記事一覧
イスラエルで1990年代を暮らした。
ハマースによるイスラエルへの攻撃から1か月。
ニュースではしきりにガザへの反撃が取り上げられている。
私がイスラエルで生活していたのは1994年から2001年までだった。
ヘブライ語を覚え、日本企業の現地法人でツアーガイドおよびメディアコーディネーターや通訳として働いた。
当時は日本人も少なかったがITによってイスラエルが経済的に勃興しはじめ、それまでのアラブボイコットもおさまってJETR
謹賀新年 ~年始のご挨拶と昨年のご報告~ フリーカメラマン・ライター/ヘブライ語通訳/災害ボランティア 福地 波宇郎
明けましておめでとうございます。
旧年は各方面大変お世話になりました。
いろいろとご無沙汰している方々には失礼をしております。
あまり東京にいない一年でしたが、何をしていたのか、生きているのかとのお問い合わせもいただきました。
報告と御礼をかねて書き記しいたします。
災害ボランティア活動
東日本大震災で南三陸町にカメラをもって入って以来、仕事だけではなく、現場で災害ボランティアを続けていま
イスラエル軍医療部隊同行記【第7話】
~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~
「訪問検診にむかうぞ。」
産婦人科医であり、大佐であるオフィールがそういうと、もう一人の産婦人科医であるモーシェと看護師が車に乗り込んだ。モーシェはキッパーという小さな帽子を頭に乗せている。イスラエル人でもユダヤ教の掟に従って生活している男性が身に着けるも
イスラエル軍医療部隊同行記【第6話】
~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~
診療所には次々と患者さんが顔を出し始めた。
ときには避難所で暇をもてあました子供たちがあそびに来たり。
写真:子どもたちにはおもちゃをプレゼント
「あそこ変な外人さんがいるからって聞いてきた。」と屈託のない笑顔で話してくる。
小児科看護師のガリートは「
イスラエル軍医療部隊同行記【第5話】
~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~
2011年3月29日、イスラエル国防軍医療部隊による医療診療センターが正式に開所した。
朝一番で開所式が行われ、国や行政からゲストも来てイスラエル大使やメディアも駆けつけるということで通訳をする段取りだったが、前の晩にガソリンが不足するかもという話が持ち上
イスラエル軍医療部隊同行記 【第4話】
~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~
診療所オープンに向け急ピッチで設営が進む。
写真:診療所にイスラエルの国旗を掲げる。
カルメル中尉がやってきて、
「支援物資が到着して受け取りの準備があるので写真撮りがてら通訳も頼みたいんだ。」
二人で車に乗り込み被災を免れた物流倉庫へと向かった。
イスラエル軍医療部隊同行記 【第3話】
~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~
宿泊場所であるホテルの前に隊員一同がならび、団長であるベンアリエ准将を中心に日程の確認を行った。この日は診療所開設準備と物資の移送が任務だ。
ほぼ全員が今日初めての現場入り、途中資機材のピックアップや診療所開設までのロジ割り当て、自衛隊やDMATとの情報
イスラエル軍医療部隊同行記 【第2話】
~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~
先遣隊一行のバスは支援先である宮城県南三陸町の隣り、栗原市くりこま高原のホテルエポカに到着、ここが支援の拠点となった。
海外医師による国内での医療行為は医療法の壁がある。しかし、未曾有の被害と思える今回の津波では厚生労働省が特別許可を出し、日本で初となる
東日本大震災、イスラエル軍医療部隊同行記【第1話】
2011年3月11日。
赤羽の自宅にいて大きな揺れを感じた。
遅めの昼食だったカップラーメンの容器が倒れ、立てかけていた三脚がぐらぐらとしていた光景が記憶に残る。
そしてテレビをつけてあの惨状を知ることになった。
撮影の仕事もキャンセルが相次ぎ、ジャーナリスト仲間も次々と東北を目指したがフリーの連中はガソリンの確保に頭をなやませていた。
そんなとき、イスラエル現地のネットニュースでイスラ
【自己紹介】フリーフォトグラファー&ライター、災害ボランティア時々ヘブライ語通訳家
フリーフォトグラファー&ライターになり20年。
色んなことを共有できればと思います。
とりあえず私の略歴と何やってるのかを。
■イスラエルとかユダヤとか
いろいろあって20代をイスラエルですごす
ユダヤ人帰還者に混じりキブツ(集団農場)で働きながらヘブライ語を学ぶ。
途中イスラエル国防軍体験入隊など体験しながらイスラエル政府公認ガイド資格を取得。
写真:キブツにて、働いていた鶏舎の仲間たち