キリル文字筆記体を制せよ:筆記体で読み書きできるとテュル活も捗る【新学期特集】
イセンメセズ!(タタール語で"こんにちは")
ところで現代タタール語は、全39字からなるキリル文字を導入しています。上述のあいさつは《Исәнмесез》と綴られます。
ちょっと前のめりになってしまいました。タタ村(@tatamullina)です。
今回はキリル文字の話ーーとくに、キリル文字で綴る言語を学び始めた人がつまずきやすい「キリル文字筆記体」を取り上げたいと思います。
今回は、とくに最初のうちは悩みの尽きない文字の繋げかたや、見分けがつきにくい文字を書くうえでのコツ、そして"テュルク友の会"ならではのトピックとして、拡張キリル文字筆記体の書き方もご案内したいと思います。
1. キリル文字と諸言語ーーレアリアとイデオロギーの狭間で
昨今の情勢を受けて、この春から大学の2外ではロシア語を学ぼうと決意された方も少なくないことと思います。もっとも、己を知り敵を知れば… の気持ちから学ぼうとされる方もいらっしゃれば、最近はメディアでロシア語やウクライナ語を見聞きする機会も多いですから、音に惹かれた、独特の文字を読んでみたいと思った、といったきっかけの方もいらっしゃると思います。
話題のロシア語やウクライナ語は、キリル文字(кириллица)で綴られます。たとえば顔文字の(・Д・)の「Д」や、トイザらス(TOYSЯUS)の「Я」は、それぞれデー、ヤーと読むことができます。
世の中にはさまざまな文字で綴られる、実にさまざまな言語があります。英語やフランス語のようにラテン文字で綴るものもあれば、ヒンディー語やネパール語のようにディーヴァナーガリーで綴るものもあります。そして、キリル文字で綴られる言語も多々あります。つまり、キリル文字をいったん覚えてしまえば、多くの言語のいちばん最初の関門は突破しているも同然、というわけです。
たとえば、冒頭で紹介したタタール語は、多くの場合においてキリル文字で綴られます。現在ロシア国内で話される諸言語は、ロシアの言語法により、キリル文字で表記することになっています。バシキール語やチュヴァシ語といったテュルク諸語はみなさんもご存知のとおり、マリ語やカレリア語、ウドムルト語などフィン・ウゴルの諸言語、音韻体系が実に複雑なカフカスの諸言語などなど、語族や語派にかかわらず、キリル文字で綴られます。チュヴァシ語の言語景観については、菱山さんが以前紹介されていました。
タタール語が現在の拡張キリル文字で綴られるようになったのは、1939年のことです。長らくアラビア文字で綴られていたところ、文字改革によりラテン文字が導入され、やがてキリル文字が導入されました。「キリル文字は伝統的なタタール人の文字ではない」と考えるタタール語話者は少数ではなく、他方でアラビア文字は学習が難しいことから、1999年にはタタール語の正書法をラテン文字に移行する試みもありました。しかし、前述の言語法の更新により頓挫したのでした。
他方で、文字を持たなかった諸言語は、キリル文字の導入により多くの人が容易に記述・記録できるようになり、学校教育の場では体系的に学ぶことも可能になった、という側面もあります。もっとも、後者については言語や地域による格差が大きく、また、言語のバイタリティもロシア語が圧倒していることから、ロシア語で教育を受けることが現実的な選択肢となっている場合が大半です。
ロシアにおいて、諸民族は自身の民族語で教育を受けたり、公的サービスを受ける権利は認められていますが、ロシアという国に暮らす以上民族などを問わず通用するロシア語は重視され、社会的上昇のためにも不可欠です。また、公的サービスの場での恒常的な民族語使用は地域差が大きく、基幹民族の人口比率の高い民族共和国などに限られるのが現状です。
そのほか、かつてソ連を経験した国々で話される諸言語もまた、キリル文字で綴られた/綴られてきた歴史を持っています。現在はラテン文字で綴られるアゼルバイジャン語やトルクメン語も、ソ連時代はキリル文字で綴られていました。トルクメン語については以前、奥さんが記事を書かれていましたね。
ウズベク語は現行の正書法ではラテン文字を導入していますが、ウズベキスタン国内では今なおキリル文字表記とラテン文字表記が混在した状況です。そして、カザフスタンでは現在、カザフ語のラテン文字正書法の導入が目指されています。
こうして眺めてみると、実に多くの言語がキリル文字で綴られてきたことにお気づきのことと思います。他方で、諸言語のキリル文字化の歴史に鑑みると、学習者あるいは教師としては複雑な気持ちを抱かずにもいられません。
