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「事実にもとづく世界の見方」を身につけよう:ファクトフルネスのすすめ(関美和)

翻訳者 関美和のおすすめ本! 第4回
"Factfulness(ファクトフルネス)"
by Hans, Ola&Anna Rosling(ハンス、オーラ&アナ・ロスリング)
2018年4月出版 ※日本語版は2019年1月刊行予定。
Factfulness(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データから真実を読み解く習慣』日経BP社

あなたが思うより、世界はよくなっている

このあいだ、林真理子さんのインタビューを見ていたら、「世の中に残る本を、1冊でいいから書きたい。」とおっしゃっていました。あれだけたくさんのベストセラーを世に出してきた林さんが、そうおっしゃったことにハッとしました。同時に、翻訳者も同じだと相槌を打ってしまいました。多くの書籍翻訳者は、「世の中に残る一冊」に出会いたいと思いながら、日々翻訳に向き合っています。そんな「世の中に残る一冊」に出会えた、と思わせてくれたのが、今回ご紹介する『ファクトフルネス』です。

まず、皆さんに質問をさせて下さい。

質問:世界中の30歳の男性は、平均で10年間の学校教育を受けています。では30歳女性は平均でどのくらい学校教育を受けているでしょう?

A:9年間
B:6年間
C:3年間

私は大学で教えていることもあり、教育関係者にお会いする機会は少なくありません。また、バングラデシュにあるアジア女子大学(『ファクトフルネス』にも登場します)の理事を務めているので、途上国における女子教育の専門家にもお会いします。この本の翻訳を引きうけてから、これまでに30人を超える専門家と学生にこの質問をしました。正解率は、なんとゼロパーセント。実は私も間違えました。正解はAの「9年間」です。

こうした世界についての質問に、知識レベルが高いはずの先進国の人たちはどう答えたでしょう? 著者のハンス・ロスリングがさまざまな講演で聴衆に質問をしてみたところ、正解率はチンパンジー以下でした。ランダムに答えるよりも、はるかに低い正解率だったのです。なぜ、よい教育を受け、これほど多くの情報に囲まれている私たちが、世界に対して間違った見方をしてしまうのでしょう? どうして事実に基づいて世界を見ることができないのでしょう? 

それは、私たちが知らず知らずのうちに、世界を「先進国」と「途上国」に分けているからです。こちら側にいる「私たち」と、あちら側にいる「あの人たち」は違うし、その状態は変わらないと思い込んでいるからなのです。世界のメディアは、極度の貧困にある人たちの悲惨な暮らしや、難民や、紛争や、災害を取り上げて報道します。アフリカの離村で何十キロも離れた井戸まで毎日歩いて水を汲みにいく小さな女の子の映像は、いつまでも私たちの心に残ります。高等教育を受けられるようになったアジア人の映像は、ニュースにさえなりません。人はこの世界にドラマを求めます。いいニュースは報道されず、悲惨なニュースは強烈な印象として残るのです。

また面白いことに、「その道のプロ」でも、自分の専門分野の質問に間違います。専門家ほど、自分の取り組む問題を実際よりも深刻なものだと思い込んでしまったり、古い知識や先入観に囚われてしまったりするようです。そして、知識をアップデートすることを怠ってしまいます。先ほどの女子の学校教育はいい例です。世界は変わり、事実も変わります。かつての貧困国では今や男子も女子も教育を受け、所得水準は上がり、子供の数は減り、寿命は延びています。つまり、「世界はよくなっている」のです。

そう言うと、「いや、極度の貧困に苦しんでいる人はまだこんなにいる」と反論する人がいます。たしかに、世界には極度の貧困に苦しむ人も、学校に通えない子供も、人間性を奪われた暮らしを強いられている人もたくさんいます。ですが、「世界にはまだ悲惨な人がたくさんいる」という事実と、「世界はよくなっている」という事実は同時に成り立つはずです。 

拭いきれない「私たち」対「あの人たち」という先入観

「私たち」対「あの人たち」という先入観を排除するのがどれほど難しいかについて、著者のハンス・ロスリングは自分の失敗を例に挙げて教えてくれています。2013年、ロスリングはアフリカ連合に招かれて、講演を行いました。アフリカのリーダーたちが一同に会する会議は、ロスリングにとって長年夢に見た大舞台でした。この大舞台で、ロスリングは「20年もしないうちにアフリカから極度の貧困がなくなる」と宣言しました。そして、「やがて自分の孫がアフリカを高速鉄道で観光する日が来るだろう」と言ったのです。サハラ以南のアフリカの現状を考えると大胆な結論のはずでした。
この講演に対するアフリカ連合のズマ委員長の感想を聞いたロスリングはショックを受けます。ズマ委員長は、こう切り捨てました。「あなたにはビジョンがない」と。ズマ委員長は、「アフリカにいる自分の孫が、先生の国(北欧)に観光旅行に行く日がかならずやって来る。アフリカ人はそのうち、難民としてではなく、観光客としてヨーロッパに歓迎されるようになる。それがビジョンというものだ」とロスリングを諭します。ロスリング自身にもまだ、アフリカの人たちとヨーロッパの人たちが同じ豊かさを享受できる未来が見えていなかったのです。

著者のハンス・ロスリングは医師であり、また公衆衛生の専門家でもあります。半生をかけて「事実に基づく世界の見方」を広めることに力を注いできました。ですが大変残念なことに、この本が出版される前の2017年2月にこの世を去りました。ガンの宣告を受けてからちょうど一年後のことでした。著者の遺志を継いで本を完成させたのは、息子のオーラとその妻のアンナです。人生の最期の1年間、ロスリングは予定されていた講演をすべてキャンセルして、息子夫婦と共にこの本の執筆に集中しました。ロスリングが命をかけて伝えようとした「事実に基づく世界の見方」ができるだけ多くの人に届くことを、願わずにいられません。

執筆者プロフィール:関美和 Seki Miwa
翻訳家。杏林大学准教授。慶應義塾大学文学部・法学部卒業。ハーバード・ビジネススクールでMBA取得。モルガン・スタンレー投資銀行を経てクレイ・フィンレイ投資顧問東京支店長を務める。翻訳書にリー・ギャラガー『Airbnb Story』(日経BP社)、『お父さんが教える13歳からの金融入門』(日本経済新聞出版社)、ピーター・ティール『ゼロ・トゥ・ワン』(NHK出版)、ほか多数。

※同著を植田かもめさんが取り上げた記事はこちら!


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