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痛快コメディ小説『ギミーペーパー』

 「あかん、あかん、漏れる、漏れるっ!」

 近藤宗伸は走っていた。公園を一心不乱に、小さな四角い建物に向かって。

 彼が走り出す先にある建物、それは紛れも無くトイレだ。

 午後の営業回り中に、突如腹を痛めた彼は、急遽近くの公園内のトイレに駆け込んだのである。
彼の車は、その公園に沿った通りに路駐してあった。

 近藤は二つある内の、奥の洋式トイレの個室に入っていた。

 『ブリブリブリブリ』

 「ふぅ〜、間に合ったぁ。」と近藤は呟いた。
しかしその彼の安堵も、ほんの束の間だった。

 「げっ、紙が無いやんけ!何でよりによって俺ん時やねん!」

 個室の中には、紙切れ一つ存在していなかった。どこを見渡しても、本来在るべき筈のそれは、見る影も無い。

 「参ったな〜、ゲリやから拭かん訳にもいかんしなぁ。最悪や」

 近藤は心の中で思案した。
この時間帯、まだ小学生は学校の時間やから公園にはおらへん。
隣の和式の個室、確認しに行ってみるか?

 いや、あかん、あかん。
今の公園内には、小さな子供達を遊ばせてる人妻達がおる。
下着をずり下ろした状態でここから出たとして、その姿を人妻達に見られでもしたら、それこそとんでもないわ。

 駄目や。外に出るにはリスキーすぎるし、ここにはトイレットペーパーは一枚も無い。

 鞄も車の中に置いて来てしまったしなぁ。
いや、そもそも鞄の中に拭き取れそうな物なんて無かったよな?
取引先との重要書類ばっかやろ?
そんな物を尻拭きに使えるかっちゅうねんっ。

 あかんわ、完全に袋小路やん。

 事実上、自分は状況的にトイレという名の監獄に閉じ込められている。
近藤はもはや、そう思うしかなかった。

 そんな中、再び近藤にそれが襲って来た。
「!第二波が来る!」

 『ブリブリブリブリブリブリ』

「さらに満遍なくチョコレートがコーティングされた感じやな、、、」と近藤は呟いた。

 個室の中に紙が無く、出られもしない状況。
近藤はそんな状況と格闘していた。

 そして彼は完全に防戦一方だった。
この状況を打開するような策など、到底思い付かないのだ。

 一先ず、これを流そう、、、。
 『ジャーーーッ』

 それから5分の時間が経った。

 『コン、コン』
突如、近藤が使用中の洋式の個室の扉に、ノックの音が鳴った。

 「今入っとんねんっ、和式の方行けやっ」と近藤は怒って言った。
やっと腹の状態が落ち着いた近藤は、今度は腹の虫が治らない想いに駆られていた。

 そこに来て、突然のノックの音。
隣の和式が空いているのに、わざわざ使用中の方にノックをするなんて。
どう考えても、茶化されているとしか思えない。

 『コン、コン』
またしてもノックの音が鳴った。
やはり扉の向こうの人間は、自分を茶化しているのか。

 「だから使用中や、スカタン!」と近藤は扉に向かって言った。

  すると扉の向こうから、「お前が近藤宗伸か?」と低い男の声がした。

 「えっ!?何で俺の名前知っとんねんっ、誰や、お前っ」と近藤は驚いて言った。

 「俺は2041年の未来から来た男だ」と扉の向こうの男は言った。
近藤とは対照的に、口調は冷静で落ち着いている。

 「2041年の未来、、、?いや、お前頭おかしいんか?変なこと言うなよ、このトンチキ!」と近藤は言った。

 すると扉の向こうの男は返答した。
「口を慎め、このクソ野郎。俺はわざわざ遠い未来から、お前に紙を届けに来てやったんだぞ」

 「え、、、紙を?いや、あかん、あかん。お前みたいな変人から、紙なんて怖くて受け取れるかっ」
(そしてクソ野郎という言葉が、今ボディブローのように効いてきた、、、)と近藤は思った。

 「おい、お前。その今の状況を理解してるのか?仮に俺がお前に紙を渡してやらなかったら、お前は遂にはここから一歩も動けず、その生涯をこの便所で終えることになる」と扉の向こうの男は言った。

 (悲惨すぎるやろ、俺の人生、、、)
「いや、最悪夜まで待てば、公園には誰もおらんくなる訳やし、そうなれば隣の個室に取りに行けば良い話やろ」と近藤は言った。

 「言っておくが、隣の和式にも紙は一枚も無いぞ。お前の個室と同じ状況だ」と扉の向こうの男は言った。

 「えっ、そうなんっ?」と近藤は少し焦って言った。

 「それに、その状態で夜になるまで待てるのか?日が落ちるまで、少なくとも後5時間以上はあるんだぞ?本当にお前にその精神力があるのか?」と扉の向こうの男は問いかけた。

 「いや、それは、、、」と近藤は答えに窮した。

 「御託は良い。さっさと受け取れ」と扉の向こうの男は言って、扉の上からトイレットペーパーを持った片手が出てきた。

 近藤は少し躊躇った。
2041年の未来から来たなんて、大嘘を吐く人間の紙なんて受け取って良いものだろうか?
しかし自分のフルネームと、自分がトイレットペーパーを困窮しているという状況を知っていたのは何なのだ?

 まさか、本当に未来人、、、?

 「ほら、早く受け取れ。2041年製の最新のトイレットペーパーだぞ?」

 「いや、見た限り現代と全く変わってへんやんっ」

 「良いか?俺だって暇じゃないんだ。それに大の大人同士がトイレの扉を隔てて、会話をしているこの状況、普通に考えればかなり異常だ。お前も早く、その便所から解放されたいとは思わないのか?」

 「、、、しゃーないな、他に選択肢も無いし、、、」と近藤は言って、男が差し出すトイレットペーパーを受け取った。
「あんた、本当に未来人なん?」と近藤は訊いた。

 しかし扉の向こうから返答は無かった。
既に行ったようだ。

 『ジャーーーッ』
用を済ませた近藤は扉を開け、外に出た。

 公園内には、扉の向こうの男らしき人間はどこにもいなかった。
いるのは、活発に公園で遊ぶ小さな子供達と、世間話に勤しむ人妻達だけだ。

 公園内を歩く近藤は、全ての悪夢から解放されたような清々しい気分だった。

 「あの自称未来人、本当に誰やったんやろ」と近藤は呟いた。

 そして公園を出て、路駐していた自分の車に向かう途中、彼は思った。

 あの自称未来人は誰なのは分からない。
いや、もしかしたら本当に本物の未来人の可能性もあるのかもしれないが、今となっては確かめようが無い。

 ただ、あの自称未来人は、悪い奴ではないということだけは確信できる気がする。






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