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読書日記|20230220-26


0220
昼休み、『トワイライトⅢ-下』を読み、午後からは心のうちでほぼキレていた。

しかし仕事は楽しい。私は私のままでいてもいい、と、そう思わせてもらえるのは、まわりの人の優しさによるものなので、そういうこと、忘れずにいたい。帰宅後、残りの数ページを読み、なんかもう、もう知らん。こんなにも主人公を嫌いになることはとても稀なことで、といいながらも、オースティンのエマの主人公も嫌いだったな、と思って、なんだ、意外と嫌いな人いるやん、とちょっとホッとした。何も断れないイエスマンだって好き嫌いはある。


0221
昼休み、西加奈子さんの『くもをさがす』のプルーフを読みはじめる。覚悟して読んだつもりだったのに、おろおろと泣いた。私の覚悟なんてあってないようなものだ。チーンとベルが鳴り、目を真っ赤にしながら走っていく。店長が持ってきてくれたヒーターがあたたかい。私は、西加奈子という作家がいなければ、おそらく、今、存在すらしていない。それをただひたすらに痛感させられる。息を吸う。この人が生きている時代に生まれてよかったと、命拾いしたと、いてもたってもいられなくて、かといってなにをすることもできない臆病な私は、ただ息を吐く。


0222
休み。
猫の調子が悪い。つゆ、むく、つなが食欲不振で、なかでも、むくは朝から嘔吐を繰り返した。すぐに病院へ連れていくと、半日入院することになった。お迎えに行くと、むくはホッとした顔をした。我が家の子たちはどうやら胃腸炎になっていたらしい。ひたすら共に過ごし、遊んでいると、ご飯を食べたいといいだす。ので、消化の良いものをまず食べてもらう。彼らが満足するまで遊び、寝ている間に『ちいさないきものと日々のこと』『君と暮らせば』を再読し、泣いた。

 家の中に猫がいるということはこんなにも幸せなのかと知る。外で野良猫を触るのとは格段に違う。うっとりとした猫と、ゴロゴロ寝る。そしてこの子と、あと10年以上一緒に生きてくのだなと想像した。

気づくのが遅くなってごめんね、ほんとうにごめんね、と、何度もその柔らかなからだに触れる。大丈夫だよ、っていってるみたいに、お腹をひろげるから思わず笑ってしまった。寝る前にすこしだけまたご飯をあげた。布団にはいると、私の頭元で四匹みんなで寄り添うように丸くなった。犬は、私の足の間。いきものがそばにいてくれることの幸せを噛みしめる。明日になったらよくなっていますように。


0223
朝、前とおなじように、髪の毛を引っ張られたり、顔の上に乗られたり、舐められたりしながら、起こされる。普段はもう少し寝かせてよ、と思うのに、きょうばかりはとても嬉しい。よかった。いつも通りにカリカリを食べてくれる。ほっとした。むくはまだ下痢をしているけど、嘔吐はしていない。ご飯を食べ、水を飲み、トイレをし、おもちゃで遊んだ。仕事へ行く前にもう一度だけ消化に良いものを食べてもらう。お昼休み、水沢なおさんの『うみみたい』のゲラを読みはじめる。海月みたいにただよいながら、34ページまで。帰宅後、猫たちはご飯をもりもり食べた。犬はいつも通り、元気。


0224
雨だから、夫を職場まで送っていき、そのまま私も働きにでる。寒い。異常に寒い。お昼休み、西加奈子さんの『くもをさがす』を続きから読み、何度だって泣く。もう、正直、今年はこれ以上のノンフィクション(エッセイ)には出会えないだろうと軽率にいえてしまうくらい、特別なもの。これは買う。もちろん予約をして。とにかく泣きすぎていたので、午後から頭が痛い。雨だし。帰宅後、猫にご飯をあげ、こたつで寝てしまう。雨だし。夫を迎えに行き、お惣菜を買うことにした。雨だし。猫たちと遊びながら、掃除をし、足が冷えてきたので、今からお風呂にはいる。


『トワイライトⅣ』を読んでいない理由を簡潔に説明すると、イルビゾンテのブックカバーをしたまま、なくしてしまったのだ。家の中のどこかにはあるのだろうけど、探す気にならない。なぜって、ベラが嫌いだから。他の人はこんなに感情を荒立てたりしないのだろうか。平気で続きを読めるのだろうか。ベラにたいしての、ジェイコブにたいしての、気持ち悪い、という感情にどう折り合いをつけているのだろうか。続きが気になる、ということを高く見積もった上でも、ベラへの苛立ちはさらにその上をいく。


日常はさざなみのようだけど、小説に左右される私の感情は大海原で、波が落ち着くまでは、彼らに触れることはできない。もっとも、それで、エドワードがベラを嫌いになるわけではないのだけれど。来週くらいから読めるといいな。


0225
休み。
実家の猫たち(はる、むくの兄弟猫)が不調で病院へ連れていく。この時期は調子の悪い子が増えるのだと先生はいった。あともしかするとこの兄弟はなにかしらの隠れた菌を持っているのかもしれないと。確かに外猫育ちだし、ありえる。今週の疲れが一気に押し寄せ、こたつに入るだけでぐっすり眠ってしまう。喉が渇いて起きる。5キロの蟹が届いた。夜は蟹鍋。はじめは生蟹のお刺身、水炊き、そして雑炊。二時間くらい食べ続けた。蟹を食べるときは皆真剣なので食卓が信じられないほど静かになる。あと肩が凝る。

本を読もうと思っていたのに、またこたつで眠ってしまった。23時に目が覚め、もう寝れないな、と諦め、文月悠光さんの『洗礼ダイアリー』を読む。最初から完璧に心を掴まれる。文月さんご自身がこの本が一番好きとおっしゃられていた(嬉しいことにTwitterでお話させていただいたのです)ので、少々ワクワクしている。


0226
早朝から、地域の神社清掃。私の体力など塵のようだと、農家さんたちと作業すると思う。ただ平均年齢を下げているだけの存在なのに、優しくしてくれる。人の優しさに触れると、なにもかもがどうでもよくなる。あたたかい珈琲をいただき、ほかほかしながら帰宅。そして出勤。帰宅。明日は休みなのでにんにくマシマシの餃子を食べる。ビールが美味しい。

『洗礼ダイアリー』の続きをぐんぐんと読む。面白い。なにが面白いって、腐りきって絶望してしまいそうな出来事を、淡々と分析をしてしまえるところ、それらをきちんと処理することができるところ。あまりにも私に備わっていない機能なので、どぎまぎしたり、ギョッとしたりしながらも、その思考回路に驚くばかり。そして時折、痛いところをつかれてしまう。しかし文月さんの素直さは全くといっていいほど憎めず、寧ろ、とてつもなく心配になる。だからあんなに気持ちの悪い男性に捕まってしまうのではないかと思うのだけど、どうでしょう。キスってあんなに気持ち悪いものなの?と淡々とした描写を読みながら、吐きそうになったりした。


三年ぶりくらいに一週間の日記をつけてみた。意外と書けた。なぜって、はじめの一週間だから。来週つづくかはわからないけれど、『洗礼ダイアリー』を読んで、もうすこし続けてみたい気持ちになる。

 日記はどこか、未来の自分に宛てた手紙のようなところがある。直近の出来事を振り返りながら、同時に、いつか読み返すだろう未来の自分のことも思い描いている。「日記を書く」という行為は、過去にも未来にも、身を広げていく営みなのだ。
(『洗礼ダイアリー』p.182)

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