深読みを誘う七色いんこ ※ネタバレ記事
※※※ネタバレです※※※
ちょいワルでも実は優しい、かっこつけながらもかっこ悪い。絶妙に中途半端な、愛すべき七色いんこの話を前回しました。
今回は、最後に明らかになる彼の正体の話をするので、
手塚治虫『七色いんこ』を読み終えていない方はバックでお願いします。
内容をご存じの方が読まれることを前提としているため、細かい説明もない不親切設計。
独りよがりな考察?的ななにかを長々と語ります。
「深読み」なんてタイトルにあるけどたいして読めてない可能性はあり、タイトル詐欺すみません先に謝ります。
※秋田文庫(全5巻)から引用しています
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(ていうか 読んでないと 全然意味不明だと 思うな)
父親・鍬潟隆介へのアンビバレントな感情
『七色いんこ』を久々に(中学以来?)再読して気になった話がある。
「青い鳥」。(秋田文庫2巻収録)
いんこが実父の鍬潟隆介を憎んでいるのは自明の事実と思っていた。
果たして、そうだろうか? いや、それだけだろうか?
「青い鳥」はメーテルリンクの劇をベースにしたエピソード。
鍬潟が開発させたロボット・カーが無差別に人をはねる暴走車と化す話だ。
最後には車がお披露目会場を襲うが、いんこと千里刑事がタッグを組み、車を破壊する。
ここで暴走車にはねられそうになった鍬潟を、いんこは助けてしまう。
さりげなく描かれているが、改めて読むと気になった。
いんこ=陽介は父への復讐をこんな形で終えるわけにはいかないから、あえて助けた、という見方も可能ではあるが、
むしろ、考える暇もなくとっさに助けてしまったように見える。
目の前の誰かが危機にさらされたときに放っておけない、根っこの部分の善良さが現れた、とも見えるが……
朝霞一家が乗った車を海に落とさせて殺した父。
最も大切なものを奪った敵。
……なのだが、ことは案外それほど単純ではないのかもしれない。
鍬潟は、失踪した息子・陽介(=いんこ)のダミーを、自慢の新型車両に乗せていた。
いんこはそのことをどう受け止めただろう。
深読みしたくなるやり取りだ。
鍬潟は息子・陽介を、自分を愛していなかったわけではない。
いんこはここで、それをはっきり悟っただろう。
そのうえで、あんたの愛は的外れで迷惑だ、と言っているようにも聞こえる。
生まれてきてすぐ死ぬ運命にある未来の子ども。
開発されたが期待外れのふるまいをして破壊されてしまう車。
跡継ぎにするつもりだったのに消えてしまった息子。
暴走車「青い車」は、陽介でもある。
鍬潟は車の説明としてこう述べる。
「まるで飼い犬のようにおとなしく命令を聞きりこうなのにびっくりなさるでしょう」(2巻 p. 255)
彼が父親として望んだ理想の息子の姿も同じだったのだろう。
おとなしく命令を聞き、りこうな息子……
(この話ではロボット・カー以外にも人型ロボットや原発が言及されており非常に興味深い)
(朝霞一家を自動車事故にあわせた人物が「無事故カー」を開発するという欺瞞も注目に値する)
(求めた幸せはすぐそこにあった、という物語が「青い鳥」。ただしそれに気づくまでに冒険を要する。『七色いんこ』においても、いんこと千里刑事は最初に出会ってずっとそばにいるが、陽介とモモ子は数々の物語を経てようやく再会する)
『ハムレット』が暗示する物語の行く末
1エピソードとっただけでも、これほど深読みを誘う『七色いんこ』。
古今東西の演劇を借用しながら展開する作品全体のコンセプトそのものが他のテクスト参照を促すものとなっていて、極めて間テクスト性(intertextuality)の高い作品であると言える。
その第1話は「ハムレット」。
前の記事でも書いたが、全編の幕開けとなる第1話に『七色いんこ』のほぼ全てが詰まっている。
ここで上演される劇が周到に、意図をもって選ばれていることはほぼ疑いない。
ハムレット役の代役として登場したいんこは上演当日、セリフを一部変えて、客席に座る財界のドン・鍬潟を痛烈にあてこする劇にしてしまう。
シェイクスピア作『ハムレット』の内容は、王子ハムレットが父王を暗殺した王弟に復讐するというもの。
最後まで『七色いんこ』を読むと、
ハムレット=いんこ/陽介
オフィーリア=千里刑事/モモ子
王弟=鍬潟隆介(いんこの実父)
父王=モモ子の父(・母)
という配役が浮かび上がる。
いんこ=陽介は、「鍬潟王国」の王子なのだ。
しかも、ハムレットが死ぬ場面のリハーサルから『七色いんこ』は幕を開けるのだから、
この物語の終わりもあるいは、……と思わせる。深読みを誘う仕掛けだ。
(余談。新連載の初回・カラーページ中に主人公どころかレギュラーキャラすら全然出てこないのすごくないですか?)
『ロミオとジュリエット』が登場しないわけ
多くの読者が指摘してきたことだが、大人になって読んで初めて気づいたことがある。
『ロミオとジュリエット』が作中に登場しない理由だ。
感動した。なんて洗練された作品なんだ!
