Paulo 写真家 時々 ヘブライ語通訳

イスラエル政府公認ガイド資格を持つフリーフォトグラファー、ライターときたまヘブライ語通…

Paulo 写真家 時々 ヘブライ語通訳

イスラエル政府公認ガイド資格を持つフリーフォトグラファー、ライターときたまヘブライ語通訳。 東日本大震災でイスラエル軍医療部隊と活動を共にして以来、災害支援活動と撮影に取り組んでいる。 イスラエル、ユダヤ中東関連・災害支援関連・写真・その他もろもろ などをつれづれに。

マガジン

  • NotoGraph ノトグラフ

    令和6年能登半島地震にともない1月3日より今日現在まで滞在中。 災害支援専門ボランティア団体で活動するフリーフォトグラファー。 能登での日々を写真と文章でとどめていく。

  • イスラエル軍医療部隊同行記  東日本大震災、南三陸町

    10年前、東日本大震災に際し、日本で最初の事例となる海外からの医療活動救援がはじまった。アジアの西端からかけつけたイスラエル国防軍医療部隊。 ヘブライ語通訳ボランティアおよび軍嘱託カメラマンとして同行した記録を残しておこう。

最近の記事

ノトグラフ 1月12日~14日

支援に入り10日目ごろ。 珠洲市、能登町で炊き出しが続く。 雪深い土地と聞いており、ひび割れた道路が見えなくなることや車の孤立も想定しての毎日だった。初期活動するメンバーは緊急対応できる場数を踏んだ人員が入っていたが、それでもアクシデントは多々起きた。 今年は暖冬となり積雪も例年以下であったのはまだ救いだったと思う。 少しづつ住民さんたちと交流が始まり、能登の土地のこと、お祭りがなにより大事で好きな土地ということ、漁業のこと、いろんなお話を聞かせてもらえるようになってきた

    • Notograph ノトグラフ 1月6~11日

      1月4日より能登町を活動の中心と定めて仲間たちと支援活動を開始した。 災害支援専門ボランティア団体は年間を通じて災害支援を行っている。 最近は技術系ボランティアと呼ばれる団体が数団体あり、各地で同じ顔合わせになる。それぞれ連携を図り情報を共有し活動地を決めていく。 重機やチェンソーなどを用いた作業が目を引くが、すべての団体の活動目的は災害で助かった人々の「いのちをつなぐ」ことだ。私たちも重機ではなく、まず炊き出し機材と食材を詰めるだけ詰め込んで能登に入った。 発災から1

      • 能登町 宇出津あばれ祭り

        1月から時系列でといいながら、先日行われたお祭りの写真を。 令和6年7月5日~6日

        • Notograph ノトグラフ 1月3日~1月5日

          東日本大震災以来、災害ボランティアをしながら現地を撮影するようになった。 西日本豪雨以降は年間300日近くを被災地で過ごしながらボランティアと撮影を続けている。 1月1日、能登半島での地震。前年5月の地震でも珠洲市を訪れていたが、東京でも感じた異常な揺れに三が日も明けぬ間に仲間たちと能登半島に入った。 能登で活動をはじめて半年がたった。 拠点を構えている能登町宇出津(うしつ)では住民の皆さんがこの日のために一年をかけているという「あばれ祭り」の準備がたけなわだ。 しばら

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        • NotoGraph ノトグラフ
          4本
        • イスラエル軍医療部隊同行記  東日本大震災、南三陸町
          8本

        記事

          のとのおと

          やみよにからすががなる声 ぐらりのあとに鳴るタタタタターンの通知音 おせちを囲んでいたはずの町中 無人の玄関に日の丸がはためく しんやにしんしん降り積もる雪 しめったおもたい海の雪 列なし行き交う緊急車両のサイレン ひっきりなしの救急車が急ぐ 炊き出し野菜をきざむ包丁 周りで遊ぶこどもたちの声 かまどにけぶる湯気をみて泣き崩れた女性 いきのこりくらしをとりもどすあゆみへ 美しい海から吹きすさぶ風 生きる人々にひとつづつ心臓の鼓動 きえるなきえるな ひびけひびけ

          イスラエルで1990年代を暮らした。

          ハマースによるイスラエルへの攻撃から1か月。 ニュースではしきりにガザへの反撃が取り上げられている。 私がイスラエルで生活していたのは1994年から2001年までだった。 ヘブライ語を覚え、日本企業の現地法人でツアーガイドおよびメディアコーディネーターや通訳として働いた。 当時は日本人も少なかったがITによってイスラエルが経済的に勃興しはじめ、それまでのアラブボイコットもおさまってJETROをはじめ日本商社も進出してきたころだった。 94年、私がイスラエルについて

