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裸足みたいに歩くワラーチ

ワラーチというのは、薄いソールと紐でできている、裸足に近い状態で歩くことができるサンダルです。
材料をそろえて自分で作ります。
自分の足をなぞった形にソールを切って、自分に合う位置に穴を開けて紐を通す。

そしてワラーチを履くと、歩き方がいつもと変わります。
想像していたよりもずっと!
足の裏が厚くなって裸足で歩いているみたい。
最初から色々と面白いのでレポ。


なぜワラーチ?

私は近頃の普段はスニーカーを履いているけど、ベアフットのファイブフィンガーシューズや地下足袋を履くこともあった。ワラーチはそれらよりさらに裸足に近い。

写真を見ればわかる人には一目瞭然だろうけれど、私はあまり足の状態がベストではない。少し外反母趾があるし、小指が外側に寝ている。痛みなど不都合は感じないのだけど、ちゃんと足を使えていないとか、全身のバランスの影響が出ているとかそういうことなのだろう。
足をしっかり使って歩きたい。

他のシューズや裸足は?

ファイブフィンガーズ
数年愛用していたのだけど、足が変わったのか合わなくなってしまった。
小指が当たって痛くなってしまう。
小指の向きが治ったらきっとまた履けるだろう。

地下足袋
地下足袋は良いし、履いているのだけど、何キロも歩くと親指が当たる。
問題は地下足袋ではなく、親指が内に曲がっている私の足側にある。

下駄、ビーサン
一緒にするのは申し訳ないが、鼻緒シスターズということで括らせてもらう。
好きだけれども何キロもは歩けない。鼻緒が痛くて。
でも昔の日本人の履物は鼻緒のものだから、歩き方や慣れの問題なのだろう。
下駄や草履をもっと履いていきたいとは思う。

裸足
公園などで裸足で過ごすのをやったこともあったのですが、落ちてた硬いゴミで怪我しましたね。足の裏が負けますね。

歩いてみた

玄関を出て、舗装路を歩き出した時はなんだかギクシャクする…
本当に裸足に近い感覚。
普通のスニーカーを履いている時とは全然違うことは、数歩でわかる。
なんか…こう…無防備。守られすぎていない。
ビーサンよりも足にフィットしているから、鼻緒をひっかける感覚もない。
他のサンダルより圧倒的にソールが薄いから、地面の感覚がダイレクト。
そう、なんだか、フリー!

いつもどんな歩き方してたっけ?

あまりにスニーカーと感覚が違うので
いつもはどんなふうに歩いていたっけ?と考えてしまう。
私はいつも大股気味で早めに歩くことが多いが、とてもそんなことはできない。
いつも靴に頼って歩いていたことがよくわかる。
大股で早足で歩く時は、かかとから着地している。
かかとの分厚いソールありきで歩いているということだ。
ワラーチでは、ガンガンかかと着地で歩くなんてとてもできない。
ほぼ裸足だもの、もっとソフトにゆっくりに丁寧にならざるを得ない。

歩き方がわからない

なるべく物に頼らずに自分の足で歩くということはどういうことなのかわかる。
いや、今までと確実に違うことはわかる、が、わからない。適切な歩き方がわからない。
うまく歩けないのだ。
だって裸足で外を歩くなんて普段しないから。
とにかくアスファルトの硬さがすごい。雑に歩くと足も身体もついていけない。
ガンっとかかとから着地すると全身に響く。

そうこう、ギクシャク、色々考えながら公園に到着

ワラーチ(ほぼ裸足)は自然の地面がいい

公園の草地や木の下の土の地面を歩き始めると、
うわあ!これだ!
裸足(に近いワラーチ)の生身の人体に合うのは、アスファルトじゃない。
土がぴったり。草地がしっくり。
そうだ、私の足だけが生身になっても、地面がアスファルトだとうまくいかないんだ。
靴の厚いソールは硬い地面から身体を守るものなんだな。
硬さの影響を減らすためのスニーカーのありがたみを感じる。
それと同時に、いつも過度に守られすぎて、自然の地面から離れていたことにも気がついた。

