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戦前の日銀を支配したのはロックフェラーだ③

モルガン潰しの「グラス=スティーガル法」

そして、ルーズヴェルト大統領は金融改革の本丸ともいうべき「グラス=スティーガル法案」を議会で通過させることになる。

「グラス・スティーガル法案」とは、カーター・グラス上院議員とヘンリー・スティガル上院議員による法案で、商業銀行と投資銀行の業務を分離させる法案である。

これは、事実上のモルガン銀行への攻撃であった。

さらに言えば、これがロックフェラー家の、モルガン家に対する攻撃であった。

チャーナウの『モルガン家』にはこう記している。

モルガン商会を脅かす者は、煽動政治家だけにとどまらず、銀行業界の内部にもいた。自社株の空売りでミソをつけたウィギン頭取が辞任したチェース・ナショナル・バンクでは、後任頭取になったジョン・D・ロックフェラー二世の義弟のウィンスラブ・W・オールドリッチが、銀行のイメージ一新を望んでいた。このために、商業銀行業務と投資業務とを分離する動きに同調して、1933年3月、どう銀行の証券子会社を分離し独立させた。(中略)歴史家のアーサー・シュレジンガー二世によれば、「オールドリッチの行動は、モルガン財閥に対するロックフェラーの攻撃だと解された」という。(『モルガン家』上巻567ページ)

このように、ルーズヴェルトの大統領就任およびそれに引き続く金融改革政策は、ロックフェラーによるモルガン攻撃であった。

このことを、オーストリア学派に属する、ミーゼス研究所の経済学者マレー・ロスバードは『A History of Money and Banking in the United States(アメリカ貨幣銀行史)』(未翻訳)の中で、もっとはっきり書いてある。

ここでは、そのダイジェスト版とでもいうべき『The Case Against the Fed(対連邦銀行裁判)』(未翻訳)より、吉田祐二氏の翻訳をみてみよう。

ルーズヴェルトのニュー・ディール期における決定的な局面は残念ながら長らく歴史家から無視されてきた。ニュー・ディールとはモルガンを引きずり下ろすために、対抗する金融グループによる連合体による「打倒モルガン」を企図したものであった。その連合体とは、ロックフェラー家、振興のハリマン家、リーマン・ブラザーズやゴールドマン・サックスといったユダヤ人投資銀行家、マイノリティであるアイルランド人カソリックの野心家ジョセフ・ケネディ、カリフォルニア州のバンク・オブ・アメリカのイタリア系であるジャンニーニ、ユタ州の銀行=建設コングロマリットの頭であるモルモンのマリナー・エックルズ、カリフォルニアのベクテル社、そしてロックフェラーのスタンダード石油カリフォルニアである。この金融革命の先触れとも言うべきは、ロックフェラーによるモルガンの旗艦商業銀行であるチェース・ナショナル銀行の乗っ取りの成功であった。1929年以来、ネルソン・オールドリッチ上院議員の息子でJ・D・ロックフェラー二世の義弟であるウィンスラプ・W・オールドリッチは、ロックフェラー家が支配するエクイタブル・トラスト・カンパニーをチェース銀行に合併させ、銀行内部での権力闘争の末にモルガンのチェースCEOであるアルバート・ウィギンを追い出して、取って代わった。それ以来チェース銀行はロックフェラー金融帝国の実質的な総司令部となったのだ。(『The Case  Against the Fed(対連邦銀行裁判)130ページ)

1934年「連邦準備制度理事会」の発足

さらに、ロックフェラーによるモルガン攻撃は続く。

それが、「連邦準備制度理事会の発足」という出来事である。

アメリカの中央銀行である連邦銀行に注目する論者の多くが、「ジキル島の会合」によって連銀が発足した1913年に焦点を当てる。

たしかにそれも大きな節目とは言えるのだが、その後の1934年に起きたより重要なこの出来事に注目する論者は少ない。

ニューヨーク連邦銀行をはじめとする12の地区の連邦銀行は、1913年に設立されたときには、いまだモルガン色の強い組織であった。

これが、ロックフェラー色に染まるのが、1934年であり、「連邦準備制度理事会の発足」なのである。

チャーナウの『モルガン家』より引用する

モルガン財閥に対し最も手の混んだ攻撃を仕掛けてきたのは、連邦準備制度の改正を求めた人々だろう。1934年、ユタ州の青年銀行家のマリナー・スタッダード・エクルズがルーズヴェルト政権に、連邦準備法の改正を勧めた。改正の趣旨は、ウォール街銀行家の影響力を連邦準備制度から一掃するため、ニューヨーク連銀の持つ力を取り上げてそれをワシントンの連邦準備局に移すというものだった。(中略)成立した同法に基づいて、全国の12の地区に置かれている連邦準備銀行は、従来の独立権限の大部分を奪われ、7名の理事から成るワシントンの連邦準備制度理事会に実権を握られた。この改正で、二つの点で連邦準備制度の新たな独立性が強調された。一つは、財務長官が理事の地位から外されたことで、もう一つは、それまで財務省内にあった連邦準備制度が独立の建物を得たことだ。(『モルガン家』下巻18ページ)

このように、連邦銀行のなかでも最大の権限を握るニューヨーク連銀はモルガンの持ち物なのであり、その権限が剥ぎ取られて連邦準備制度理事会とともにワシントンに移されたのが1934年なのである。

ここにおいて、ロックフェラー財閥が中央銀行を支配下に収めたことが明らかになるのである。

つづく

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【参考文献】『日銀 円の王国』吉田祐二著(学研)

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