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ずるい。

いつものように、ピロートークネタ。
我が家では、身長差が30センチもあるため、わたしが彼に抱きつくとなると、まるで、大木とチューリップのような氣分、または、カブトムシ。(aikoか!)

もやもや・ざわざわ・ぐるぐるの正体


もやもやして眠れなくなることがある。
もやもやしているのは、自覚している。
ざわざわしているのは、自覚している。
でも、なんで自分がそうなっているのか、考えても、分析しても、どうにもこうにもことばになって出てこないから、自分の感情が理解できない。
そうやって、そこに焦点を当てている限り、そのもやもややざわざわは拡大していくばかりで、こころはそのエネルギーの渦に飲まれて行ってしまう。
ぐるぐるぐる・・・
まるで暗闇の中で、遊園地のコーヒーカップに永遠に乗っているみたいだ・・・

く・・・苦しい・・・

むくっと起き上がって、ざわざわする!もやもやする!と、感情の統合をしたりしても、なかなか落ち着かず、眠れないので、そうなると、隣で寝ているなぎちゃんに声をかける。

「なぎちゃ〜ん。。。一緒に寝たい・・・」
(今日は彼は4歳児と一緒に、わたしは0歳児と寝ていた。)

人の体温って、すごく落ち着きませんか?
もやもやしている時も、少し人肌を感じると、安心するのです。
とはいえ、人肌だけではもやもやはおさまらず、話し始めるわたし。

「なんで、あの人と関わると、いつももやもやしたり、ざわざわしたりするのかな・・・。距離が近すぎるのかな。似ているのかな。本音で話しているようで、(お互いに)本音で話していないのかな・・・。」

沈黙・・・

鼻をぐずぐずさせる音。(なぎちゃんは風邪をひいている。)

「なぎちゃん・・・あの、何か一言もらえると嬉しいんだけど、どうかなぁ??」

なぎちゃん、今日は、とても困っているわたしに、
答えを差し出してくれました。


※普段は、なかなかここで答えを言わないようにしてくれています。わたしにとって、その心理的なプロセスが必要で起きているので、それを体験する機会を奪いたくないから。わたしも、他者と関わる時は、どんなに距離が近くても、答え(と思われるようなこと)をそんなに提示、提案することは、ベストとは限らないと思っています。(余計なことを言ってしまうこともあるのですが。。)が・・今日は苦しかった・・。風邪ひいた時に、自然に経過するのを待つこともできるけど、辛すぎるから、葛根湯を飲んで少し和らげる感覚です。

自分への許可



「・・・あいちゃんが自分に許してないことを、彼女はやっているんだよ」


どわー!
そうなの、すごく腹落ち・・・。
しかも・・・それを自覚しにくかったってことは、随分ブロックが深くかかっている・・・。

「〇〇ちゃんは、〇〇なのに、〇〇していて、ずるい。」


例文を出してくれる、なぎちゃん。

答えるわたし。たくさんの当てはまる言葉が出てくる。
この例文では、自己承認、自己実現、自己表現に関して無意識に自分に化していた条件づけを発見する。
そのたびに、心が安堵する。
自分と一緒になれる感覚がする。

「〇〇ちゃんは、〇〇なのに、〇〇してもらっていて、ずるい。」

続けての例文に、また答えていく。
今度は、関係性に関しての言葉が当てはまり、人間関係についてのブロック。承認、応援、受け取ることについての条件づけが開放されていく。
さらに、深く、自己一致していき、安心していく。

そうか・・・
わたしは、ずるい!!!!って思っていたんだ!

そして、例文に答えた後に、潜在意識の岩戸びらきをしていく。
わたしの場合は、他者に言葉を音声で話す、または、こうやって書くだけで、客観視になるので、随分と感情が統合されていきます。

わたしは、ありのままのわたしのままで、愛されて、応援されても良い。
わたしは、ありのままのわたしを、許し、愛しています。
わたしは、ありのままのわたしで、美しく楽しい世界を、みんなとつくって行っても良い。
わたしは、未熟なままで、すごいと思われても良い。
わたしは、未熟なままで、応援されても良い。
わたしは、未熟なままで、挑戦しても良い。
わたしは、地域社会の人に、愛され、応援されても良い。


過去にあったことで、鍵をかけた可能性たち


なぜ、こんな思い込みを持つようになったのでしょうか?
それは、、、幼心の、愛ゆえに。

誰か・・大切な人、大好きな人の過去の一言。
その人のストローク(関わり)がないと生きていけなかった、幼かった頃の思考パターン、言いつけ、躾、アドバイス、ただの一言が、何年も、何十年もかけて・・・まるで、雨水が大地に染み込んで、その土地の伏流水となるように、深く、深く、意識の奥に「わたしの世界の常識」として、染み込んでいくのです。(美味しい水になることもあれば、、、飲めない水になることも・・・ありますよねぇ)

その大切な人、大好きな人は、大切であっても、大好きであっても、成熟し切っていたとは、限らないわけです。
というか、魂が、まだ成熟してない部分があるから、こうやって肉体を借りて、生きているのだから。生きているうちに出会う人というのは、基本的には、みんな何がしかの点において未成熟なわけです。

その人に、もう何十年も前に言われた一言で、自分の本来の輝きや、可能性に、鍵をかけてしまってことがあったとしたら?すごく勿体無いですよね。

今のその人は、随分成熟したけれど、でもわたしの心の中には、今よりもっと未成熟な人の言葉が、古いルールとなって、残り続け、自分の自由を奪っているのです。自分の自由を奪っているということは、他者の自由も奪っている、ということです。

投影の三角形
わたしが、わたしにしている。わたしが、あなたにしている。あなたが、わたしにしている。

わたしが大切で大好きな人から言われた言葉で、ずっと自分に「罰」を与える理由として、握りしめてきていたものを紹介します・・・。
あなたも、古いルールとして握ってきているもの、ないですか?
少し、感じるだけで、助けになるかも。一緒に解消していく機会になるかな?

