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「I'm in the pink.」忘れられない絵

忘れられない出会いは人生で何回あるだろう。
私の人生に影響を与えた人はたくさんいて、それは友人だったり同僚だったり夫だったりするのだけれど、忘れられない絵との出会い、というのもある。きっとそれは誰かにとっては音楽だったり、本だったり、映画だったり、スポーツだったりするのだろう。

いくつかの記憶に残る絵があり、今でも追いかけ続けているいくつかの絵がある。ある日、あの時、あそこにいなければ出会えなかった絵。

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学生の頃、友人と下北沢の雑貨屋さんで一枚のポストカードを買った。パリのエッフェル塔が描かれている、色鮮やかな綺麗なポストカードだった。その頃は、あまりそこまでアートに詳しくなかったので、何となく「綺麗だな、可愛いな」という気持ちで購入した。

そのとき一緒に下北沢で遊んでいた友人は、私の人生に大きく影響を与えてくれた友人の一人である。

学生の頃は、なんだか私という人間の輪郭がすごくぼんやりとしていた感覚だったけれど、彼女と本や映画やアートの話をしたり、家族のことや人生のこと、仕事のことなどを話すようになって、自分の輪郭がはっきりとしていった感覚がある。

その頃、私も彼女もノートに読んだ本の気に入った文章を書きつけていて、会ったときにノートを見せ合って「これいいよね」「この文章私も好き」と会話していた。

二人でラーメンを食べたあとに、ちょっと良いバーに行ったことがあって、「大人になったね」と笑い合ったことがある。幸せな記憶のひとつである。
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さて、6年ほど前、私はその友人と箱根のポーラ美術館にいた。紅葉が綺麗な季節で、「日帰りで箱根に行こう!」という話になり、お弁当を買ってロマンスカーに乗ったのである。

大学の頃は、時間はいくらでもあったので(お金はなかったけれど)、旅行といえば「遠くに行こう!」ということが多かったのだけれど、社会人になってからはお金はあっても時間はないので、「ちょっとした遠出」の良さに気が付いた。

というより、先日「名建築で昼食を食べた日のこと」でも書いたけれど、それまで身近なものやことの良さに全く気がついていなかったのかもしれない。

ポーラ美術館は、「箱根の自然と美術の共生」をコンセプトにした美術館で、ポーラ創業家2代目の故・鈴木常司が40数年にかけて収集した約10,000点のコレクションを保有している。

箱根に来ると、「あ、私、深い呼吸ができているなぁ」と思う。東京に住んでもうだいぶ経つし、私は東京が大好きなのだけれど、自然に囲まれて深く深呼吸をすると東京とは空気が違うことに気が付く。

ポーラ美術館へは、箱根湯本駅からバスで揺られて行く。周囲は見渡す限りの山である。ガラス張りのカフェがあるので、美術館の中からも、ゆっくりコーヒーを飲みながら箱根の豊かな自然を眺めることができる。

また、美術館周辺に遊歩道があるので、彫刻やオブジェを見ながらゆっくりお散歩をするのも良い。

そのときポーラ美術館で開催されていたのは、「100点の名画でめぐる100年の旅」という展示だった。

地方の美術館の良いところは、週末でも都心の美術館ほど混み入っていないので、ゆっくりと見て回ることができることである。

ルノワールの≪レースの帽子の少女≫の前で足が止まった。いつ、何時見ても柔らかな気持ちになることができる絵である。幸せそうな少女の表情も、その絶妙な光加減もとても好きだ。

淡い、やさしい、夢見がちな初々しいピンクを見て、思い浮かぶ言葉は「I'm in the pink.」(「調子がいい」「わたしは健康」といった意味)ー見る側の心模様に応じて、明るくも暗くも変化するが、今日もこの絵のピンクを心に吸い込み明日の心の糧としよう。永遠のピンクを瞳に閉じ込めて。

吉谷桂子

ガーデンデザイナーの吉谷桂子さんがこの絵に寄せた言葉がとても素敵で、未だに心に残っている。同じ絵を見ても、そのときの見る側の気持ちにより感じ方は変わる。それでも、きっとアートは明日を生きる何かの力になると思う。

展示室をゆっくりと回っていたら、驚きのあまりアッと声をあげそうになった。数年前、まさに今一緒に箱根にいる友人と下北沢で購入したポストカードの絵が目の前にあったのである。

その絵は、ラウル・デュフィの≪パリ≫という作品であることをそのとき知った。まるで屏風のようなその絵は、太陽と月が描かれていて、昼と夜が同居していた。パリの街並みと4本のバラがリズミカルに描かれている。「色彩の魔術師」と呼ばれていたというラウル・デュフィのその作品の前で私は立ち尽くしていた。

それから、ラウル・デュフィは私の好きな画家のひとりになった。色々な作品を見たけれど、やはり、あの≪パリ≫が私にとっての思い出の一枚だ。下北沢で出会った一枚のポストカードと、箱根のポーラ美術館で見た鮮やかな絵。

パリを訪れたことはないけれど、もしいつかパリを訪れるときは必ずあの絵のことを思い出すと思う。あの、11月の箱根の美術館の前で出会った一枚の絵のことを。

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土曜日の朝、郵便ポストを開けると友人からのポストカードが入っていた。近況が綴られたポストカードには桜の切手が貼ってあった。読みかけの本を開きかけて、あの箱根の日のことを思い出した。

昨日見た桜は圧倒的なピンクだった。そういえば、今年の春はなんだか調子がいい気がする。

「I'm in the pink.」









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