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人間とクローンの境界はどこにあるのか?(倉本知明)

「倉本知明の台湾通信」第1回
噬夢人』(夢喰い)by 伊格言(Egoyan Zheng)
2010年9月出版(新装・改訂版2017年7月出版)

「中華SF」と聞いて、どんなものを思い浮かべるだろうか? サブカル好きな読者は、ドラマやマンガの原作にもなった『西遊記』や『封神演技』といった古典文学が頭をよぎるかもしれない。あるいは、熱心なSFファンであれば、日本でも話題になったケン・リュウの短編小説『紙の動物園』や、オバマ元大統領やFacebookのザッカーバーグCEOが絶賛したことでも有名になった劉慈欣の長篇小説『三体』を思い浮かべることだろう。

一方、同じく中国語で創作されるお隣の台湾のSF事情に詳しい日本の読者はどれだけいるだろうか? おそらく、現代台湾におけるSFを語る際、伊格言を抜きにして語ることは出来ない。1977年台南生まれの伊格言は、台湾大学及び台北医学大学で心理学と医学を学び、SF小説の創作と並行して詩集や文芸評論を出すなど、デビュー以来幅広い創作活動を行ってきた。科学的知識に裏打ちされたその精緻な作品世界の背景には、作家でありながら心理学や医学を学んだ異色の経歴がある。
そうした科学的知識をふんだんに用いた作品のなかでも最もその本領が発揮されているのが、長編小説『夢喰い(原題は『噬夢人』)』だ。本書は2010年に台湾で出版された後、2017年には加筆・修正されたバージョンが中国大陸でも出版された。

クローンたちが労働を担う未来社会

23世紀、大量生産されたクローンたちが人類に替わって労働を担う未来社会を描いた同作品において、人類連邦政府は彼らクローンを人類と厳密に区分することで、自らの優位性を確保しようと試みる。当初、人類連邦政府は「血色素検査法」と呼ばれる検査方法によって両者を識別していたが、やがてクローンたちが自己進化することでその違いは消滅、人類の種的優位性が揺らぎはじめる。血色素検査法が廃止された後、抽出した夢から両者を区分する方法を発見した人類連邦政府は、引き続き両者の本質的な違いを強調することによってその優位性を保ち続けるが、そうした非人道的な政策に反発する「クローン解放組織」との間で血で血を洗う抗争を生み出していく。

物語は、人類連邦政府国家情報総本部(通称第七シール)の幹部として働く主人公Kの視点から描かれているが、人類社会に潜り込んだクローンたちを「焙り出す」任務に就くK自身もまたクローンであるという矛盾を隠し持っている。
しかも、一般的なクローンが自らの生産番号や労働任務を、人類連邦政府によって作成されたプログラムを通じてインプットされているのに対して、Kの出生情報はその一切が謎に包まれていた。人類かクローンかといった本質的アイデンティティを選び取ることができなかったKは、「人類・男性・西暦2179年生まれ・ヤンゴン出身・クローン解放組織のゲリラ攻撃による戦災孤児」といった偽の経歴を捏造して生きていくしかなかった。

人類にもなれず、またクローンにもなりきれないKであったが、同じく第七シールの出身で、クローンのポルノ女優と恋に落ち、逃亡の末、罪に問われた元諜報員を尋問するなかで、その心に揺らぎが生じる。
出荷時に「精神的去勢」を施されるクローンたちは、愛情の欠落した非人間的な存在とみなされ、そうした見解に異を唱える者は、シベリアの特殊刑務所において一切の知的機能を奪われた状態で収監されてきた。
第七シール幹部として同刑務所を視察したKは、やがてその残酷さから人類連邦政府を裏切ってクローン解放組織に情報を流すことを決めるが、時を同じくして人類連邦政府もまた組織内部に潜り込んだスパイを洗い出すために、全面的な内部調査を発動するのだったーー。

圧倒的なリアリティが現代社会に侵食していく

物語には実に様々な科学技術が登場している。クローンの生産方法やその識別方法に止まらず、脊椎に差し込まれたプラグからバーチャル空間を体験する技術やてんとう虫の羽の中に保存された個人の夢や記憶など、壮大な未来世界を描くにあたって、伊格言はさながら科学論文を執筆するように、大量の(そして偽の)科学知識を注釈として小説に書き加えている。全29条、物語全編のおよそ10分の1に及ぶその注釈は、23世紀における歴史人物や科学知識、哲学や文学など、虚構の未来にある種の客観性とリアリティをもたせている。

伊格言が人類とクローンの違いを詳細に分析しているように、SF小説とは極端な世界、極端な仮説を立てることによって、「人間とは何か」といった人文科学における基本命題1を考察するものである。しかし、こうしたSF的未来世界は必ずしも遠い未来の話などではなく、「中中」、「華華」と呼ばれるクローン猿が中国の科学チームによって作り出され、AI産業が現実のものとして意識されつつある現在、そうした極端な仮説はすでに我々の現実と密接に結びついている。伊格言の描くSF小説には、真偽を問わず無数の科学的知識が所狭しと踊っているが、それらは常に我々の現実と結びつき、あまつさえそれらを侵食していく。

小説の結末では、両面スパイとなったKがかつての恋人エウレディウスの身辺を調査するなかで自らの出生の秘密を知ることになるが、それは人間とクローンといった二極対立を超えるために、先達たちが苦肉の末に取った行為の結果であった(重要なネタバレとなるので、これ以上は秘密!)。

人類によって創造される非人類が、我々の社会を構成する重要な一員となる日はそう遠くはないはずだ。その際に、人類はどこまでそうした非人類の「人権」を認めて、共生を謳い続けられるのか? あるいは、人ならぬ彼らの生がどのように既存の思想や宗教、ジェンダーといった基本的価値観を変えていくのか? 人類とクローンの境界を考えることは、とりもなおさず人類とは何かを考えることでもあるのだろう。

執筆者プロフィール:倉本知明
1982年、香川県生まれ。立命館大学先端総合学術研究科卒、学術博士。文藻外語大学准教授。2010年から台湾・高雄在住。訳書に、伊格言『グラウンド・ゼロ――台湾第四原発事故』(白水社)、蘇偉貞『沈黙の島』(あるむ)がある。


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