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「変わる」ということ。

こんにちは、うえしんです。つい昨日は雪が降るほど寒かったのに今日は春のように暖かく、歩いていると花びらが僕の前を通り過ぎるような、変化の激しい日々を感じますよね。

「変化」といえば、皆さんは何を思うでしょうか。この時期について言えば、進級や卒業、入学に向けた準備でしょうか。新しい環境に向けて準備をすることでしょうか。季節の変化、環境の変化、それに伴う人間関係の変化。自分自身の気持ちや価値観の変化。色々思い浮かべることはあるでしょう。

今回は「変化」や「変わること」について僕が感じていることを書きましょう。まあ、こんなテーマはありきたりで「変わることを恐れないで!」などという綺麗事を言う可能性は秘めていますが、僕もそんなみんなが言えるようなことを言うために書いてる訳でもないので、なるべくそうならないように書いてみます。つまらない綺麗事で終わってしまったらごめんなさい。

僕はたまに「変わった人だね」と言われたり、「変わってるね」と言われたりします。変人、おかしな奴という意味でもありますが、他の人と違う、変化した人とも言い換えられはしないでしょうか。これを言われる度に僕は「またそれか、、変人扱いか」と思うと同時に「変わってることは他と違うから自分らしさがちゃんと伝わってるのかな」と思う時もあります。
大学生になってからこんなことを言われ始めたのではなく、やっぱり小さい頃からそんな感じで言われたり、変なやつと扱われたりはしてきました。そのせいか趣味が合わなかったり会話についていけなかったり、馴染めないことが多かった気がします。
馴染めないからといって周囲に合わせてみたり、知りもしない会話に参加するフリをしてみたり、色々試したのですが、どれも居心地が悪いというか、ぎこちないのです。
なので、居心地のいいことをするとなると、どんどん周りとは共通点が減っていった気がしてます。そしてまた周りと違うことから来る孤立感を拭うため、周囲に合わせようとしますがまたそれも上手くいかなくなるということを繰り返してました。同調することで得られる安心感。共同体から阻害される焦燥感。それを繰り返してました。
でも最近は良いのか悪いのか分からないですが、周りに無理に合わせようとするのを諦めるようになってしまいました。歳を重ねて、めんどくさいことをしたくなくなったからか、自分には周りと合わせることは無理だと悟ったからか、なんだか孤立感でさえも受け入れているような気がしてます。しかし、孤立に慣れたかというとそうでもなく、たまに人に会いたくなったり、話をしたくなったりするのです。
完全に孤独に生きられるようになったわけではなさそうです。

周囲との共鳴を諦めて変わることは孤独という悲しい運命を含んでいるのでしょうか。

僕は「変わること」について悪くはないと思っています。むしろいいんじゃないかと。自分が変わり続けてきた人だからか、変化を恐れて現状に留まる人を見てきました。そして、僕が変わることに怯えて、現状に引き戻したり、変化しないことを勧めたりする人もいました。「今までの君らしくないよ」「変わっちゃうのね。」「変わらないお前がいいのに、、、」

それらを聞いた時僕は、「僕が悪いんだろうか」と思いました。変わってしまうことはいけないのだろうか。僕が変わったら「僕」じゃなくなるのか。
もちろん、今までの自分を好きでいてくれた人には感謝しています。でも、これ以上「今までの自分」のままで居続けることは無理だろうし現状維持を願う人の言う通りにするのはできないです。それができるのは僕自身も変わりたくないな、現状維持がいいなと思っている時だけです。僕は変わらないことを選び続ける人とは長く一緒には居たくないです。僕の可能性や挑戦を潰すからです。
変わった先で僕はそういう人たちや新しい環境で「変わったね」、「変わった人だね」と言われることが多いです。
今まで自分を引き止めようとしてきた人を見てきたので、「君、変わってるね」と言われるとむしろ嬉しい気持ちになります。「振り切って変わることができたんだね、良かったね」と言われているような気がして。もちろん、変人扱いの意味でバカにして言ってくる人もいるでしょうが、僕にとっては嬉しい言葉なのかもしれません。
「変わること」について、僕は好きなのかもしれません。もちろん、変化に伴う不安や将来リスクに対する恐怖はあります。でも、変わった先には自分を受け入れてくれる人や場所が用意されていたし、変わった自分を愛してくれることが自分でも嬉しいのです。

僕はここ数年でとても変わったみたいです。

2010年北海道旅行の自分
高校1年の自分
2018年高3の自分(右前方に寝そべる坊主)
2019年塾卒業の時の自分
大学入学式の時の自分
大学1年の自分
メイクに興味を持ち始めた大学2年の自分
サロモなどをやっていた頃の自分
ミスコンに出た時の自分
ミスコンで女装をしてた自分
ミスコンでメイクをしてもらった自分
自分でメイクを追求するようになった自分
髪をのばした自分
髪型を変えた自分
現在の自分

変わったのは髪型だけじゃないか(坊主〜ボブ)と言われたらそれはそうなんですが、最初と最後の写真を見比べると別の人なんじゃないかと思うほど変わっているのが自分でも分かります。特に服装の変化もあり、「女体化」が凄いねと言われることもあります。あ、体つきがという訳ではなく、服装やメイクのことだと思います。それも考え方や価値観が変わったからだと思っています。
「女性の服着てみたいな、だけど周りの人がどう思うか不安だな、嫌がられないかな」など変わることへの恐怖はありました。でも今は自分でも驚くのですが、メイクしてもしてなくても男性の格好でも女性っぽい格好でも中性的な服装でも普通に女性服コーナーで服を見るのは抵抗がなくなりましたし、女性が沢山いる化粧品売り場にも躊躇せずに入ることができています。男友達といる時でも化粧品売り場に自分から行くこともありました。そのことに気づいて自分は「変わった」んだなと思いました。今まで抱えていた恐怖に勝ったんだ、新しい価値観や場所を受け入れることができたんだと。
ミスコンに出ることも恐怖を伴いました。漠然とした不安。組織や影響力が今までより大きすぎるが故に自分で役目が勤まるだろうか、といった不安。やはり選ばれても周囲と馴染めないことから来る焦り。でもそれも最後のステージでは自信を持って立っていた。今までの自分とは違う自分になった。変われた。
だから、皆さんにも自分を変えましょう!とは言いません。
それでも僕は、変わることの恐怖をいつも感じながら、それを「受け入れる」ことで新しい場所に、価値観に出会い、変わることができたと思っています。
そして、また僕は「変わった人だね」と言われるのでしょう。たとえそれが嫌みだとしても、僕は「変わった自分」を認めたいのです。
自分に関してだけでなく、これを読んでいるあなたがもし、変わりたいと願っていたり変わったと言えるなら僕は、応援したいです。むしろ変わってほしいと願っています。あなたが変わったら「あなた」じゃなくなるなんて思ってません。変わったあなたを僕は見たいです。

変わることで人間としても深みが出ると思っています。魅力が増すと思います。

ちょうど、カレーにチョコを入れるとコクが増すみたいにね。

本当かどうかは自分で確かめてみないと分かりませんよ。

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