草地がしっくり

あたりまえということ

あたりまえじゃん、と思うことばかり書いてる気がするが、やってみないと当たり前に気がつかない。
そのあたりまえを実感して再確認することはとても大事な気がする。だってその当たり前を忘れてたってことだもんね。
当たり前を忘れてることって、色々なマイナスの原因になりそうだ。

環境と自分の一体感が濃くなる

草地の柔らかさ、落ちてる木の枝、うねる木の根っこ、石、落ち葉、土。
一足ごとに一期一会の感触がある。
一歩ずつ毎回多彩な刺激を味わい、情報を受け取り、状況に対応しながら歩く。
対応といっても特別なことはしていない。ただ感じて、その上を歩く。
でもスニーカーで歩いてるときとは全く違う。
地面と近い。それはソールの厚さという物理的な近さと共に、自分の視点=意識の向く先が地面に近くなっている。
地面を感じようと意識するのではなく、受け取ること自体が自然なことになる。
地面を感じることと歩くことは、セットなんだと実感する。

多彩な地面を一歩一歩味わう

一足ごとに変わる地面からの情報を味わいながら歩く。
そういう感覚で歩くということは、いつものウォーキングと全然違う。
環境である自然=土や木などが全部自分ごとになってくる。
環境と自分の一体感が濃くなる。

走りたくなった

なんだか気負わず自然と走りたくなった。
草の間をぽんぽんと跳ねるように。
やわらかく弾むように。
速さは歩くのとそんなに変わらなそうだけど、弾む楽しさが加わる。
走るって楽しい。

再度アスファルト…びっくり

公園でひとしきり楽しんでから、帰路のアスファルトを歩く。
そこで驚いた。
公園に来るまでに歩いていた時と全然違う!
来る時は歩き方を考えていた。考えないとうまく歩けなかった。
色々な動きを試してもぎこちなかった。のに。

アスファルトでも自然に歩ける

帰路では、自然に歩けている!
硬い地面に足が無理に当たらない。
着地の衝撃はさっきよりずっと小さいけど、伝わってきたものは全身が受け流している。
なにより、ギクシャクした感じが全然ない。

先ほどまで優しい土の地面を歩いていた時には、ワラーチではアスファルトを歩くのは無理があるのでは?とも思っていたのだけど、あながちそうとは言い切れないようだ。

体験で変わった

土の地面で、足の裏から情報を受け取り、多彩な情報を味わって感じて、歩くという体験の情報量がぐっと増えた。
それで身体全体の動きが変わったらしい。

何かを体験するということは、その時の一過性のアミューズメントではなくて、その体験を通して変化することもあるのだということを実感した。
面白い。

新しい感覚を味わうということはとても面白いものだし、
歩くというとても身近な動作の中で変化を楽しめるというのもいい。

ワラーチ(ほぼ裸足)は本来の歩き方を思い出すもの

裸足で草地や土の上を歩く、ということは誰でもきっと「思い出す」感じで歩けるのではないかと思う。
本来はこうやっていた。子供の頃はこうだった。そういう感じに。
だから、歩き方を考えたり習ったりするのもいいけれど、その後でもいいから
草地や土を感じながら楽しく歩く、ということがワラーチには大事なことなんだと思う。
足が自然体でいるには、地面も自然に近い状態が合っている。
そうして自然な歩き方を思い出してから、アスファルトとの付き合い方を学べばいいんじゃないかな。

ワラーチのすすめ

ワラーチの由来は、「BORN TO RUN」(ボーン・トゥ・ラン)という書籍から端を発していて、裸足で走ることは自然で、人間本来のやりかただから身体にとってすばらしいというような感じのことが書かれています。(ものすごい超訳)

ワラーチを履いてみると、裸足で歩くのが人間にとって自然なことなんだ、ということを実感できました。
身体の変化も体験できて面白い。
今後もっと履く時間を増やしたらどういう変化があるか楽しみ。

ワラーチ始めようという方へは、
舗装路を急に沢山歩く前に、まずは土を歩いて感覚を味わってみるのをおすすめします!




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