最近の奇行について考えたい
最近、ちょっと私の様子がおかしいのですが、もうネタにして、客観的に見るという対策をしてみよう。
というnoteであり、
どこにも載ってないけど、
「うつって、こんなことないですか?」
という一つの疑問です。
最近の奇行がこちら
頭を打ち付ける
ガラス戸の角にひたすら頭を打ち付け続ける、
というものです。
書いてから気づく。
もう一つ目から結構やばくない?
大丈夫かな?ひかれない?着いてきてる?
ちなみに、たんこぶはできていないと思っていたけれど、次の日、しっかり痛みがありました。
自業自得。
裸足で外に出る
玄関でボーッとしていたのですが、
急に思い立って靴下のまま外に出て、
裸足になり、庭で2、3分ボーッとしました。
一つ目と比べたらまだ可愛い方。
壁を殴る
思春期の男子みたいなものです。
思春期の男子が全員、壁を殴る経験をしているのかは、知りませんが。
ここで、「これはそうでもないな」
と思っているそこのあなた。(私含め。)
おかしいです。どう考えても。
-------❁ ❁ ❁-------
ここまで、奇行を連発していると、「あ、やばいな」という、予兆に気づくことができるようになりました。
まずはじめに、
・何もかもがつまらなくなる
そもそも、うつなので、つまらないなんてことは、デフォなのですが、
例えば、YouTubeの動画でさえ、頭が拒否して、見ることができなくなると、
「生きていることがつまらない」
という、急に規模のでかいことを思い始めます。
落ち着いて私。YouTube見れないだけだから。
・ソワソワし始める
次に、じっとしていられなくなり、部屋中をうろちょろします。
落ち着け。本当に。
・頭がパンパンになる
最後に、もう頭の中では完結されない、
「衝動」との対決が始まり、頭がパンパンになります🥖
その結果、奇行に走ります。
これで私の奇行の完成です(?)
-------❁ ❁ ❁-------
なぜ奇行に走るのか。
多分、単純なストレス解消と、
生きている実感が欲しいのだと思います。
例えば、「裸足で外に出る」
夜だったので、もちろんコンクリートは冷たく、転がっている小さな石は、ゴツゴツとしっかり足の裏に感じました。
この地に立っていることを感じました。
「頭を打ち付ける」「壁を殴る」
痛みを伴うことで、生きていることを感じているのだと思います。
後者は、割と危険な方法だということが、書いていて分かったので、違う方法、危なくない方法を探そうと思います。
ここまで、自分の奇行を冷静に見ることができたら、上出来ではないでしょうか。
その時に冷静になれないから、問題なんですけどね。
でもこういうのは、どういう思考で、そうなるのか、
自分を言語化することが大切な気がするので、勝手にスッキリさせてもらいました。
生きている実感が欲しいというのは、つまり、
生きたい
ということなので、それだけ気づければ、書いた価値はあると思います。
ありがとうございました🌼
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?