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時を越えた「逆ソクラテス」

仕事に向かうために準備を済ませ、あとは髪を縛るだけというところで動けなくなってしまい、会社を休んだ。

髪の毛を引っ掴んでブチブチと引きちぎってやろうかと思ったが、そんなことも出来ず、掻きむしるだけで終わった。

情けない。悔しい。職場は嫌なわけではないのに。仕事がつらいわけでもないのに。メンヘラじゃん。キモいな。などをぐるぐる考え、いつの間にかコンビニに寄ってレッドブル、リプトンのミルクティー、紙タバコを購入して一冊の本を持ち、公園に来ていた。

普段は電子タバコなのだが、何故かこうして落ちてしまった時、たまに紙タバコを吸いたくなる性分らしい。

一冊の本というのは、伊坂幸太郎の「逆ソクラテス」だ。

過去に友人に借りて読んだことがあり、面白かった記憶が抜けず自分でも購入した。外に出る前、この本なら今の私でも物語の世界に連れて行ってくれると思い、手に取ったのだろう。

雲一つない晴天の下でベンチに座り、まずタバコに火をつける。懐かしい味がすると共にこの季節は謎にセンチメンタルな気持ちになる。そんな中、さらに中学の頃によく飲んでいたリプトンを開ける。

少しぼうっとしてから本を開く。少し読んだ痕跡がある場所に栞が挟まっていたが、引き抜いて最初から読むことにした。

ああ、こういう話だったなと回想するようにページを捲る。途中で座っている位置が日陰になってしまい、陽の当たるベンチへ移る。

あたたかな空気を纏いながら夢中になっていたことに気付き、ふと時計を見ると、朝だったはずが昼になっていた。流石にびっくりした。

でもそりゃそう、一冊まるっと読んだのだから。逆ソクラテスは小学生が主となる短編が5つある。


全て面白い。中でもお気に入りの話は”アンスポーツマンライク”である。でも、ここでは別の話からのシーンを抜粋したい。

「今まであちこちの学校に通ったけどさ、どこにでもいるんだよ。『それってダサい』とか、『これは恰好悪い』とか、決めつけて偉そうにするやつが」

「そういうものなのかな」

「で、そういう奴らに負けない方法があるんだよ」

〜〜〜

『僕はそう思わない』
「え?」
「この台詞」
「それが裏技?」

逆ソクラテス 伊坂幸太郎「逆ソクラテス」より


これは小学生の会話である。担任の久留米を「自分が正しいと信じ、ものごとを決めつける人間」ということを転校生である安斎くんが問題視して様々な解決策を語り手の加賀くんに提案する。その会話の一部だ。

明らかに私自身に欠如している部分だった。なんでもかんでも人から言われたことに違和感があってもふんわり同調してしまいがちな私の。

心の内では「別に私はそう思わないんだけど、人が言うならそうなのか」と他人軸な考えを持つことが多かったりする。本を読むとこういうことに気付かされる。

もう一つ。

相手によって態度を変えることほど、恰好悪いことはない

先生がまた歯を見せる。

「相手が弱くて、力が通用しそうな時は、ビンタをするけれど、相手が屈強だったり、怖い人の子供だったら、ビンタはしない。そんなのは最低だし、危険だ」

危険? とはどういう意味なのか。

「弱そうだからって、強気に対応したとするだろ。だけど、後でその相手が、実は力を持っていると分かるかもしれない。動物の世界ならまだしも、人間の、特に現代の社会では、人の持つ力は見た目からは分からないからね。
だって、人間の強さは、筋肉や体の大きさだけじゃないんだから。いつか自分の仕事相手になる可能性もあるし、お客さんになることもありえる」

逆ソクラテス 伊坂幸太郎「非オプティマス」より

「評判はみんなを助けてくれる。もしくは、邪魔してくる。あいつはいいやつだな。面白いやつだな。怖いやつだな。この間、あんな悪いことをしたな。そういった評判が、大きくなっても関係してくる。
もし、缶ペンケースを落としているのがわざとだったとして、もしくは、誰かに無理やり缶ペンケースを落とさせるような、自分は手を汚さずに誰かにやらせるような、ずるい奴がいたとするだろ」

〜〜

「先生にはばれなかったとしても、ほかの同級生はそのことを知っている。だれだれ君は、だれそれさんは、授業中に缶ペンケースを落として授業を邪魔していたな、だれそれ君はずるがしこい奴だったんだな、と覚えている。いい評判とは言えない」

逆ソクラテス 伊坂幸太郎「非オプティマス」より


落とせば音が響く缶ペンケースをわざと授業中に落とす児童が何人かおり、それに対してあまり咎めず、いつもぼんやりしている久保先生が授業参観の日にクラスで軽快に話し始めたシーンだ。

「それは、そう」と自分も席に座って聞いている気分だった。

私は小学生の頃にされた嫌なことを内容からしてきた人間の本名まで覚えている。十数年経った今もだ。それを見ていた同級生も「〇〇はいとしに対して酷かったもんな」と言う始末である。

大人になっても小学生と同じようなことをしている奴はごまんといる。嫌気がさす。

人を見下して「こいつは何しても許される」「こいつは自分に従うことしかできない」という歪み感情は全くもって理解ができない。自分が恰好悪いことをしていることも、そういうことをしてヒエラルキーの高い位置にいると優越感に浸っている稚拙な思考を、理解できない。

負の感情を植え付けてきた人間たちの行方はどうだって良い。ただ、「お前らは私に一生のトラウマを与え、周りにも良い評判は持たれていないぞ」と言いたい気持ちは大いにある。

しかし、久保先生は「可哀想に、と思えばいい」と言っている。ああ、あの人たちは虎の威を借る狐なだけで、偉くも怖くもない、ただの可哀想な人間だったのだなと考えた。

過去の言われた言葉の刃がフラッシュバックしてしまう瞬間は幾度となくある。そのたびに、「私はそう思わない。あんたは可哀想な人間だな」と浮かび上がってくる憎たらしい顔面に向かって言えるよう、心得て過ごしたいと思った。

最初に書いた”アンスポーツマンライク”は脳内でドラマを観ている気分になる。いつか自分の身に起こりうることかもしれないが、まだ起こっていない日常的ファンタスティックを感じられる。

全てを通して伏線回収みたいなのが散りばめられているのでそういうのが好きな方にはオススメです。

伊坂幸太郎の本は逆ソクラテス含め3冊持っている。小説は最近読まなくなってしまっているのだが、久しぶりに読むと面白いし、伊坂幸太郎の書く物語は疾走感がある感じが良い。(全作品を読んでいないニワカがすみません)

仕事を休んだ自分の情けなさに苛まれ、潰れそうだったところを、小学生とその先生たち、小学生から成長した子どもたちが、

「動けなくなったなら仕方ないじゃん。僕たちは情けないと思わない。何か言われたとしても、そいつはあなたの全てを知っているわけじゃない。言われたら、先入観で決めつける人間なんだよ。可哀想に、と思えば良い。」

と言ってくれている気がする。

今回はここまで。
読んでくださりありがとうございました!

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