見出し画像

20220619|頁をめくる音で息をする


開店時間は23時、尾道にある古本屋弐捨dBを営む店主(中原中也への情熱が凄い)のエッセイと日記が綴られた一冊。彼の目にうつるもの、触れるもの、心かよわすもの、それらの日々の真ん中に、なんの違和感もなく自然とあらゆる詩が存在する。時に棘のような鋭さを露わにし、あるいは噛み付くような刃をも隠さず、しかし読むものの心は、瞬く間に奪われ、彼の切実な思いに涙ぐむ。


息をするように本を売ることしか僕は生きることができないんだろう。死ぬのも古本屋で、生きるのも古本屋か。頁をめくる音で息をする。その息で己を生かせ誰かを生かせ。人生のあとがきには、まだ早い。(p.150)


終いには、自分の吐く言葉のすべてが嘘くさくおもえ、そこに温度は存在せず、空虚なものだけが残る、そんな感覚に囚われていく。それでいて、生きていてよかったと、大袈裟ではなく、なにかを掻き立てられるような、ただただ実直に心の底からそう思える、そんな本に出会えてしまったことに、最も幸福な出来事であると認識する私と、なんて厄介なものに出会ってしまったんだと思う私の二手に分かれ、それは私自身をとんでもなく愉快にさせるのだった。


ひそかに人間社会に紛れこむ同志を見つけたような思いに駆られ、本以外の何かを託してしまおうとする自分がいる。大丈夫だ、死にぞこなって逃げ続けろ、泣きながら幸福な迷惑を生きろ。と昔の自分を励ますように、声にならない声でお釣りを渡す。(P.187)


あまりにも、あまりにも良い本だったので、しっかりと影響を受け、父の本棚から、日本詩集の全集を借りる。ひとまず中原中也とおもっていたはずなのに、手にとられたのは木山捷平であり、そしてなぜかすんなりと馴染んでしまった。馴染んでしまったどころではない、すっかり気に入ってしまい、その後、荒川洋治著『詩とことば』を併読本として選択した自分をとにかく褒めたいのだけれど。そこに木山捷平は自らが編んだ詩と、おなじ情景の小説を書くといったことが実際に引用されながら記されており、もはやこれは読むしかない。こうしてはじめての全集を買う作家が決まったのだった。



もうしばらく詩の世界を散策しようとおもう。
いい風もはいってくることだしね。


よろこびます。