          イスラエルで1990年代を暮らした。

          謹賀新年 ~年始のご挨拶と昨年のご報告~ フリーカメラマン・ライター/ヘブライ語通訳/災害ボランティア 福地 波宇郎

          明けましておめでとうございます。 旧年は各方面大変お世話になりました。 いろいろとご無沙汰している方々には失礼をしております。 あまり東京にいない一年でしたが、何をしていたのか、生きているのかとのお問い合わせもいただきました。 報告と御礼をかねて書き記しいたします。 災害ボランティア活動 東日本大震災で南三陸町にカメラをもって入って以来、仕事だけではなく、現場で災害ボランティアを続けています。 現在は一般社団法人OPEN JAPAN災害緊急支援プロジェクトと活動をとも

          謹賀新年 ~年始のご挨拶と昨年のご報告~ フリーカメラマン・ライター/ヘブライ語通訳/災害ボランティア 福地 波宇郎

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          イスラエル医療部隊同行記【写真編】

          イスラエル医療部隊同行記【写真編】

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          イスラエル軍医療部隊同行記【第7話】

          ~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~ 「訪問検診にむかうぞ。」 産婦人科医であり、大佐であるオフィールがそういうと、もう一人の産婦人科医であるモーシェと看護師が車に乗り込んだ。モーシェはキッパーという小さな帽子を頭に乗せている。イスラエル人でもユダヤ教の掟に従って生活している男性が身に着けるものだ。 車には日本人女性も乗っていた。志津川病院で被災し救助され、その後も医療活

          イスラエル軍医療部隊同行記【第7話】

          イスラエル軍医療部隊同行記【第6話】

          ~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~ 診療所には次々と患者さんが顔を出し始めた。 ときには避難所で暇をもてあました子供たちがあそびに来たり。 写真:子どもたちにはおもちゃをプレゼント 「あそこ変な外人さんがいるからって聞いてきた。」と屈託のない笑顔で話してくる。 小児科看護師のガリートは「薬もだけどね、大事なもの持ってきたから」とたくさんのおもちゃを用意し、小児科のプ

          イスラエル軍医療部隊同行記【第6話】

          イスラエル軍医療部隊同行記【第5話】

          ~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~ 2011年3月29日、イスラエル国防軍医療部隊による医療診療センターが正式に開所した。 朝一番で開所式が行われ、国や行政からゲストも来てイスラエル大使やメディアも駆けつけるということで通訳をする段取りだったが、前の晩にガソリンが不足するかもという話が持ち上がった。 写真:イスラエル大使(当時)も現地到着。 あの混乱の時期、どこでも

          イスラエル軍医療部隊同行記【第5話】

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          被災地のネコとか動物たち

          被災地のネコとか動物たち

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          イスラエル軍医療部隊同行記 【第4話】

          ~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~ 診療所オープンに向け急ピッチで設営が進む。 写真:診療所にイスラエルの国旗を掲げる。 カルメル中尉がやってきて、 「支援物資が到着して受け取りの準備があるので写真撮りがてら通訳も頼みたいんだ。」 二人で車に乗り込み被災を免れた物流倉庫へと向かった。地元の会社が好意で場所を貸してくれたとのことだった。 写真:イスラエルから送ら

          イスラエル軍医療部隊同行記 【第4話】

          イスラエル軍医療部隊同行記 【第3話】

          ~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~ 宿泊場所であるホテルの前に隊員一同がならび、団長であるベンアリエ准将を中心に日程の確認を行った。この日は診療所開設準備と物資の移送が任務だ。 ほぼ全員が今日初めての現場入り、途中資機材のピックアップや診療所開設までのロジ割り当て、自衛隊やDMATとの情報交換、自治体との挨拶などそれぞれが役割を確認した。 大型バスに乗りこみ、くりこ

          イスラエル軍医療部隊同行記 【第3話】

          イスラエル軍医療部隊同行記 【第2話】

          ~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~ 先遣隊一行のバスは支援先である宮城県南三陸町の隣り、栗原市くりこま高原のホテルエポカに到着、ここが支援の拠点となった。 海外医師による国内での医療行為は医療法の壁がある。しかし、未曾有の被害と思える今回の津波では厚生労働省が特別許可を出し、日本で初となる海外医師団による医療行為を認めた。 しかし、これを適応するためには支援側の申し出

          イスラエル軍医療部隊同行記 【第2話】