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戦後教育を斬る!!(憲法夜話2)④

教育大国アメリカの誕生

イギリスに続いて、アメリカに民主主義が発展したというのは、決して偶然ではない。

高い志と教養を持ったヨーマンの末裔が、新大陸の主人公になったからであった。

ここでアメリカにおける大学の歴史を見ておくのも参考になるだろう。

ハーバードに続いて、1693年にはウィリアム・アンド・メアリー大学が作られた。

この学校は今でも有名な大学として存続している。

さらに1701年にはイェール大学が、1746年にはプリンストン大学が作られている。

このように植民地に大学が作られ、そこで高い教育が授けられていたことが、のちのちのアメリカ独立につながってくるのである。

アメリカ独立の父であるジェファソンもまた、こうした高等教育を受けた人だった。

前述、ウィリアム・アンド・メアリー大学で法律を専攻したジェファソンは、卒業後、弁護士として働くのだが、ラテン語はもとよりフランス語、スペイン語などを話せた。

こうしたジェファソンのような人物が、アメリカにはたくさんいた。

しかも、それはヨーロッパに留学したわけではなくて、自分たちの暮らすアメリカで教育を受けた人たちがたくさんいたからこそ、アメリカの独立は行なえたというわけである。

そのことを一番知っていたのが、ジェファソンであったから、彼は何としてでもアメリカの教育を一層振興しようと考えたわけだ。

民主主義の理想を守るためには、まず教育が必要である。

そのジェファソンの願いが通じたのか、アメリカではその後もどんどん大学が作られた。

独立後の1800年、アメリカには24の大学があった。

それから60年後の1860年、アメリカにはなんと240校の大学があった。

たちまちにして、アメリカは旧大陸のどの国をも凌ぐ「教育大国」になったのである。

「国民の育成」こそアメリカ式教育のエッセンス

民主主義は教育によって支えられている。

教育なきところに、民主主義は栄えない。

この観点から見たとき、はたして現代日本はどうか?

戦後日本では、アメリカによって教育改革が行なわれて、アメリカ式の教育が導入された(昭和22年)。

日本の教育は民主化された!!

こう思い込んでいる人は多い。

ところが、これほど大きな誤解はない。

戦後日本の教育くらい、アメリカ式教育から遠いものはない。

アメリカ式教育の根本とは何か?

その最大の目的は「国民の育成」にある。

つまり、アメリカ人としての誇りを持たせ、アメリカ合衆国への忠誠心を養い育てること。

次にアメリカ人としての生活の仕方(American ways of life)を教えることにある。

いや、これは何もアメリカに限ったことではない。

近代国家の一大特徴は「民族国家」(nation state)である点にある。

単に領土があって、権力者がいれば、近代国家が出来るというものではない。

民族がなければ近代国家は生まれない。

たとえば、中世に「王国」(realm)は存在したが、中世の王国は国家(nation state)ではなかった。

というのも、その王国に暮らしていたのは、領主、貴族、自由農民、商工業者、農奴といった様々な階層の人間であって、この人たちは言ってみればバラバラであった。

貴族と農民は互いに相手のことを自分たちの仲間であるなんて、ちっとも思っていなかった。

こうした階層の国家を「等族国家」と言ったりもするのだが、近代国家はこうした階級や階層の壁が打ち破られ、フランス人、イギリス人といった「民族意識」が生まれることで誕生した。

したがって、近代国家はどこの国でも民族教育に力を尽くす。

これ「世界の常識」である。

教育とは「社会化」である

教育の基本は民族教育にあり。

この原則を徹底させているのが、アメリカである。

そもそもアメリカは移民の国である。

そこに暮らす人たちのルーツも違えば、肌の色も違う。

さらに自由競争を国是としているから、貧富の差はあまりにも大きい。

ビル・ゲイツのような超大金持ちもいれば、日本人の感覚からすれば、信じられないようなあばら屋や壊れかけたトレラーハウス(車両付きの移動住宅)に暮らしている人もいる。

そのような国家において、民族教育を怠ればどうなるか?

言うまでもない。

アメリカ合衆国はたちまち解体してしまうであろう。

WASP(アングロサクソン系プロテスタント)、アフリカ系、ユダヤ、イタリア、コリアン・・・様々な人種・民族のコロニーが独立する。

また金持ちと貧しい階層との闘争も始まるかもしれない。

したがって、アメリカの学校では徹底的に民族教育を施す。

ことに初等教育においては、この大目的がすべてに優先する。

アメリカの大学の教科名を見て、日本人が仰天するのは大学に英語の初級コースがあるということ。

大学に入っても英語、つまり母国語がきちんと読み書きできないなんて!?笑

数学にしても同じである。

大学に入ってから二次方程式を学んだという学生はちっとも珍しくない。

中には分数の計算だってできない学生もいるが、そういう学生に対しても、大学は懇切丁寧なコースを用意している。

まあ、最近では学力低下で日本でもそういう状況になりつつあるが、アメリカは昔からこれが当たり前。

なぜ、こんなことが起きるのか?

その最大の理由は、学校教育が「アメリカ人になること」を最優先にしているからである。

この目的を達成するためには、読み書きソロバンなんてできなくっても大したことじゃない。

そう確信しているから平気の平左なのだ。

では、いったい小学校時代には何を教えているのか?

まず、アメリカの小学校で優先されるのは、他人とのコミュニケーションのトレーニングである。

自分と違った意見を持った人たちを理解し、自分の意見を相手に伝える。

そのためにコミュニケート能力や討論能力を養う。

これは、もちろんアメリカという国が異文化、異民族の寄せ集め国家であるからに他ならない。

このような社会においては、他人を理解し、自分を理解してもらう努力をしなければ、国そのものが成り立ち得ない。

また個人においても、この能力がなければ、一人前のアメリカ人になり得ない。

社会に適合できない。

そこで、まず小学校などでは徹底的にコニュニケート能力を養成する。

そのためには、他の学業が遅れても構わないとさえ思っている。

近代教育の大きな柱の一つは「社会化」(socialization)にあるとされる。

社会化とは、要するに社会に適合する人間を作るということである。

その人間が暮らす社会が求めるルール、行動様式(ethos 倫理もその中に含まれる)を身につけさせる。

そうしなければ、子どもは野獣と何ら変わるところがなくなる。

社会からはみ出してしまう。

アメリカの場合、その「社会化」の中心となるのが他人とのコミュニケート能力というわけである。

つづく

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※ この記事は日々一生懸命に教育と格闘している現場の教師の皆さんをディスるものではありません。

【参考文献】『日本国憲法の問題点』小室直樹著 (集英社)

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