とりわけ近年のロシアでは、民族ロシア人(русские)を諸民族の長兄とするような強力なナショナリズムのなかで、キリル文字は単なる諸言語の表音文字の範疇を超えて、長兄の言語であり諸民族が習得すべきロシア語、そして、そうしたロシアという国家を象徴するシンボルとしての意味を持っているようにも見えます。
ゆえに、ある言語をキリル文字で記述することの意味するところや、そこに内包される暴力性についても、第三者である私たちはどこかで自覚的である必要があるのかもしれません。他方で、キリル文字正書法を導入する言語は今のところ当然ながらキリル文字で綴られ、多くの話者の実生活に根ざしたものでもあります。そして、多くの学習書や辞書もまた、キリル文字で書かれていますから、難しい感情を抱きつつも、それらの言語を学ぶ上でキリル文字の習得は欠かせません。
2.キリル文字筆記体で綴るーー肝は「つなぎ方」
さて、前置きがずいぶんと長くなってしまいました。本題の筆記体についての話題はここからです。
キリル文字で綴られる言語を学び始めたときに、多くの人が最初に戸惑うのは筆記体だろうと思います。学習者向けの教材には、独立した形での筆記体は書かれていても、肝心な文字と文字の繋ぎかたについては案内されていないことも珍しくないので、こればかりは独学が厳しい部分でもあります。
繋げるリズムについては、いくつかの例を見て、まずは真似してみるのが手っ取り早いです。ただ、最初のうちは不恰好になってしまったり、後で見返したときになんと書いたのか分からなくなってしまうこともよくあるでしょう。そうした問題を避けるために、普段から心がけておくとよいコツがいくつかあります。
① 肝心なのは文字と文字をつなぐ「ため」の部分
読みづらくなってしまう原因のほとんどは、いくつかの文字の書き始めの部分にある「タメ」を書かないことにあります。たとえばЛ・М・Яの書き始めにあるタメを例として挙げましたが、これらのタメを意識するだけでかなりと読みやすくなるはずです。
② 文字と文字のつなぎの部分はやや筆圧弱めを意識(ゆっくり書ける時)
③にも通じることですが、文字のすべてを同じ太さ・濃さの線で繋げるのではなく、部分的に強弱をつけるのもコツです。具体的には、文字と文字のつなぎの部分はやや筆圧を弱めることです。
とはいえ急いでいるときはどうしようもないので、これはあとで確実に読み直すとか、人に宛てた書き物をするときなど、読みやすく書く必要があるときに意識すればよいでしょう。
③ 無理にすべての文字をつなげようとしなくてもよい
とくに急いでいる時ほど、無理に繋げようとすると却って読みづらくなりがちなので、いっそのこと無理にすべての文字を繋げようとしないのもコツです。とくにЗやД、ЦやЩのように筆記体ではぐるりとヒゲが伸びるものや、Оのように正しいとされる筆記体では"1.5周"する必要があるものは、次の文字と切り離して書く人も少なくありません。
④ тに上線を、шに下線を引く
とくにтとшにиが続くとどれがどれだか分からなくなることがあります。そんなときはтに上線を、шに下線を引くことで読みやすくなります。やや年上の世代に多く見られる書き方ですが、 線があるのとないとでは視認性に大きな違いがあることから、若い世代にもこうして書く人は一定数見られます。
тに関しては、筆記体でもтそのままの形(mのような形ではなくтの形)で書く人もいます。このようなスタイルで書く人に訊ねると、тとmの使い分けは特に気にしておらず、その時の気分で、前後の文字次第でどちらかにしているようです。
もっとも、確実に人に読まれるものでもない限り、素早く書字できるかどうか、自分があとで読み返すときに困らないかどうか、で判断すればよいので、書き方は自由です。
3.ロシア語で用いられる33字の筆記体と練習帳
ここまで、やや突っ込んだ文字のつなげ方を取り上げましたが、基本的な文字(ここではロシア語で用いられる33字)の筆記体についてもざっと紹介しておきます。
この基本的な33字の練習帳については、ロシア語などを学び始める人が多い新年度は特に需要があると思われることから、PDFファイルでも配布したいと思います。各自の学習にお役立てください。(筆者ータタ村のロシア語授業を履修する方にも例年配布しているものです)
А а - аэропо́рт「空港」[男単]
Б б - блю́до「料理」[中単]
В в - ви́рус「ウイルス」[男単]
Г г - газе́та「新聞」[女単]
Д д - до́ма「家で」[副]
Е е - е́вро「ユーロ」[中単]
Ё ё - ёжик「ハリネズミ」[男単]
Ж ж - журна́л「雑誌」 [男単]
З з - зада́ча「課題、目標」[女単]
