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青春ミステリー小説『放課後の冒険』 第1話「窓の外の落下物」

 プールの授業の後は、決まっていつも眠くなる。
特に今みたいに、退屈な国語が6時限目にやって来れば、その眠気に拍車が掛かるのは尚更のことだった。

 小学6年生の星野拓実は、授業そっちのけで窓の外の景色をただボーっと眺めていた。そしてたまに欠伸をした。
拓実の席は後ろから2番目の窓際の位置にあるため、授業中に街の景色を思う存分に見渡すことができるのだ。

 窓のすぐ下には、開放的なグラウンドが広がっているが、今の時刻は無人の空間となっていた。
この時期は体育でプールが頻繁に使用されるため、グラウンドが使われる機会は普段より減っているのだ。

 季節は7月になったばかりで、まだ梅雨の時期を脱してはいない。
しかし空には、もうすぐ夏が到来する事を予期させるような晴天が広がっていた。
そんな晴れやかな青空の中で、雲が緩やかに遊泳し、鳥の群れが気持ち良さそうに羽ばたいている。

 そして、窓から入ってくる控えめな風が心地良かった。蒸し暑い教室内で、窓際の席はあらゆる観点から考えても、特権そのものだ。

 6年2組の教室内には、担任の宮田先生が国語の教科書を音読する声が響いていた。
しかしその声は拓実の耳には届いていなかった。
児童文学なんて幼稚でかったるい、と内心小馬鹿にしている彼にとって、国語は一切興味の持てない授業なのだ。

 拓実は普段から国語や英語の授業を完全にスルーしており、テストの成績も毎回赤点だった。
どうしても語学に楽しさを見出せないのだ。

 一方で、彼は科学の図鑑や推理小説を読むことが好きだったし、理科の実験には熱心に取り組む程だ。
理科や社会の成績はクラスの中で常に上位の成績を維持しているので、決して勉強が嫌いという訳ではなかった。

 拓実は教室内に顔を向けた。
先生の音読に合わせて教科書を追う生徒、机に伏せて眠り込む生徒、拓実のように適当に授業を聞き流している生徒、と教室内の状況は様々だった。
それでも教科書に視線を向けて、真面目に授業に取り組む生徒が大半ではあった。

 先生は睡眠中の生徒を起こしたり、教科書に集中していない生徒を注意したりするようなことは敢えてしなかった。

 つい先程、プールの授業を終えた後の6時限目のこの時間帯は集中が持続しにくいことを認めて、彼女なりに配慮しているのだろうか。
宮田先生は30代前半の女性で、少し規律にうるさい部分はあるが、常に生徒の事を第一に考えて柔軟に対応できる先生なのかもしれない。

 先生は音読を中断して、教科書の内容をチョークで黒板に書き始めていた。要点を口で説明しながら、要約した内容を黒板に書き留めている。
それに合わせて、生徒達も続々とノートに板書し始めた。

 拓実の隣の席に座っている保利葵も、例に漏れず、黒板を見ながらその内容をノートに書き取っていた。
葵はどの教科も満遍なく成績優秀で、真面目な性格だからやはりそれは当然のことだった。

 対する拓実は何を考えることもなく、少しばかり葵の方を見ていた。
彼女のショートカットの髪が、窓を通してやって来る風に少し揺られている。

 葵は拓実の視線にふと気付くと、「何よ」と彼の方を向いて小声で言った。

 「何でもねぇよ」と拓実はぶっきらぼうに言って、再び窓の方に顔を向けた。

 窓の外には、屈託の無い青空が広がっている。
その下に、マンションやアパートや一軒家などの建築物が軒を連ね、緑の樹々や遠くの山や大きな河川敷といった自然の景色を見渡す事ができる。

 そんな人工物と自然が混合した街の風景を、拓実は想像を交えながら眺めるのが好きだった。
あれは何の建物だろう、あの部屋にはどんな人が住んでいるんだろう、あの山の中にはどんな野生の動物がいるんだろうといった具合に。

 6年生になると、教室が最上階の4階へと繰り上がる。
そのため、教室の窓からの景色はこれまでに気が付かなかった要素が豊富にあり、意外な発見もあったりする。
普段は見慣れた街の風景が、少し視点を変えるだけで全く異なる風景へと変わるのだ。

 しばらく窓の外を眺めていると、南西の方角に黄色い物体が浮かんでいる事に拓実は気付いた。

 それは黄色い風船だった。
その浮遊物はゆらゆらと穏やかな風に揺られて、グラウンドを挟んで少し先の距離にあった。
ここから直線距離にして100メートルも無さそうだ。地上からの高さは、その半分程度だろうか。

 (どうして風船が、、、?)と拓実は内心訝ったが、同時に彼の中に好奇心が芽生えていた。風船から垂れ下がっている紐の先に、白い封筒らしき物が括り付けられていたからだ。
拓実は目をこらして、それをよく見た。それはやはり封筒だった。
空に浮かぶ黄色い風船の紐の先に、白い封筒が吊るされているのだ。

