Paulo 写真家 時々 ヘブライ語通訳

イスラエル政府公認ガイド資格を持つフリーフォトグラファー、ライターときたまヘブライ語通…

Paulo 写真家 時々 ヘブライ語通訳

イスラエル政府公認ガイド資格を持つフリーフォトグラファー、ライターときたまヘブライ語通訳。 東日本大震災でイスラエル軍医療部隊と活動を共にして以来、災害支援活動と撮影に取り組んでいる。 イスラエル、ユダヤ中東関連・災害支援関連・写真・その他もろもろ などをつれづれに。

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  • イスラエル軍医療部隊同行記  東日本大震災、南三陸町

    10年前、東日本大震災に際し、日本で最初の事例となる海外からの医療活動救援がはじまった。アジアの西端からかけつけたイスラエル国防軍医療部隊。 ヘブライ語通訳ボランティアおよび軍嘱託カメラマンとして同行した記録を残しておこう。

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    【写真データ販売】Good morning 南三陸

    高解像度版、ポスターサイズ出力対応 商用以外にはご自由にお使いください。 購入者による再配付不可、著作権は撮影者に帰属します。 撮影地 宮城県南三陸町志津川浜 アスペクト(縦横比)3:2
    10,000円
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    【写真データ販売】球磨川夕景

    高解像度版、ポスターサイズ出力対応 商用以外にはご自由にお使いください。 購入者による再配付不可、著作権は撮影者に帰属します。 撮影地 熊本県球磨村神瀬 アスペクト(縦横比)3:2
    10,000円
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    【写真データ販売】凪の星

    高解像度版、ポスターサイズ出力対応 商用以外にはご自由にお使いください。 購入者による再配付不可、著作権は撮影者に帰属します。 撮影地 宮城県石巻市狐崎浜 アスペクト(縦横比)3:2
    10,000円
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    【写真データ販売】Good morning 南三陸

    高解像度版、ポスターサイズ出力対応 商用以外にはご自由にお使いください。 購入者による再配付不可、著作権は撮影者に帰属します。 撮影地 宮城県南三陸町志津川浜 アスペクト(縦横比)3:2
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のとのおと

やみよにからすががなる声 ぐらりのあとに鳴るタタタタターンの通知音 おせちを囲んでいたはずの町中 無人の玄関に日の丸がはためく しんやにしんしん降り積もる雪 しめったおもたい海の雪 列なし行き交う緊急車両のサイレン ひっきりなしの救急車が急ぐ 炊き出し野菜をきざむ包丁 周りで遊ぶこどもたちの声 かまどにけぶる湯気をみて泣き崩れた女性 いきのこりくらしをとりもどすあゆみへ 美しい海から吹きすさぶ風 生きる人々にひとつづつ心臓の鼓動 きえるなきえるな ひびけひびけ

    • イスラエルで1990年代を暮らした。

      ハマースによるイスラエルへの攻撃から1か月。 ニュースではしきりにガザへの反撃が取り上げられている。 私がイスラエルで生活していたのは1994年から2001年までだった。 ヘブライ語を覚え、日本企業の現地法人でツアーガイドおよびメディアコーディネーターや通訳として働いた。 当時は日本人も少なかったがITによってイスラエルが経済的に勃興しはじめ、それまでのアラブボイコットもおさまってJETROをはじめ日本商社も進出してきたころだった。 94年、私がイスラエルについて

      • 謹賀新年 ~年始のご挨拶と昨年のご報告~ フリーカメラマン・ライター/ヘブライ語通訳/災害ボランティア 福地 波宇郎

        明けましておめでとうございます。 旧年は各方面大変お世話になりました。 いろいろとご無沙汰している方々には失礼をしております。 あまり東京にいない一年でしたが、何をしていたのか、生きているのかとのお問い合わせもいただきました。 報告と御礼をかねて書き記しいたします。 災害ボランティア活動 東日本大震災で南三陸町にカメラをもって入って以来、仕事だけではなく、現場で災害ボランティアを続けています。 現在は一般社団法人OPEN JAPAN災害緊急支援プロジェクトと活動をとも

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          イスラエル医療部隊同行記【写真編】

        マガジン

        • イスラエル軍医療部隊同行記  東日本大震災、南三陸町
          8本

        記事

          イスラエル軍医療部隊同行記【第7話】

          ~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~ 「訪問検診にむかうぞ。」 産婦人科医であり、大佐であるオフィールがそういうと、もう一人の産婦人科医であるモーシェと看護師が車に乗り込んだ。モーシェはキッパーという小さな帽子を頭に乗せている。イスラエル人でもユダヤ教の掟に従って生活している男性が身に着けるものだ。 車には日本人女性も乗っていた。志津川病院で被災し救助され、その後も医療活

