見出し画像

イスラエル軍医療部隊同行記 【第4話】

~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~

診療所オープンに向け急ピッチで設営が進む。

画像2

写真:診療所にイスラエルの国旗を掲げる。

カルメル中尉がやってきて、

「支援物資が到着して受け取りの準備があるので写真撮りがてら通訳も頼みたいんだ。」

二人で車に乗り込み被災を免れた物流倉庫へと向かった。地元の会社が好意で場所を貸してくれたとのことだった。

画像1

写真:イスラエルから送られてきた支援物資

イスラエルから送られてきた物資は防寒着1万着、毛布6千枚、手袋8千双、簡易トイレ150個など総量約18トン。そのほかに100点以上の医療機器や資器材も別便で運び込んでいる。

ヘブライ語の伝票が貼られた物資をベイサイドアリーナに運ぶ段取りをつけると町内を視察してから戻ろう、ということになった。

車窓から見ていた以上に町の被害状況は壊滅的だった。

カルメルは

「俺も地中海が見えるところで育ったから、ここがとてもきれいな町だったってことは想像がつくよ。ただ、これは、つらいな。」

そういって流された車を見ていた。

画像3

写真:現場に立ち尽くすカルメル

「知ってるか?ホンダはボルボより高いんだぜ、俺の国じゃ。」

軽口をひとつたたくと車に踵を返し、診療所へと戻った。

診療所ではすでに準備もほとんど終わり、医療機器のセッティングも完了していた。開所は明日の予定だったが、避難所にいる人たちがときおりのぞきにやってきた。

「誰でも、体調が悪い人や腹が減った人がいたら声をかけてくれ。オープニングセレモニーまで待つ必要なんかないからさ。」

産婦人科医のモーシェがそういうので通訳しようと思ったら、横にいた若い女性兵士が流ちょうな日本語で住民と話している。

画像4

写真:関西弁ぺらぺら。地元の子供と仲良くなっていた

聞けば日本人とのミックスが3人同行しており、中でも二人の姉妹は高校生まで関西に住んでいたという。

イスラエルは徴兵制度があり、イスラエル国籍を持つものは男子も女子も18歳になると軍隊へ入る。男子は3年、女子は20か月の期間に及ぶ。

ほかにも日本のキリスト教の団体から英語通訳ボランティアも10名近く来ており、通訳面は盤石に思われたが通訳の一人が首をかしげて助けを求めてくる。

「日本語がわかりにくくて、、」

そういうので話を聞きに行くとおじいさんが早口の宮城弁で話し出した。

「あ、悪い、俺もわからん。」

ヘブライ語でそう伝えると、

「とにかく、ゆっくり、一言づつ、きいてみて。」

と不確かなアドバイスだけ残して立ち去ってしまった。

いよいよ明日は診療所開所日である。

ー続くー

災害支援の活動費(交通費、PCR検査費、資機材費、機材メンテナンス費等)に充当いたします。ほんとうにありがとうございます。