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死ぬつもりで生きてた時の、出会い

こちらは、「産後セックスレスの悲しみと復活」シリーズの一作品です。

生き方と、死に方を考え始めた21歳

その人と出会ったのは、父が亡くなった2002年でした。
当時私は、大学3年生。
本来ならば就職活動に勤しむ時期ですが、何も手立てのないまま、父を亡くし、今後どう生きていけばいいのかますますわからなくなった私には、就職活動、なんていう気分ではありませんでした。

そもそも、父は、良き大学を出て
良き職に就き
そして、良き父親として過ごしていたはずです。

そんな一人の男性が、なぜ、病に侵され、
数え切れないほどの薬を毎日飲み(飲まされ)
皮脂と汗と尿と薬品の匂いの混じり合った、病院で
晩年を過ごすことになったのか。

本当に、彼の選んだ生き方は、彼に合っていたのだろうか。
ユーモアに溢れた一人の愉快な人間が
そのままに生きていく手立てはなかったんだろうか?

私は、やっぱり、彼を殺してしまったのだ。
私たち家族は、やっぱり、己の幸せを優先し、
弱者となった家族の一員を見放し、そして見殺しにしたのだ。
そのことについて、語り合うこともなく。

それが、当時の私の中に渦巻いていた想いの全てでした。

家族に想いが伝わったら死のうと思っていた作品

その人に出会った時、大学のゼミ活動の一環で一つの映像ドキュメンタリーを作ろうとしていました。
韓国の市民メディア、自由言論運動について取材をし、それを伝える、という趣旨のもの。
今となっては当たり前となった市民の情報発信ですが、
当時はまだまだ、メディアは企業や国のもの、とみんなが思っていた時代。
そんな中、韓国のその手の活動はとても盛んで、何か、それが、その情熱的なエネルギーが、自分が個人的に抱えている、コミュニケーションの問題、そして日本社会に広がっている、「言わない文化、聞かない文化、察する文化」のようなものに、一石を投じてくれるような気がしたのです。

そして、私は、今思うと微笑ましいのですが
その番組を作って、「現実をより良い方へ変えて行くために、伝え合うことって大事だと思わない?」
というメッセージが、自分自身の家族に伝わった暁には
もう、役割は終えて、死んでしまおうと思っていました。

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裏側の闇が深いほどに、光は眩しく映る

そんな時に出会ったのが、その人であり、
なんだか独自の生き方をしている姿は、私のそれまでの人生では出会ったことがないタイプだったので、とても珍しく興味深く感じました。

他の多くの人が歩むような、進学、就職、、と言う道ではなくて
まるで獣道を行くような生き方は、父がもしかしたらできたかもしれない、自由な生き方、そして自分自身の生き方を考えていた私には、大いに刺激になったのです。

多分、私自身も、近々死ぬつもりで生きていた時期だったので、逆にとてもイキイキとして外側からは見えていたかもしれません。

やっぱり、伝わらなかった。まだ、死ねなかった。

結局、その作品はたくさんの、本当にたくさんの魅力的な方々との出会いと、協力、支援によって完成しました。関係してくださった方々は50人には及ぶかもしれません。一人の大学生のプロジェクトとしては、とても大きい経験でした。
テレビ大阪の深夜企画で、映像業界を目指す学生たちのための30分の作品群の一つとして制作し、結果、ありがたいことに優秀賞もいただいたのです。
しかし、私の最終的な目的は、家族に、「現実を変えて行くために、諦めないで伝え合うって大事だよね」というメッセージを伝えること。

意を決して、家族みんなが集まるタイミングで、DVDを携えて実家に戻り、作品をみんなに見てもらいます。
すると、
「NHKだったらもっとナレーションで説明するよね」
「同じ場面がたくさん使われているね」
・・・等々、ご意見番からの上から目線のアドバイスが並ぶばかり。

私が伝えたかった、メッセージは、全く受け取ってもらえた感覚がなく、、
私は、「あぁ、まだまだ力不足だ。まだまだ全然死ねないんだ・・・」
とがっかりと肩を落としたのを覚えています。

生き方を考えて、とにかく行動してみる10年が始まる

まだ死ねないのだから、生きるしかありません。
私は、自由にいきなければなりません。
私は、私にならなくてはなりません。
そんな切迫した自らを縛るルールに急かされて、とにかく行動する日々が続きます。
自らの存在にくつろぎ、安心する、、なんてことは本当になくて
いつも焦っていて、いつも不足感があって、いつも誰かと比べて。

そんな中でも、その人とはたまに会ってたくさんの刺激を受けていました。
ついでに(?)体の関係も持っていて、当時の私には、それは他にたくさんしている恋愛関係のおまけのようなもので、さほど自分にとっては重要なことではありませんでした。

ただ、その人とすると、なんだかその後、とてもすっきりして元気になっている!という感覚だけはあったのでした。

嘘をつかないで生きている人とのセックスは、きっと、そうゆうエネルギーを受け取らせてもらっているのかもしれないなぁ、と感じていました。

ただ、「嘘をつかない=極端に正直」のため、
残酷なことも、彼との関係の中でたくさん経験し、ある時限界がきて、ぷつりと、私の方から連絡を取れないようにしました。2012年のことでした。

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私も、私だけの獣道を行こう

彼からのレッスンは、もう十分に受け取った。
だから、私は、自分の足でこれから冒険していける。
無意識で、そんなことを思っていたかもしれません。
その後の「冒険」は、確かに豊かで、自由で、楽しく、
私自身もまた、獣道を行くような年月を、豊かに過ごしていったのです。

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