          イスラエル軍医療部隊同行記【第7話】

          イスラエル軍医療部隊同行記【第6話】

          ~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~ 診療所には次々と患者さんが顔を出し始めた。 ときには避難所で暇をもてあました子供たちがあそびに来たり。 写真:子どもたちにはおもちゃをプレゼント 「あそこ変な外人さんがいるからって聞いてきた。」と屈託のない笑顔で話してくる。 小児科看護師のガリートは「薬もだけどね、大事なもの持ってきたから」とたくさんのおもちゃを用意し、小児科のプ

          イスラエル軍医療部隊同行記【第6話】

          イスラエル軍医療部隊同行記【第5話】

          ~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~ 2011年3月29日、イスラエル国防軍医療部隊による医療診療センターが正式に開所した。 朝一番で開所式が行われ、国や行政からゲストも来てイスラエル大使やメディアも駆けつけるということで通訳をする段取りだったが、前の晩にガソリンが不足するかもという話が持ち上がった。 写真:イスラエル大使(当時)も現地到着。 あの混乱の時期、どこでも

          イスラエル軍医療部隊同行記【第5話】

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          被災地のネコとか動物たち

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          イスラエル軍医療部隊同行記 【第4話】

          ~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~ 診療所オープンに向け急ピッチで設営が進む。 写真:診療所にイスラエルの国旗を掲げる。 カルメル中尉がやってきて、 「支援物資が到着して受け取りの準備があるので写真撮りがてら通訳も頼みたいんだ。」 二人で車に乗り込み被災を免れた物流倉庫へと向かった。地元の会社が好意で場所を貸してくれたとのことだった。 写真:イスラエルから送ら

          イスラエル軍医療部隊同行記 【第4話】

          イスラエル軍医療部隊同行記 【第3話】

          ~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~ 宿泊場所であるホテルの前に隊員一同がならび、団長であるベンアリエ准将を中心に日程の確認を行った。この日は診療所開設準備と物資の移送が任務だ。 ほぼ全員が今日初めての現場入り、途中資機材のピックアップや診療所開設までのロジ割り当て、自衛隊やDMATとの情報交換、自治体との挨拶などそれぞれが役割を確認した。 大型バスに乗りこみ、くりこ

          イスラエル軍医療部隊同行記 【第3話】

          イスラエル軍医療部隊同行記 【第2話】

          ~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~ 先遣隊一行のバスは支援先である宮城県南三陸町の隣り、栗原市くりこま高原のホテルエポカに到着、ここが支援の拠点となった。 海外医師による国内での医療行為は医療法の壁がある。しかし、未曾有の被害と思える今回の津波では厚生労働省が特別許可を出し、日本で初となる海外医師団による医療行為を認めた。 しかし、これを適応するためには支援側の申し出

          イスラエル軍医療部隊同行記 【第2話】

          東日本大震災、イスラエル軍医療部隊同行記【第1話】

          2011年3月11日。 赤羽の自宅にいて大きな揺れを感じた。 遅めの昼食だったカップラーメンの容器が倒れ、立てかけていた三脚がぐらぐらとしていた光景が記憶に残る。 そしてテレビをつけてあの惨状を知ることになった。 撮影の仕事もキャンセルが相次ぎ、ジャーナリスト仲間も次々と東北を目指したがフリーの連中はガソリンの確保に頭をなやませていた。 そんなとき、イスラエル現地のネットニュースでイスラエル国防軍が日本へ医療部隊を派遣するとの記事をみつけた。 在日本イスラエル大使

          東日本大震災、イスラエル軍医療部隊同行記【第1話】

          【自己紹介】フリーフォトグラファー&ライター、災害ボランティア時々ヘブライ語通訳家

          フリーフォトグラファー&ライターになり20年。 色んなことを共有できればと思います。 とりあえず私の略歴と何やってるのかを。 ■イスラエルとかユダヤとか いろいろあって20代をイスラエルですごす ユダヤ人帰還者に混じりキブツ(集団農場)で働きながらヘブライ語を学ぶ。 途中イスラエル国防軍体験入隊など体験しながらイスラエル政府公認ガイド資格を取得。 写真:キブツにて、働いていた鶏舎の仲間たちと ツアーガイド、メディアコーディネーター、カメラマン、ヘブライ語通翻訳などに

          【自己紹介】フリーフォトグラファー&ライター、災害ボランティア時々ヘブライ語通訳家