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【短編小説】姉ちゃん

「けどさ、安心したよ」
「何が」
「てっきりソープ嬢にでも身を落として、兼田さんに貢いでんだとばっかり」
「馬鹿。見損なうな。それに職業差別だぞ。前からお前、そういうとこあるよな」
姉ちゃんは俺を睨んで、ぬるい茶をグビリと飲んだ。
「あ。いや、別にそんなつもりじゃ。でも、大変じゃないの?意地張ってないで、帰っといでよ」
「誰が。女一匹、こうと決めたら曲げないよ」
うそぶく姉ちゃんに、変わらねえな、と思う。
 姉ちゃんは兼田さんと駆け落ちした。ずっと行方がわからなかったが、岡山に出張した人がいて、駅前の土産物屋で姉ちゃんらしい人をを見たという。名物のきび団子を売ってたそうだ。
「確かに英子か。間違いねえのか。きび団子、買ってたんじゃなくて、売ってたのか! ほんとか! 間違ってたら、くらわすぞ!」
 親父は、それを知らせに来てくれた小池のおばちゃんを問い詰めた。親父のいつものもの言いで、おばちゃんは機嫌をそこねる。
「何ぬかしてんだ、くそジジイ。あたしが直に見たわけじゃなし。そういうことを言ってる人がいるって、わざわざ親切に教えにきてやってんじゃないか。そんな態度だから、英子ちゃん、見限って出ていくんだよ」
「なにお、ババア、英子の悪口言うと許さんぞ」
「誰が英子ちゃんの悪口言ったよ。ジジイ、お前の悪口だ」
 はいはい、始まりました。いつものことです。俺は二人にお茶と羊羹を出して、早々に引っ込んだ。
「売ってたってことは、あれか、売り子か」
「土産物屋の店員よ。勝男くーん。この羊羹、美味しいよおー。ご馳走様!」
「そうですか。ありがとう御座います」
 声かけられたので、顔だけ出して愛想笑いすると、
「勝男くんにも関係あるんだから、こっちで聞きなさい」
と、おばちゃんにつかまる。
「いや、俺は別に」と逃げても、
「勝男! お前、盗み聞きしてたのか。たち悪イな。こっち来て座れ」と、父ちゃんに絡まれ、観念する。
「あんな馬鹿でかい声で話されちゃ、工場こうばまで、まる聞こえだよ」
言いながら、座卓につく。
「売り子か。英子は、そんなことまでさせられてんのか」
「別に普通の仕事じゃん。なにが悪いの。いくらいいもの作ったって売る人がいないと儲かんないの。わかってねえんだから」
 親父の前の羊羹をつまんで食べる。どうせ親父は食べやしねえし。
「お父ちゃんにしたら、自慢の娘だったのよ。大学出て信用金庫に勤めて、英子ちゃん、可愛かったのよ。それがねえ」
「聞いたふうな口たたくなよ」
「まさか、駆け落ちとはねえ。なんで結婚に反対なんかするのよ」
 親父は反撃しない。こたえているらしい。
「迎えにいってやったら」
「いや、行かねえ」
「こういうのは、どっちかが折れるしかないんだから。死んだ珠代さんも、生きてたら、行ってやんなって言ったと思うよ」
「いや、行かねえ」
「強情っぱりのジジイだねえ」
「そうだ。勝男、お前が行け」
「へっ? 俺が。なんで?」
「なんでもだ。お前が行け」

「そういうわけ」
聞いていた姉ちゃんは、相変わらずだバカ親父、とあははと笑う。
 今日、教えられた店に行った。土産物屋のカウンターにいた姉ちゃんは苦もなく見つかった。姉ちゃんなりに考えて、羊羹屋と似た職種を選んだんだろう。この段階で見つけられて、本当によかった。働いてるのが本当に土産物屋だけであるのなら。
 今、近くの食堂にいる。1時過ぎてて、昼飯がまだだと言ったら、連れて行かれた。
「まだあんたの羊羹食べないの」
「まだまだだって」
「まだまだって、お店じゃ出して、売ってんでしょ」
「うん」
「客には勝男の羊羹買わしといて、なにがまだまだだ。いかれてんじゃねぇの」
「飲み込んだ後の、甘さの余韻ができてないって」
「何が余韻だよ。ヤカンみたいな顔しやがって。田舎の羊羹屋ふぜいがよく言うよ」
「姉ちゃん。それ職業差別。俺、後継ぎだし」
「ああ、悪イ。カツ丼食え。冷めるぞ」
「あ、はいはい」
 姉ちゃんはまだ俺を中学生くらいと思ってる。カツ丼食わしときゃいいぐらいに思ってるに違いない。
「うまいか」
「うまいよ」
「そうかそうか。お前、ほんとにカツ丼が好きだなあ」
姉ちゃんはご満悦。ニコニコして俺を見る。

