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読書日記|20230227-0305


0227 晴れ

猫も犬も、元気。そのことがなにより嬉しい。水沢なおさん『うみみたい』のゲラを最後まで読む。この世に生まれ落ちたこと、生み出すことへの、途方もない暴力性。しかし、それは時に直視できないほどの美しさに満ちていた。いつだってこの世に存在しているという確かな事実は、私たちを苦しめる。だけど、それは、例えば、彼女が甘いケーキを頬張ってそう思ったように、この作品に巡り会えたことで、生きていてよかったと、簡単にそう思う私も確かに存在していて、ねぇそれって救いだとおもうの。

(三月中旬発売、装丁かわいい)

すぐさま感想を書いていると、役所から電話がなる。昨年入院したことについての電話だった。どうしてこんなことまで、と思うようなことまで聞かれ、慰めの言葉を残念そうな口ぶりで吐きかけられる。まあこの人も仕事だよね、と思い、職場へ向かう。他の用事も済ませ、店長と笑いあって、そのまま帰宅。私はもう大丈夫。大丈夫。


帰宅後、父が菜園で採れたまるまるとした新玉葱を手に持ち、私に自慢した。父の唯一きらいな食べ物は玉ねぎなのに、そのことをすっかり忘れているようだった。



0228 晴れ

体調があまり優れない。喉にすこしの違和感。犬も猫も、元気。お白湯を飲みながら、柿内正午さんの『町でいちばんの素人』を読みはじめる。一日目から奥さんが家にいない日の日記で寂しく、はやく帰ってこればいいのにな、と思う。

 一冊の本を経る前の自分と、なにひとつ差異を見出せないとしたら嘘だ。かといって、あっさりガラリと変わってしまったとしたら嘘だ。変化は劇的なものではなく、地道で一見退屈なものだと思う。
(『町でいちばんの素人』柿内正午著 p.5)


家事を済ませ、仕事の準備をし、こたつに寝転がり、Twitterをひらくと、長月さんとヨルさんがお話をしていて、寄せてもらった。仕事へ行く。休憩時間に穂村弘『もしもし運命の人ですか』を読む。笑う。

彼の自意識を全身に浴びると、どうしてこんなにも安らぐのか。おなじ分量の自意識がじぶんのなかにも存在するからだろうか。笑った。笑った。軽やかになれるので、春までのあいだ、もうすこし、ほむほむを読みたい。



0301 晴れ

犬も、猫も、夫も、私も元気。きのうまでの喉のイガイガは治った。ずっと眠たいのもなおった。柿内正午さんの『町でいちばんの素人』を読む。柿内さんの文章がほんとうに好きなので、ここぞとばかりにノートに記していく。だからいつだって柿内さんの日記を読むときは進みが遅い。だっていつまでも読んでいたいもの。

 これが読みたいという欲望は、いつだって自分の側にあるのがいい。いいと言われているものがいいに決まりきっているからといって、そういう本ばかり読むだけでも生活における可処分時間というのは絶対に足りないのだから、いい悪い以上に、まず自分が読みたいと欲望するものを読むというのがいちばんだった。
(『町でいちばんの素人』柿内正午著 p.5-6)

出勤。ずっと楽しくて、どこにいても、なにをしていても、本に囲まれる生活をしていることに喜びをかんじる。本がなければ生きていけない、というのは、あながち間違いではなさそう。帰宅後、柿内さんの日記を読むと、私たちのスペースのことが書かれていた。グループLINEで皆に伝えると、大喜び。自分たちが楽しんでしていることを、他の誰かも一緒になって楽しんでくれるということはなんと嬉しいことなのだろう。こういうの、はじめて肌で感じた。


夜、『くもをさがす』を読了。

(四月発売。予約必須。)

これでもかというほど、泣く。西加奈子という人間は、どこまでもかっこよく、どこまでも美しかった。底知れぬパワーと包み込むような優しさに、幾度も救われ、そしてそんな温もりの溢れた両腕でしっかりと抱きしめられる。「あんたはあんたのままでいいんやで」と。


0302 晴れ

喉がイガイガしていて、あと眠い。仕事。「そちらさんから間違いなんか知らんけど電話かかってきとんねん」と圧力のある電話がかかってくる。誰も電話を使っていない時間(私は休憩中)で、もちろん履歴を確認するがそんなものは存在せず、それらをお伝えすると、「そっちが間違ってかけてきてんねんからとにかく謝れ」と怒鳴られる。感情を無にして、「誤ってかけてしまったかもしれません。申し訳ございません。」というと、また怒鳴られ、切られた。心の中で思いつくかぎりの罵詈雑言を吐いた。私は怒っていた。