 拓実の好奇心は一層強まった。
それと同時に、さっきまでの眠気は完全に覚めていた。

 あの封筒は一体何だろう?中に同封されているのは、やはり手紙の類だろうか。
だとすれば、一体そこに何が書かれているのだろう。

 まさか、宝の地図、、、?拓実は突然の自分の思い付きに、胸が高鳴る気持ちになった。

 およそ100メートル先の黄色い風船は、右から左へとゆっくりと横断している。
そしてその風船は、学校前の通りを挟んですぐ向かいにある、公園の真上の位置までやって来ていた。

 その時だ。数羽のカラスの群れが風船の辺りを通過し、その直後にそれは見事に割れて、真下の公園に落下した。

 (あっ!)拓実は声に出す事は無くとも、その一瞬の出来事に驚いた。
割れた風船は、公園内の樹々の辺りに落ちている。ブランコの真後ろの樹々だ。

 公園にはまだ誰もいなかった。学校とその公園はまさに目と鼻の先の距離にあるため、教室の窓からその全体図を細部まで見渡すことができるのだ。

 空からの落下物に気付いた人間は自分の他にいるだろうか?
学校から解放されて、自分が一番乗りに公園まで行く事ができれば、風船の先にある封筒の中身を手に入れる事ができる。

 そして、きっとその中身は宝の地図に違いない。拓実は殆どそう確信していた。そう考える程、大きな期待が膨らんでいく気がした。

 拓実は教室内を見回した。
少なくとも先程の出来事に気付いた人間は、この教室内で自分の他にはいないようだった。

 教室の壁時計を見ると、時刻は3時15分を過ぎていた。6時限目の授業は、3時半に終わる。

 拓実はこの時間が無性にもどかしかった。座席に座る事を強制されて、拘束される事を余儀無くされるこの時間が。

 拓実は何としてでも早く、公園に向かいたいのだ。
この教室内にはいなくても、別のクラスであの黄色い風船が落下していく瞬間を見た者が、他にいるかもしれない。
学校内に共通の目的を持ったライバルがいるかもしれないのだ。

 だが時間的な条件は殆ど一緒の筈だ。
問題は『帰りの会』だ。今はそれが長引かない事を祈るしかないだろう。

 それにしても、どうしてこういう時に限って、時間の流れがいつもより遅く感じるんだろう。

 拓実の胸中は、期待と焦燥で渦巻いていた。拓実はもはや、あの白い封筒の中身を宝の地図だということ以外に考えることはできなかった。
それはもしかしたら、昨夜観た映画の影響もあるのかもしれない。
とにかく彼は決めていた。一人でそれを手に入れて、財宝を探しに行くということを。

 普段の拓実は、自分の興味・関心のある物に対して、独占欲が強い傾向にある訳ではなかった。
ただ、宝の地図となれば話は別だった。
拓実は一人で財宝を見つけて、クラスのヒーローになりたかったのだ。

 彼にとって重要なのは、財宝の独占ではなく、それを一人で見つけたという名声の方にあった。
誰かと協力して財宝を獲得するよりも、たった一人でそれを獲得した方が、当然注目は自分だけに集まる。

 今は、それを早く取りに向かいたいという気持ちが強く先行していた。
ここから走って1分もかからない距離なのに、ここから動く事ができないという事実に、ひたすら歯痒い思いだった。

 そんな拓実を、葵は先程からちらちらと見ていた。
拓実が落ち着きのない様子をしているは、隣にいる葵が気付かない筈がないのだ。

 しかし拓実は葵の視線に全く気付いていなかった。早く学校から解放されたいという想いで、先程から彼は無意識の内にずっと貧乏ゆすりをしていた。

 葵は耐え切れなくなり、貧乏ゆすりをしている拓実の右足を、彼女の左足で軽く蹴った。

 拓実は驚いた様子でさっと葵の方を向いたが、彼女は知らん顔で黒板の内容をノートに書き取っていた。
          *

 やがて永遠に思えた6時限目は、鳴り響くチャイムの音によってその終了が訪れた。

 生徒達は教科書や筆記具を仕舞い始め、先生は一旦教室を出て職員室に向かった。
授業が終わったことで、教室はざわつき始めた。

 よし、後は帰りの会だな、と拓実は若干口角を上げながら思った。

 帰りの会とは、その日の感想や反省点を各自が報告し合う、クラスにおける会議のようなものだ。その会議が終われば、晴れて学校から解放されるという訳だ。
拓実には普段から帰りの会の存在意義が今ひとつ分からなかった。特に今は、その気持ちがさらに強まっていた。

 帰りの会が始まるまでの時間に、拓実はノートや教科書をランドセルに仕舞おうとしていた。
すると彼はふと気付いた。隣の葵が窓の外をじーっと見ているのだ。

 しかも彼女は、例の風船が落ちた学校前の公園の方を見ているようだ。そしてその表情には、好奇心が見て取れた。

 (こいつまさか、、、)と拓実は訝った。
そんな拓実の視線に葵は気付くと、彼女は悪戯な微笑を彼に向けた。

その瞬間、拓実は確信した。葵は、窓の外の落下物の存在に気付いている。
おそらく封筒も目撃した筈だ。

 少なくともライバルは一人、自分の真横にいたのだ。

(第2話へ続く)



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