「ワーハッハ!!」の衝撃

中学の頃は、まじめすぎた。
体育祭の打ち合わせで、同級生の家に集まったときのこと。
休日だったけど、まじめな僕は体操服を着ていった。
それを同級生に笑われて、とても恥ずかしい思いをしたことを覚えている。
「こいつら笑いやがって」と怒り狂った僕は、1人1個のケーキを、自分だけ2個食うなどして抵抗した。
まあ、まじめだったのだ。

なぜそんなにまじめだったのかというと、部活の顧問が怖かったからだ。
とりわけ生活態度に厳しかった。
学校内でのあいさつを怠った部員がいれば、部活中にあいさつの練習をさせられたのが懐かしい。
グラウンドは山に挟まれた場所にあった。
部員が一列に並ばされ、大声であいさつの練習をしていると、山に反響した声と、自分の声が重なり、何がなんだかわからなかった。
また、うちの中学校は自転車通学の生徒が多く、帰宅中のタスキの着用も校則になっていた。
ただ、中学生というのは反抗したい時期。
「タスキなんてつけてらんねー」と付けずに帰った同級生の部員がいた。
めでたく次の日の部活は、タスキを付けた状態でやることになった。
おかげで日光に照らされ、みんなピカピカ光っていた。

取ってつけるように書くが、生徒思いの良い先生だった。

そんな環境と、僕のもともとの性格も相まって、まじめになりすぎた。
校則やルールを守れなかったら顧問の先生から怒られる。
だから、怒られそうな行動の芽はつむぐ。
そうして平穏な日常を守っていたのだ。


「生活帳」という、毎日担任の先生に提出するノートがあった。
時間割の他に、自由記述欄が4行。
自由記述欄は日々の出来事など、書くことは何でもいい。
ただ、まじめな僕はきっちり4行分、まじめな内容を書いて先生に提出していた。
「今日は数学で~~を学びました。次のテストは頑張りたいです」的なやつだ。
いわゆる定型文。
別に4行すべてを埋める必要もない。
だけど、まじめさをアピールするにはきっと埋めた方が印象が良い。
無意識にそう思っていたのだ。


ワ―ハッハ!!

同じ部活の友人の生活帳を見たとき、衝撃が走った。
4行という区切りをまるで無視したドデカい字。
脈絡のない一言。
なぜかカタカナ、ビックリマーク2つ。
そして字が汚い。

「なんだよこれ~」
「アホ丸出しかよ!」

デカデカとした文字を指さしながら、同級生達と笑いものにしていた。
だけど本当は、脳内にガツンと衝撃を受けていた。

「あ、これでいいんだ」

僕は1人、すっと心を軽くしていた。
友人は同じ部活で、同じ怖い顧問。
だけど彼は、自分という軸をずらすことはなかったのだ。
僕みたいに縮こまることなく、すべてを笑い飛ばしていた。
思えば、僕はなぜ他人の価値観を何よりも大切にして生きているのか。
そんなことしなくてもいい、自分の書きたいことを書けばいいのだ。
4行を埋める必要もないし、まじめな内容を書く必要もない。
簡単なことかもしれないけど、ずっと気づけなかった。

僕はもともと〈頭の中の自分〉と〈みんなの前で見せる自分〉が違っていた。
〈頭の中の自分〉はもっと自由だった。
もっとふまじめなことも、突拍子もないことも書きたかった。
だけど、〈みんなの前で見せる自分〉がそれを阻んだ。
まじめなただの良い子ちゃんになってしまう。
そのフィルターを通すと、何もかもが平凡になっていくのだ。

そんな僕には「ワ―ハッハ!!」の文字はとても大きく輝いて見えたし、岡本太郎的な「芸術は爆発だ」という衝撃をうけた。
性格や行動まですべてガラッと変えるのは無理かもしれない。
だけど生活帳だけでも、こんな風になろう。
そんな思いが芽生えた。



「君の生活帳、読ませてもらってるよ」

職員室で見ず知らずの先生にそう言われたとき、恥ずかしくて破り捨ててしまいたい気持ちになった。
でもそれと同時に、自分らしさが認められたようで、すごくうれしかったことも憶えている。
(部活の顧問も読んでいたと思うとゾッとするが。)

変なイラストや、シュールな物語、好きなアーティストの歌詞分析……
あの日から一変した生活帳は、表現の枠が広がった。
4行には収まらない気持ちを無理やり枠内にねじ込んでいくのはとてもワクワクした。
そう思えたのは、きっと誰かを気にすることなく自分らしさを表現することを、自分自身がずっと求めていたからだと思う。
そして、そのワクワクは生活帳という枠を飛びこえ、職員室中回し読みされるほど世界を広げたのだ。


「あのとき、○○に出会ってなかったら…」

人生を振り返ると、そんなことがけっこうある。
スピッツやあいみょん。
オードリーの若林さんのエッセイも。
あと、大学の先輩と、バイト先の店長と社長。
周りの人から見れば、小さな出来事だったかもしれない。
だけど、僕にとってはすごく大きな意味を持っている。
きっと「ワ―ハッハ!!」という文字で笑いあったのを憶えているのも僕だけだ。
そして、あの瞬間にビビッと意味を感じたのも僕だけなのだと思う。
生きていく、ということの中には、そういった大切な偶然の出会いをはらんでいるのだ。
笑いとばせない事実がそこにはある。


#部活の思い出
#エッセイ
#大学生
#大学院生
#中学校
#中学生
#部活
#真面目
#まじめ
#岡本太郎
#芸術は爆発だ

この記事が参加している募集

部活の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?