夜、佑季さんと腹筋強化電話(笑いすぎ)を一時間半する。もはや本の話をすることもなく、なんかもうずっと昔からの友人みたいに空気感が合うの、これは一体なに。



0303 晴れ

仕事。

集英社の日なので朝からずっと忙しい。だけど『正反対な君と僕』が入荷してきて、嬉しい。夕方くらいになると泥のようになっていて、瞼が落ちそうだった。なんとか踏ん張り、帰宅。あ、そうか、あんなにも眠たかったのは3時頃まで『太陽よりも眩しい星』を読んでいたからか。眠る直前、ジェーン・スーの『おつかれ、今日の私。』を読みながら、泥のように眠った。おつかれ、今日の私。


0304 晴れ

仕事。休配日なのでのんびりとしている、と書きたいがしかし、諸々の対応をしていたら、いつのまにか午前中が過ぎていった。店長とゲラゲラ笑う。ほんとうに人に恵まれている。夫が作ってくれた生姜焼き弁当を食べる。味はとても濃かったが、誰かが作ってくれたご飯はいつだって最上級に美味しい。五勤ってしんどいなと思いながら、『おつかれ、今日の私』のつづきを昼休みに読んだ。


夜、なんかこう、とてもいいな、とおもう夜だった。年齢なんてものはあってないようなもので、だって10代で大人だなあとおもう人もいるし、30代で子供だなあとおもう人もいるわけであって、だから、年相応とかそういうの、年上だとか年下だとかそういうの、あなたはまだ若いとかそういうの、ねぇ、これって必要なの、といつだって思う。大事なのは、年齢とかではなくて、とても素敵だな、とおもうところが自然と積み重なっていき、そうして素敵なものが自分に増えていくことでしょう。だっていつまでも、誰かのことを尊敬していたいもの。だから私も素敵だな、と思えるような人でいたい。かぎりなく、どこまでも。

 唯一確信して言えることは、一緒にいても自分が増えていかない相手といても、良いことなんて起こらないってことだ。それだけは、たぶん間違いがない。
(『おつかれ、今日の私。』ジェーン・スー著  p.158)

「なにをしても許されてしまう人をうらやむ」という章が好きだった。どんなときでも余裕をもてる人なんてまあ存在しないのだから、それなりに今日もお疲れさんとじぶんを褒めてあげられる夜を過ごせたなら、毎日はもっと軽やかに過ぎていくのだと思う。仕事に疲れたアラサーにはジェーン・スーが効く。なにせ私は未だに電話で謝ることを強要してきたおじさんにずっと怒りつづけているような人間なのだから。




0305 晴れ

我が家の枝垂れ梅がほぼ満開になってきた。気候もよく、あたたかいので窓を全開にしながら炬燵で過ごす。お昼は、お花見をしながら巻き寿司を食べた。春だね。

図書館へ、川上未映子の新刊『黄色い家』を受け取りにいく。どうしよう。いつ読もう。佑季さん読むっていってたし、私も読もうかな、とおもっては、オースティンの『説得』とにらめっこする。結局手にとられたのは武田砂鉄の『べつに怒ってない』だった。

かなり序盤で「昨日見た夢の話と、行ってきた旅行の話が面白くないことについて」が書かれており、すぐに心を掴まれる。なんせ私は他人がみた夢の話を聞く時間ほど無駄なものはないとずっと言い続けており、なんならそれで高山なおみさんの日々ごはんシリーズが読めなくなってしまうほどである。非常に心が狭い。がしかし面白くないものは面白くない。心を掴まれたまま、サラサラと読まれていくが、面白くてついついニヤけてしまう。「残業しすぎてるオレ」自慢、「仕事任されすぎてるオレ」自慢など大人になればなるほどこういうことをドヤ顔でいう人がいるが、あ〜なるほど、思春期の「睡眠不足のオレ」自慢と一緒だったか、と腑におちる。大人の厨二病みたいなものだな、しょうがない、多めに見てやろう。あとは「で?」問題。こればかりは絶対に使わない方がいい。確実に相手との関係にヒビがはいる。とまあこんな具合で楽しく読んだ。



今週は、というより、ここ三週間くらいずっと自意識を拗らせている。SNSにおける「見てくれ!」という圧がしんどい。これに自意識が追加されるので「あなたにこれを見てほしい」というふうな、さらなる圧を感じるわけである。そういった自分の中でみるみる強くなっていく圧に耐えきれず、今や、ほぼ見ていない。遮断してしまう方が楽なのだ。タグをつけてくださる人はもちろん嬉しいので見にいくけれど。あと一ヶ月もすればこの自意識も抑えられているだろうか。ほむほむの愛しい自意識の拗らせ方が今は心底羨ましい。




以上。
それではまた。


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