「いいってさ」
「何が」
「だから結婚していいってさ」
「当たり前だ。結婚するのに、いまどき何で親の許可がいる」
箸を止める。だから、そういう話にしとけって。
「なに、親父に反対されて飛び出したんじゃないの」
「いやあ、誤解きついわ」
「兼田さんは?」
「心配せんでも、ちゃんと仕事してるわよ」
「ああ、ケーキ屋?」
「パテシエ」
「ああ、パテシエ」
「そう。あんたが来たってメールしたら、会いたいってさ。もうすぐ来るよ」
来るんだ。
「そう。どこで働いてんの」
「ホテル。この先の」
「この先って、駅前の?」
「国際ホテル」
たまげた。大きく出た。
「もしかして、そこでケーキ作ってんの」
「パテ」
「パテシエしてんの?」
「そうよ。チーフよ。責任者」
「へえ、すげえな」
「だから、田舎の羊羹屋が、何言ってるって話よ」
「職業差別」
「ああ、すまん」
ところへ、驚いたことに、兼田さんがやってきた。すぐに職場に戻れるようにか、コック服の上にジャンバーを羽織っている。
「おばちゃん、ごめん。すぐ戻るんで」
「いいよいいよー。お茶だけでも飲んでって。いつもケーキもらってるから」
 食堂のおばちゃんとは顔見知りらしい。誰の懐にも飛び込める独特の人なっつこさが兼田さんにはある。
「こんなおばあちゃんのカツ丼なんて食わさんと、ホテルでご馳走様してあげればええのに」
 お茶を出しながら、おばちゃんが言う。
「ええのええの。この子は、カツ丼が一番好きやから」
姉ちゃんが決めつけ気味に言った。

「なに言うとんねん、て話だな。私が働いてんのは、家にいても暇だからやし。接客業が好きだからよ」
「銀行員も接客業だろ」
「そうだけど、詰まるとこ金貸しだろ。気色わるいわ」
「偏見、すげえな。じゃ、パテシエは?」
「パテシエは違う。夢がある。芸術家よ」
「惚れて目が眩んどる」
 俺たちのやり取りを聞いていた兼田さんが話に入ってくる。
「お父さん、さぞかしお怒りでしょう。男として、申し訳なかった」
「なんで、あなたが謝んのよ。私の勝手でしたことやし」
「何度も連絡しようと思ったんですが」
「私が止めたの。居所わかったら刺しにくるって。それに、あん時は献立にずいぶん悩んどったしな」
「メニューな。デザートに新味が欲しいって支配人に言われて。なかなか思いつかなくて」
「で、その新作とやらはできたんですか」
「ああ。親父さんのおかげで」
「親父の?」
「洋菓子に和のテイストを混ぜようと思いましてね。それがなかなか難しくて。和菓子って主張が強いんですよ」
「あんこに生クリームじゃぶつかるものね」
姉ちゃんが合いの手を入れる。
「牛皮とか使う手もあったんですけど、メインとなる和菓子でなにかやりたかったんです」
兼田さんの口から出てくる言葉の死骸を心の中で捨てていく。
「それで色々探してたら、ある時、お父さんの羊羹持ってきてくれた人がいて。なんでも、実家がそちらの方にあって、帰れば必ず買うそうなんです。たまには和物もいいでしょうって貰って。で、食べて正解がわかりましたよ。ああ、羊羹だったんだって。羊羹使えばいいって」
「あんなもん一本食ったら胸焼けするわ」
それが家業なのに、口の悪い姉ちゃんよ。俺の仕事だぞ。
「親父さんのは上品に甘い。くどくなくて素晴らしい」
「ありがとう御座います」
 言いながら、全身泡立つようだった。ここにいるのが親父でなくてよかった。心底、そう思った。
「で、その人に聞いたら、羊羹の種類が何本かあるとか」
「それで、わざわざうちに。まあ、今時珍しいけど、うちは通販してないから」
「そう。そこにも惹かれて、ぜひ食べてみたいって思って。休暇もらって、お邪魔したんです。
「ホテルの方はは大丈夫なんですか」
「えっ。ええ。定番メニューだから。料理長もいるし。そう、僕は自分の研究に勤しめたんです」
「・・・」
「そこで、私と出会うわけなん。運命って恐ろしいわあ。ねえ」
「勿論、新しいスイーツがすぐにできたわけじゃありません。試行錯誤で、一年くらいかかったかな。行き詰まる度に、そちらへ行って、街並みを散策して、それで羊羹買って」
「で、流石にこのイケメンに私も気がついた」
「姉ちゃん、信金に行ってたろ」
「土日まではいかねえよ。休みで暇な時は、店出て手伝ったろ。したら、時々、開店前から並んでる男の人がおってな。朝っぱらから暇で羊羹買いに来てる婆さんと喋ってるのよ。楽しそうにな。いい男だろ。気になってさ」
姉ちゃんのろけ話。兼田さんはいたたまれなくなって、という体で、話の途中で仕事に戻った。

