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Notograph ノトグラフ

東日本大震災以来、災害ボランティアをしながら現地を撮影するようになった。
西日本豪雨以降は年間300日近くを被災地で過ごしながらボランティアと撮影を続けている。

道は寸断されていた(1月3日)

1月1日、能登半島での地震。前年5月の地震でも珠洲市を訪れていたが、東京でも感じた異常な揺れに三が日も明けぬ間に仲間たちと能登半島に入った。

1月1日に発災、2日に資機材を積み3日に七尾、4日に能登町に入る

能登で活動をはじめて半年がたった。
拠点を構えている能登町宇出津(うしつ)では住民の皆さんがこの日のために一年をかけているという「あばれ祭り」の準備がたけなわだ。

しばらく、この半年を振り返りながら時系列で写真を載せていきたいと思う。
今回は1月3、4日の様子。
この街並みは発災当初のものだが、今日現在も大きく景観は変わってはいない。もちろん道路やインフラは戻りつつあるが、生活はいまだ大変なままだ。

能登町から珠洲市への境は通れなかった(1月4日)


七尾市にて最初の炊き出し(1月3日)


津波が到達した能登町布浦地区(1月4日)


同じく津波に襲われた能登町白丸地区(1月5日)


同上


同上


珠洲市にて炊き出し、住人さんと一緒に作って配膳(1月4日)


寒さの厳しい時期、廃材で暖を取りながら談笑(1月4日)

今回の地震について、言葉はたくさんの人が書いている。
写真を通して能登を想い続けてもらうよすがとなるように。

広報ボランティアを務めている一般社団法人OPEN JAPANで活動を継続しながら、まだ能登で写真を撮り続けている。
活動しながらの更新となるため、不定期となるがお気に留めていただければ。


災害支援の活動費(交通費、PCR検査費、資機材費、機材メンテナンス費等)に充当いたします。ほんとうにありがとうございます。