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人魚歳時記 睦月 前半(元日~1月15日)

元旦
お蕎麦の上の海老の尾までバリバリ食べて越した年は夜に降った雨でしっとりと心地よい。小春日和を思わせる日中の後に十三年前とよく似た揺れ。町の放送に窓を開くと「能登半島」と遠い土地の名。暮れてから石川県山代温泉の友人にメッセージを送ると大丈夫の返事で安堵。 

2日
終日、渡辺茂夫のヴァイオリンを聴いて過ごす。今年は年賀状を書かなかった。元日から被災、避難生活は厳しいなと思っていたら、今度は事故。昭和の神童の音色を聴きながら、いただいた年賀状の返事を書くも、『おめでとうございます』を記すのに戸惑い、普通の便りとなる。

3日
大晦日にハムをいただき、それを見てたらモーレツにサンドイッチが食べたくなって、元日からレタスを買いにスーパーへ。毎年大晦日に大鍋いっぱいカレーを作っておくが、今年はそれがとても美味しくて、今日もカレーとサンドイッチ。そしてお雑煮。おせちの出る幕なし。

4日
道は混み、車高の低いピカピカの車が目立つ。運転席にはサングラスの若者。まだお正月なのだ。今年は新年早々に検査の予約を入れてある。入口に大きなお飾り。入院説明聞く老夫婦。検査の結果は長男と聞くと日程変更を訴える老婆。血管の脆くなった老人の採血にてこずる技師。

5日
蝋梅が咲いていた。愛犬の散歩コースに幾本かあり、そこが空き地なのをいいことに、枝先を指の長さほど手折る。香りは時空を超える。活け花を教えていた祖母の日本間、そこに集っていた戦前生まれの女性たち、彼女たちが醸すのは在りし日の日本。私には蝋梅の香りそのものだ。

冬の空と立ち枯れた草

6日
小豆を煮てぜんざいをこしらえる。糠床の手入れをする。お正月はぬかづけを食べなかったので、ゆるくなっている。大根がつかりすぎている。煎りぬかと昆布と鷹の爪を足してかき回す。鍋からたちのぼる湯気で台所は温かい。すべては日常のあれこれ。ケの日を営めるありがたさよ。

7日
お正月も終わり。田畑は枯れた土に覆われて、そこに影が動く。見上げても何もない。さらに首を後ろに向けると、すぐそこの空でトビが旋回していた。顔を戻すと、畑の向こうの雑木林や農家の家々が白く眩しい陽光の中にあって、幻を見ている気がする。七草粥は今年も食べず。

8日
スーパーの駐車場に白っぽい羽織袴の若者がたむろしている。成人式帰りか。ここぞとばかりに咥えている煙草の吸い方には慣れているのに、目はチラチラと泳いでいるのが新成人っぽい。特注品らしい町名と氏名を染め抜いた幟を車からはためかせる熱量の高さも新成人らしい。

#2
一昨年、私は恋をしたように、ある50年代米映画を連日繰り返し観ていた。サンフランシスコを舞台としたノワールフィルム(フィルム・ノワール)。youtubeのコメント欄に初めて言葉を残した。最後に記した「日本から」の一言がきっかけだろう、一年以上経った去年、「二十年前、僕が十九歳で横浜に着いた日は成人の日で若者がネイティヴなドレスを着て街を歩いているのが印象的だった」と、イリノイ州の男性からメッセージをもらった。彼は主演のアン・シェリダンを称賛した私の言葉を喜び、ゲイリー・クーパーとの共演作品を教えてくれた。
SNS時代の邂逅を、成人の日の今日、思い出した。
異邦人の目に映ったであろう成人の日が、ことさら美しい光景として想像された。

Ann・Sheridan(1915年2月21日 - 1967年1月21日)

9日
読もうと思って、窓辺に置いた田中冬二、リルケ、浅葱りん、ポリドリ、尾崎翠。陽を求める愛猫が一番上で丸くなり、何も読めず。

10日
風吹く晴れた昼。韮を育てているハウスの前に、松の枝が一本、乾いた土に刺されて立っている。お正月の松飾だ。そこにかけられた新しい紙垂が風にひらめいている。静かだ。ぐるりと見渡して、数百メートル四方に人は私しかいない。

11日
地上を押しつぶしそうな空の裾が淡く染まる。凍える朝。結果を聞き終え表に出ると、病院の横に雲のかかる銀色の太陽。その傍らに今年の干支そっくりの飛行機雲。これから先一年間の時間の全てを好きに使えと言われたようで胸膨らみ、微笑む。ようやく今年が始まった心地。

線路沿い

12日
東京へ川三本超えて行った。スイカの残り289円。チャージの方法も忘れるほど久しぶり。ターミナル駅の雑踏に圧倒されて上手く歩けない。人と会って話して用事を済ませる。川は空を映して青い。帰り、夕日の中、枯れた冬の田園で盛大に野焼き。のぼる煙が雲と重なっていた。

13日
初雪。夕方、ストーブがピッピッと鳴って灯油切れ。カートリッジタンクを持って屋外に出ると積もっている。踏むとギュッ、ギュッと片栗粉の雪なので、しばし庭ではしゃぐ。その後、息を切らして屋外タンクから給油すると、手元が狂い、雪の上に灯油をぶちまけてしまう。

14日
昨夜の雪で、窓の一枚が凍りついて開かない朝。金魚草が、厚くまとった雪に埋もれている。陽が昇ればビチヤビチャ溶けていく。散歩。葉が全部落ちたので、入り組んだ枝の中に巣があるのが丸見えの大木。大きい巣なのでカラスのか。雪を心配するも、巣立った後の空の巣だ。

15日
朝のゴミ出し。道に雪が残っている。誰のしわざか、雪に描かれたハートに気づいたが、45リットルのゴミ袋があってはよけられず自転車で横切ってしまう。戻った時によく見ると、私のタイヤ痕はぎりぎり真横を通っていたが、さっきはなかった靴跡でハートは踏まれている。

雪と金魚草

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