イスラエル医療部隊同行記【写真編】

画像1 訪問診療に向かう医療チーム。車が通れないところは徒歩で。
画像2 DMATの医師とブリーフィング。
画像3 「あんたのカメラ、ウージー(イスラエル製自動小銃)より重いじゃん」
画像4 本職がタクシー運転手の予備役兵。なぜかライセンスプレートを持ってきていたので記念に
画像5 公民館を借りてみんなで晩御飯。宗教的食事規定が厳しいので全部自分たちで作ります
画像6 事務担当の女性兵士たち。
画像7 PKOでゴラン高原に配属されていたという自衛隊員、懐かしそうに話しかけてこられました。
画像8 プレハブの中は総合病院に。
画像9 粉塵や花粉のせいか、耳鼻科、眼科が忙しいようでした。
画像10 ごつい彼らは本職看護師。
画像11 将校たち。国内および国外での救援、生活支援活動を任務とします。
画像12 いたるところで、ありがとうのやり取りをしていました。
画像13 すっかり常連になった避難所のしゅんすけと。
画像14 軍広報の新兵、日本が大好きでプライベートで来たかったと。
画像15 防災庁舎と志津川病院。
画像16 日本人医師と産婦人科医でもあるオフィール大佐。
画像17 仮設トイレを準備しましたが和式の使い方で意見が分かれ。
画像18 子どもが来るとみんな集まってきます。
画像19 自衛隊の医療チームもよく視察にこられました。
画像20 診療所を一歩でると津波の爪痕はそのままに。

災害支援の活動費(交通費、PCR検査費、資機材費、機材メンテナンス費等)に充当いたします。ほんとうにありがとうございます。