最終章は内容的に『ロミオとジュリエット』なのだが、あえて隠したのが熟練の技。
明示せずに察させる話運びがすばらしい。(子どもの私は全然気づかなかったが)
財界のキング・鍬潟。
彼の悪事を暴こうとする新聞記者・朝霞。
敵同士の二人の、息子(陽介)と娘(モモ子)が親友になる。
「きみは敵の娘とつきあってるんだぞ」。(5巻 p.164)
そう、『七色いんこ』という作品そのものが、『ロミオとジュリエット』を下敷きにしているのだ。
『ロミオとジュリエット』も『ハムレット』同様、悲劇に終わる。
この世にあっては結ばれない二人。
最後に千里刑事=モモ子に見送られて、いんこ=陽介は舞台へ出ていく。
劇は最後まで無事上演されたのか? いんこの復讐の結末は?
舞台の幕が上がると同時に、『七色いんこ』の物語は終幕となるが、
二人の幸せな未来を思い描くことは難しく、切ないエンディングとなっている。
師匠・トミーの最期を踏まえても、
「素顔をさらす=死」
の図式は避けがたいものに思える。
(余談:作品のキーとなるキャラ、トミーが最終話に突然登場しても違和感がないのもさすが。いんこがあのカツラをずっと被っていたのはこういうわけか! とストンと読者に受け入れさせる見事なテクニック)
「タマサブローの大冒険」が見せる幻
『七色いんこ』には不思議なオマケがある。
いんこがなりゆきで世話をしていた犬・玉サブローが主役の短編が、本編終了後に置かれているのである。
「カーテンコール」というには、いんこも千里刑事も出てこない。
むしろ音楽でいう「コーダ」のような、独立した話となっている。(比喩として成立しているか?)
玉サブローの名前も、タイトルに「タマサブロー」とあるだけで、一度も呼ばれない。
玉サブローはなぜ一匹なのか。
いんこはどうしたのか……
「タマサブローの大冒険」は短いながら、環境汚染・核実験・動物実験などの重たいテーマを扱っている。
そして弱者を押しつぶそうとする世の現実を愛の力で覆すタマサブローを描く。
彼は映画スターの美犬に恋するが、彼女はケガのためお払い箱になり、核実験の犠牲にされようとする。
無人島につながれて死を待つばかりの彼女と他の動物たちの元にタマサブローは駆けつけ、動物たちはみな海へ逃れる。巻貝を浮きに使って。
この美しくも荒唐無稽なお話しが、なぜ『七色いんこ』の掉尾を飾っているのだろうか。
玉サブローと美しい元スター犬。
巻貝に乗って、大海の彼方へ消えてゆく二匹。
彼らの消息は誰も知らないが、きっと幸せに生きている……
……これはおとぎ話だ。夢物語だ。
現実的に考えれば、こんな広い海を巻貝に乗って、どこまで行けるというのだろう。
それを言うなら、最初から最後まで無茶苦茶な話なのだ。いうだけ野暮だ。
では、このおとぎ話はなんなのか?
子どものころ、初めて読んだときも不思議だ、と思った。
今感じるのは、
「これは陽介とモモ子の物語の幻なんじゃないか」
ということだ。
この話において、徹底的に不在の二人。
彼らの幻の幸せが、映し出されているんだ。
陽介とモモ子のハッピーエンドは、描けばウソになってしまう。
『七色いんこ』という物語そのものが、二人の幸せな結末を許さない。
古今東西の演劇に材をとった『七色いんこ』は、物語の必然(?)を裏切ることができないのではないか。
そんな気がしてしまうのは私だけだろうか。
そこで、この閉塞状況を打ち破るウルトラCが、「タマサブローの大冒険」。
ここに展開するのは既存の演劇作品によらない、新しい物語だ。
2匹の夢まぼろしのような幸せに、もう姿の見えない陽介とモモ子の幸福が淡く重なる。
この世のどこでもない場所でしか実現しない、幸せが。
(ああ、ネバーランド! 『ピーター・パン』も作中に登場しているではないか?)
何を言っているのか自分でもよくわからないが、
無理やり言葉にするとこういう感じを、私は受けた。
※「タマサブローの大冒険」は玉サブローを役者として起用した劇中劇である、あるいは、
いんこは存命だが玉サブローは彼の庇護下を離れている、といった様々な解釈がありえますが、ここでは後日譚としてとらえています
スピンアウト作品があるらしい
明快な結末を描いていない『七色いんこ』には妄想の余地がおおいにあり、その類の良作の例に漏れずスピンアウト作品が存在する。
……私は読んでいないんだけども。(おい)
やっぱり完結して何十年たってからもトリビュート作品が出るようなマンガっていうのは、元がいいんですよ。世界観・物語がしっかりしていて、そのうえ妄想の余地がある。『聖闘士星矢』然り。
『七色いんこ』の場合、第1話と最終話の間に、いくらでも物語を入れられる構造なのも強み。
……キリがないのでこのへんで。(なんたる尻切れトンボ)
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