・働かざるもの、食うべからず。(働かない人間、稼がない人間は、生きている価値がない)
・この世の中は、弱肉強食なんだから。(弱い人間は、潰される。だから湯強くなり、弱いものの上に立てるようになるべき。弱さは、努力不足。)
・そうやって歌を歌ったりして、何か成果につながるの?
(成果を産まないことはやる意味がないのでやってはいけない)
・あの高校に兄弟みんなで入ったらかっこいいじゃん。
(その高校に入れないなら、その会社に入れないなら、一度失敗したら、一度挫折したら、あなたは一生カッコ悪い)
・あいちゃんはぼんやりするのが好きなんだよね(ぼんやりしてても何も生み出さないのにね。そうやって時間を無駄に使っているのね)
・感謝もされないのに、そんなに贈り物をするの?(ただ与えたいから与えるのは、許されない。与えたら返してもらうのが、当然。与えてもらったら、即座に返さなければいけない。贈りたいから贈るは、してはいけない。成果が出る贈り物しかする意味はない)
・あなたがああやって車で寝ていたから、わたしは、ずっと起きて、みんなとお話ししなければいけなかった。(車に乗せてもらったら、リラックスしてくつろいではいけない。みんなと一緒にいる時は、場を盛り上げて、和ませて、ムードを作らなければならない。)
・子供と一緒にご飯を食べるときは、にんじんは、小さく切るの。
(あなたは子供がいないから、わからないのね。あなたは、まだまだね。子供を持ったら、子供中心の衣食住にするのが当たり前。)

・わたしは〇〇に認められないと、大人になれない。
・わたしは、〇〇に認めてもらえないと、困る。
・わたしは、〇〇に認めてもらえないと、一人前ではない。

どうですか・・・?
何か当てはまるもの、ありましたか?
随分時代おくれですよね・・・。
わたしも随分楽になってきたはずって思ってたけど、まだまだ残ってました。
玉ねぎの皮を剥くみたいに、溶かしても、溶かしても、どんどん出てくる、古い観念、古いルール、もういらない思い込みばかり。

これらを全部、反対の言葉に言い換えていきます。

・わたしは、何もしなくても、幸せに生きていて良い。
・強さや、弱さは、安全や幸福と何も関係がない。
・すべてのいのちは、常に守られて、愛されていて良い。
・わたしは、強くても、弱くても、常に安全で幸福であってもよい。
・わたしは、どんな状態でも、守られて、愛されていて良い。
・わたしは、こころからやってみたい!楽しい!と思ったことを行動に起こして、人生を楽しんでよい。
・どこに住んでいても、どんなコミュニティに属していても、どんな服を着ていても、どんな職業についていても、わたしには、素晴らしい価値があり、それを尊重されて良い。
・わたしは、ぼんやりして、宇宙と対話してもよい。
・わたしは、ぼんやりして、自分自身と対話してもよい。
・わたしは、ぼんやりして、自分に還っても良い。
・わたしは、何もしない時間を味わって、楽しんでも良い。
・わたしは、ただ与える悦びを受け取ってよい。
・わたしは、ただ与えるだけで幸せになって良い。
・わたしは、ただ与えられるだけで、幸せになって良い。
・わたしは、宇宙の巡りを信頼してもよい。
・わたしは、おもてなしをただ受け取っても良い。
・わたしは、無条件に愛され、大切にされてもよい。
・わたしは、どんな場所で、どんな人と一緒にいても、じぶんの心地よさを大切にして過ごしていて良い。
・わたしは、あるがままの姿で、他者と関わっていて良い。
・わたしは、あるがままで存在することで、すでに貢献している自分自身の素晴らしさを受け取って良い。
・わたしは、自分の切りたいように、にんじんを切ってもいい。(笑)
・結婚していても、しなくても、子供を産んでいても、産んでいなくても、子育てしてても、してなくても、仕事をしていても、していなくても、わたしには、存在しているだけで、素晴らしい価値がある。
・わたしは、自分中心に、心地よい衣食住を整えていってもよい。

・わたしにOKを出すのは、わたし自身です。
・わたしは、誰がどう言おうと、素晴らしい存在です。
・わたしは、わたしであるというだけで、完全体です。
・わたしは、生まれた瞬間から、すべて必要なものを兼ね備えて周りと与え合い生きてきました。
・わたしは、どんな立場であっても、素晴らしい人間です。

こうやって書いていくだけで、すごく癒される。
書くこと、表現すること、アウトプットすることは、即、自分でできるヒーリング、セラピーとなります。

今、みんなブログ書いたり、発信しているけれど、
すごい勢いで、みんなが癒されて、そして進化・・・それぞれが唯一無二の存在として尊く、神化していっている時代。

ちなみにね、こうやって岩戸を開いていく(潜在意識のアップデート)ことができるのですが(こうやって書いたり、読んだり、声に出したりするだけでも、随分意識は変わるけれど、大切なのは、その状況、心境を感覚で味わうことです。)

その前に、それらの古いルールから、何をえたか、何を学んだかを明らかにすることが、わたしは、とてもとても大切だと考えています。

そのプロセスは、次のブログで紹介します。よかったらお付き合いください。

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