。そう思って客席に残っていた。
 次のグループはほぼ初見だったけれど、ぼく好みの曲調だったので最後まで見ていたことが結果として功を奏した。

 さて、その次に出てきたのが問題のグループだ。
 いわゆるロック×ゴシック×ロリータといった感じのファッションで登場した彼女たちの姿を見て、「あ、こういう感じね」と勝手に納得した。「整形」というキャッチ―な宣伝文句で集められたイロモノね、と。

 ライブが始まった。

(え、何これ?)

 素直に驚いた。
 とにかくレベルが高いのだ。
 歌もダンスもフォーメーションも。
 これは本気で見なきゃダメだ、そう思って襟を正した。
 2曲目。
 BPMの早いロックだ。
 なのにすんなりと歌詞が頭に入ってくる。

(え、なんで?)

 初見のグループでこんな経験をするのは初めてだ。
 「整形」という情報だけ頭に入っている状態だけれど、歌詞から汲み取れるエモーションが多く、涙が出そうになっていた。

 そしてこの曲。
 心を激しく揺さぶられたぼくの涙腺は決壊した。

 繰り返すけれど、初見のグループのライブを観て歌詞を聴きとれることはめったにない。生歌のグループならなおさらだ。
 だから、歌詞が脳や心臓に刺さった痛みで自分が泣いていることは理解していたけれど、「ちゃんと聞き取れる」ことの衝撃に気づいたのは、ライブ後、特典会の時間になってからだった。

 特典会は閑散としていた。
 ぼくの他に1人いるだけ。
 タイミングが悪かったのかもしれないけれど、こんなに素敵なグループならもっと固定ファンがいるものだと思っていたから驚いた。
 おいドルオタども、お前たちは何を見てるんだ? よそ見してんじゃねぇよ! そんな軽い怒りすら覚えるほどだった。
 歌声がいちばん好みだった子と写真を撮り、お話しした。
 褒められたことをとても喜んでくれていたのが印象的だった。
 この時点で、ぼくは彼女たちの情報を何も知らない。

 スタッフさんとも会話をし、フライヤーをもらってようやくこのグループの概要が分かってきた。
 すでに整形していた子たちを集めたグループだと思い込んでいたのだ。
 実際はその逆だった。
 オーディションに合格してから整形をしてデビューするという順番だったのだ。

 帰宅して頭を冷やし、グループ結成までのオーディション動画を見て、ようやく理解した。
 彼女たちにとってこの曲は、悲痛で真摯な魂の叫びだ。

 誰かに伝えたいという情熱、祈り、ひょっとしたら怒りや怨嗟。
 そういった強い意志をぼくは会場で感じ取ったのだと思う。

 そもそもロックとは反体制が根本ではなかったか。
 ぼくが思うに、彼女たちにとっての体制とは、日本におけるルッキズムだ。

ルッキズム(英: lookism)とは、外見重視主義。主に人間が、視覚により外見でその価値をつけることである。「look(外見、容姿)+ism(主義)」であり、外見至上主義、美貌差別、外見差別、外見を重視する価値観などとも呼ばれる。「容姿の良い人物を高く評価する」「容姿が魅力的でないと判断した人物を雑に扱う」など、外見に基づく蔑視を意味する場合もある。

wikipediaより


 見た目至上主義の犠牲になって自分を責めざるを得なかった、自分を責めることでしか世界との折り合いを付けられなかった彼女たちの怒りを、この曲が表現しているように感じた。
 弱い自分、醜い自分、自責の念、自傷行為、醜形恐怖、自殺願望、希死念慮、諦念。
 そんな強い負の感情に囚われながらも、思い切ってオーディションに参加し、自分のトラウマを他者に打ち明け、「整形」という通過儀礼を経て新しい自分を獲得した彼女たち。
 この曲は、新たな自分、強い自分から、過去の自分がそうであったような弱者へ送る渾身のエールなのだろう。
 ステージから発せられる熱量がすさまじいと感じたことにはこんな理由があるんだな、と思った。
 そりゃ心が動かされるはずだわ。

 かつての自分が抱え込まされていた強烈な劣等感。
 もし今そんな感情を抱えて孤独に負けそうになっている人がいるなら、私たちが寄り添うから。あなたは一人じゃないんだよって何回だって言ってあげるから。
 そんな強い強い慈悲の気持ちを感じた。


「容姿不問」という衝撃

 Girls Re:bornというオーディション動画を見た。全12話を一気に。
 整形のビフォーアフターでだいぶ変わっている子が多いし、名前も変わっているので、鑑賞後は頭が混乱していた。
(会場で見たこの子は……オーディション動画でいうと、誰?)
 翌日にもう一度、全話を通しで見た。
 ようやく整形前と後の姿が一致した。


 そんなオーディション動画を見て、ぼくは「整形」というものに対して持っていた概念が完全に覆された。
 半世紀も生きてきて、こんなにも簡単に価値観が反転するなんて思っていなかったから、正直かなり驚いた。同時に猛省した。

 それまでは「金持ちの道楽」とか「まわりは可愛いと思ってるのに自分だけが不満な人が自己満足のためにやっている」とか、そんな程度の認識だった。
 だから深く知ろうともしなかったのだ、これまで。
 オーディション動画を見進めるうち、ぼくが持っていた先入観がとんでもなく軽薄なものであることがわかってきた。
 応募してきた彼女たちは、子供の頃からずっと他者から蔑まれ、自己肯定感がこなごなに破壊されている。根強いコンプレックスを抱えている。
 家庭環境も育ち方もそれぞれだが、「アイドルになりたい」「でもこの見た目では無理」「それでもやっぱりアイドルを諦められない!」、そう思い続け、葛藤と苦しみを持ち続けた人たちだ。無理だと思いながらも、歌やダンスを諦めなかった人たちだ。