「こちらの羊羹、美味しいですね」
「羊羹、お好きなんですね」
レジで、品物包みながら答えた。
「ご家族の方も、お好きなんですか」
「えっ。どうしてですか」
「だって、沢山お買いになるから。それとも会社のお土産に?」
 おまちどうさま、と言って袋詰めした羊羹を渡す。受け取りながら、兼田さんが言う。
「ひとり暮らしです。お土産でもないんです。実は僕、洋菓子作ってて、こちらの羊羹がそれに使えないか研究してるんです」
「うちの羊羹で洋菓子ですか? こんな田舎の羊羹で?」
「はは。お口が悪い。ここでお作りなんですよね」
「はい、裏の工場で」
「ここの羊羹は本当に美味しい。失礼ですが、こんな田舎で、羊羹一本でやってるなんて。美味しくなきゃ続きませんよ。このお店、長いんですか」
「私は従業員じゃないんです。ここの娘でーー」
「娘さんですか。看板娘ですね。お嬢さん目当てのお客さんも多いんじゃないですか」
「お上手ですね。でも、私が店に出るのは土日だけなんです」
「お勤めですか」
「ええ、近くの信金に」
「ほう。銀行。ですか」
「ええ」
「じゃ、また土日にきますね」
「はい」
「ああ、それから、このお店、創業何年か、次に来た時、教えてください」
「はあ、じゃ、父に訊いてみます。そんなこと、本当に興味あるんですか」
「ありますとも。しかし、立派なお店だ」
「古いだけですよ」
「いえいえ、なかなかご繁盛のようですね。お嬢さん。じゃ、また来ます」
 それが始まり。それから、一年の間に二人の関係は深まった。

 兼田さんがいなくなって、腹をくくる。まあ、親父は来れんよな。泣いちまうかも知れんから。
「姉ちゃん。親父、怒ってないし、いっぺん詫びに帰ろう」
「だから、さっき言っ」
「待ってんだって」
姉ちゃんの目線が俺から切れる。机の端の古びたお品書きを見つめる。
「帰ろう」
「……どの面さげてさ」
「籍、入れてないよね」
「……うん」
「式もあげてない」
「……うん」
「みんなまだじゃん」
「お金もったいないからね」
「貯金、あるのかよ」
「なによ。藪から棒に。あるわよ」
「ほんとかよ」
「……あるよ」
「とにかく、いっぺん帰ってよ。親父、待ってるから」
「いや、行けない。あんな親父んとこ」
「姉ちゃん。もう、よくないか」
「・・・」
「国際ホテルでさ、姉ちゃんは兼田さんのスイーツ、食べたことあるのか」
「連れてってもらった。美味しかったわ」
「客としてだろ。兼田さんが作ってるとこ、見たのかよ」
「・・・」
「俺とか親父とかが、羊羹作ってるとこみたいに、その創作ケーキ、兼田さんが作ってるとこ見て、それで食ったのか」
「・・・」
「もう、よくねえか。金、ねえんだろ」
「・・・」
「兼田さんにやったんだろ」
「・・・」
「信金、辞めた理由、聞いたよ。金、盗もうとしたって。支店長さんが来て、親父に言ってた。幸い未遂だったし、古い付き合いだから、事件化はしないけど、姉ちゃんには辞めてもらう。店との取り引きもこれで終わりにするって。親父、ずっと頭下げてた」
「……そう」
「兼田さん、どこまで知ってんの」
「あの人は、なにも知らない」
「そんなん誰が信じるよ」
「私が勝手にやったんだ」
「兼田さん。なんで金がいるって?」
「自分のお店を持ちたいって。ふたりでやろうって」
「信じちまったのかよ」
「土地も見せられた。立地もいい。ここなら、ホテルのお客様にだって来てもらえる。なんて言われて。期限、迫ってるって。あと200万。200万ぽっちあれば、買えるって。こんないい場所、今しかないって」
「なんで、親父に相談しねえんだよ」
「親父に迷惑かけたくなかったんだよ」
「借金がバレるからだろ。うちに催促の電話ジャンジャンきてたぜ」
「・・・」
「安心しなよ。親父が全部清算したから」
「・・・」
「自分の貯金溶かして、こんだけ借金しといて、そのうえ銀行の金。兼田さんには、なんて言ってるんだ」
「もうすぐ、知り合いから借りられるって」
「あてもないのにか」
「・・・お金あるうちなら、いてくれっから」
「そこまで、わかってたのに」
「それまでは一緒にいられっからさ」

 一緒に二人の住むアパートに行った。兼田さんの荷物は既になかった。姉ちゃんは無言で自分の荷物を片付けはじめ、俺はそれを手伝った。

            了

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