И и - и́мя「名」[中単]
Й й - йо́гурт「ヨーグルト」[男単]
К к - каранда́ш「鉛筆」[男単]
Л л - ла́мпа「ランプ、照明」[女単]
М м - ма́сло「バター、オイル」[中単]
Н н - назва́ние「名称」[中単]
О́ о - о́блако「雲、翳り」[中単]
П п - пе́сня「歌、さえずり」[女単]
Р р - рабо́та「労働、仕事、職場、作業、作品」[女単]
С с - самолёт「飛行機」[男単]
Т т - туале́т「トイレ」[男単]
У у - у́лица「通り、街路、巷」[女単]
Ф ф - факт「事実」[男単]
Х х - хи́мик「化学者」[男単]
Ц ц - центр「中心、中央、中枢」[男単]
Ч ч - чай「茶」[男単]
Ш ш - ша́хматы「チェス」[複]ーアクセント位置注意
Щ щ - щи「キャベツスープ」[複]
ъ - безъя́дерный「核のない、非核の」[形男]
ы - вы́бор「選択」 [男単]ー複数вы́борыで「選挙」
ь - тьма́「闇、無知」 [女単]
Э э - экза́мен「試験」[男単]
Ю ю - ю́мор「ユーモア」[男単]
Я я - я́блоко「りんご」[中単]
なお、キリル文字で書かれる言語での教育を受ける子どもたちは、義務教育で書き順も含めて習います。子ども向けの教材などを見ても、たしかに書き順の案内が付されたものは少なくなく、今の時代は教材動画もネットで視聴することができます。書き順に悩む文字については、子ども向けの教材動画を参考にしてもいいかもしれません。
4. キリル文字とテュルク諸語
さて、ここからがようやく「友の会」のnoteらしい話題になります。
ソ連を経験した国や地域で話される言語を中心に、かつてはキリル文字で書かれたもの、今もキリル文字で書かれるものは数多くあります。その中にはテュルク諸語も数多く含まれます。
どの言語でどの文字が使われているかについては、Wikipediaの「キリル文字一覧」が意外とよくまとまっているので、気になる方は眺めるだけでも楽しめるかもしれません。
ロシア語で使われる33字を基本として、それら以外の拡張文字のことを「拡張キリル文字」(расширенная кириллица)といいます。テュルク諸語で用いられた/用いられるキリル文字の拡張文字をまとめると、以下のようになります。
こうして並べてみると、その言語でしか使われない文字を持つ言語がいくつかあることに気づくでしょう。覚えておくと、それがどの言語か見分けるときにたいへん役に立ちます。
5. テュルク諸語で使われる拡張キリル文字と筆記体(応用篇)
いくつかの文字は言語をまたいで使われていることにお気づきの方も多いことでしょう。ここでは、テュルク諸語によく使われる拡張キリル文字と、その筆記体をご紹介します。
いずれもロシア語学習者にも馴染みの薄い文字で、とくにロシア語からテュルク諸語を学ぶとき、拡張文字はどのように筆記体で書いたらよいのか悩む方は少なくないはず。
少なくとも、ロシア語→ウズベク語、タタール語、カザフ語と学んだ私は戸惑い、友人の筆記体を見ながら少しずつ書き方を学んでいきました。日本語で探してもこれらの情報は見当たらないので、これからキリル文字で書かれるテュルク諸語を学ぶ人のためにも、ここにまとめておきたいと思います。
Ә ә
アゼルバイジャン語、トルクメン語、カザフ語、バシキール語、タタール語
І і
カザフ語、ハカス語
Ј ј
アゼルバイジャン語、アルタイ語
Ҕ ҕ
サハ語
Ғ ғ
バシキール語、ハカス語、ウズベク語、ウイグル語
Ҙ ҙ
バシキール語
Қ қ
カザフ語、ウズベク語
Ҡ ҡ
バシキール語
ң
トルクメン語、カザフ語、クルグズ語、バシキール語、タタール語、ハカス語、トゥヴァ語、ウイグル語
ҥ
アルタイ語、サハ語
Ө ө
アゼルバイジャン語、トルクメン語、カザフ語、クルグズ語、バシキール語、タタール語、サハ語、トゥヴァ語、ウイグル語
Ў ў
カラチャイ・バルカル語、ウズベク語
Ү ү
アゼルバイジャン語、トルクメン語、カザフ語、クルグズ語、バシキール語、タタール語、サハ語、トゥヴァ語、ウイグル語
Ұ ұ
カザフ語
Һ һ
アゼルバイジャン語、カザフ語、バシキール語、タタール語、サハ語、ウイグル語
Ҫ ҫ
バシキール語、チュヴァシ語
さあ、この春はキリル文字筆記体も習得して、ささっとかっこよく文章を紡いでいきましょう。
(文:タタ村 a.k.a. サクラマミズキ:「テュルク友の会」副代表)