 一般のアイドルグループのオーディションと画期的に違うのは、「容姿不問」というところだろう。
 願いながらも、努力しながらも、そのスタートラインにすら並ぶことができなかった原石たちが、やっと陽の目を見ることができる画期的なオーディションだ。
 これは個人的な感想だけれど、オーディション動画(#6)でゲスト審査員の村長さんが奇しくもぼくと同じ気持ちを口にしていた。
 才能があるのに見た目にコンプレックスがある人たちに機会を与えるということは、これまで誰も見ようとしなかったフィールドに鉱脈を発見することなのではないか。禁漁区だと思って誰も手を出さなかったフィールドに、とんでもない価値を持つ逸材が潜んでいるのだ。
 これは、可能性を持つ人たちの母数が一気に増えるということを意味している。

 Abemaの番組も見た。
 ちょっとした討論番組だし、構成上仕方のないことなのかもしれないから台本としての反対意見があるのはわかるけれど、パックンと大空氏の薄っぺらい反論には正直しらけた。
 また、わかにゃんPに近いベクトルで話していた戸川氏も「安心・安全の美容整形を」と安全性と年齢制限の話に終始していた。
 「整形に年齢制限を設けるべき」という論調があったけれど、たとえば未成年は整形が受けられないと制定されたばあい、そこまで待てずに自傷する人、自暴自棄になって道を踏み外してしまう人、最悪自ら命を絶つ人だっているだろう。安全性云々よりも差し迫った危険があるということに思いが至っていない。
「結局整形をしてアイドルにするならルッキズムに迎合するのでは」という意見もあった。
 何を言ってるんだ。
 ありのままの自分を周囲から認めてもらえず、何の非もない自分を責めながらもアイドルを諦めきれなかった彼女たちの気持ちを何だと思ってるんだ。
 そのままの見た目でアイドルデビューしたところで、彼女たちから自責の念が消えることはないだろう。ことあるごとに過去のトラウマを思い出してしまうだろうから。
 それでは意味がないではないか。
 鬱積した負の感情は、現状維持では解消することはできない。
 外面を変えて新しい自分に変わることで初めて過去の自分と決別することができる、その可能性で整形を考えるのではないだろうか。
 抑圧され、迫害され、自分を責めつづけ、どこにも居場所がなかった彼女たち。命がけの、起死回生の逆転劇として考える美容整形に、他人がとやかく口を挟む権利などないはずだ。

 容姿に自信のない子のばあい、一般のアイドルオーディションでは、まず見た目で弾かれる。
 いくら歌やダンスが上手くても、1次審査で落とされてしまうのが現状だ。
 ルッキズムに異議を唱える人たちに問いたい。
 あなたたちは一度も見た目で人を判断したことはないか。
 同じ能力を持ち、見た目が違う二人から一人を選ぶとしたら何を基準にするのか。
 生物学で考えてみたらいい。
 優れた能力を持つ相手に、生き物は惹かれるのだ。
 それは腕力だったり、走る速さだったり、料理の上手さだったり、金儲けの才能だったりするだろう。一緒にいて楽しい会話ができる人かもしれないし、自分のことを真剣に考えて叱ってくれる人かもしれない。
 そしてそれは、今の基準に合わせた「可愛い」「美しい」人かもしれない。
 広義の「ルッキズム」は誰の心の中にもあるはずだ。

 人間の場合、時と場所によって美の基準は変わってくる。
 ハワイでは今でも太った女性が美しいとされる。豊かさの象徴だからだ。
 下膨れの一重瞼の女性だって、800年前の日本ならさぞやモテただろう。

 残念ながら今の日本アイドル界は、見た目を無視したグループでは売れない、もしくは売れるまでに時間がかかるのが現状だ。
 掃いて捨てるほど多くのアイドルグループが存在する現在、いくら「見た目じゃなく中身で勝負したいんです」と運営やアイドルが息巻いても、結局最初の1回を見てもらえなくては話にならない。
 もし見てもらえたとしても、心に残るステージができなければリピーターは付かない。
 アイドル戦国時代はそう甘くないのだ。


 ぼくはグループ名以外の予備知識なしに彼女たちのステージを見た。
 その結果、特典会に参加し、次も絶対に見たい、彼女たちのことをもっと知りたい、そう思った。
 ドルオタ2年生になったばかりの初心者だけれど、これまでにぼくが見たアイドルグループは200を超えると思う。
 毎回真剣にライブと向き合っているつもりなので、目は肥えてきたという自負はある。そもそもアイドルの曲を聴き始めて35年は経っているのだ。
 似たような曲調、似たような顔、似たようなパフォーマンス、似たような衣装。そんなグループを嫌というほど見てきた。
 そんな中、初見で目を惹かれ、飛びぬけた歌唱力とダンス、何より彼女たちが発する熱気、そういった総合力で他を圧倒していたのが「整形アイドルプロジェクト ~私+ism~」だった。
 何より、表現することに対しての熱量が高い。
 それは「アイドルになりたくてもそんな資格などない」と思いながらも夢を諦めず、努力を続けていた彼女たちにしか出せないオーラなのかもしれない。

 これからずっと追いかけてみたいグループがまた出現した。


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