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自分の信念(ミッション)を見つけ、貫く

人を救う、助けるなんていうのは、傲慢で自己満なのかもしれないと思った。

私が職場で仲良くしている人たちが次々と倒れていっている。
先輩から始まり、他でもない自分、そして最近、後輩がメンタルを崩し、休職に入ろうとしている。

私は、最近発症したうつ病だけでなく、大学院時代にも適応障害を発症しているようなメンタル崩壊慣れしている人間である。
慣れているからこそ、メンタルの崩壊は、大小あれども、いずれにしても相当しんどく、戻るにもかなり力がいるものであると理解している。
だから、私は同じ職場で働く人が、自分と同じ目にはあって欲しくないと心から願っている。
もしメンタルを崩しそうな人がいれば、私が声をかけて救ってあげよう(雨ニモマケズ風ニモマケズのような)と常に意識してきた。

でも、最近、話を聞くだけではきっと根本的には解決しないんだろうなと思い、自分が助けるなんていうのはおこがましいのかもしれないと思い始めてきた。

うつ病になったからこそ、伝えられる言葉がある

話を聞くとか、そういう個人単位での活動では、人を助けるにはおそらく限界があるのだと思う。
私は話を聞いてくれるだけでもありがたかったが、話を聞くだけでは「じゃあ結局お前は何してくれんの?」という感情になる人もいるんだろう。
それに、話を聞いたところで心のマッサージにしかならず、根本的な解決ができていないのだから、状況が変わらないのはまだしも、むしろ悪化してしまうことだってある。
私の後輩にも、もっと何かできることがあっただろうかと今も考えることがある。

じゃあ、もし私が休職していなかったら何かできたんだろうか。

元気で普通に仕事できていたら?
後輩を守るために何か行動ができていたのか?

おそらく、答えは「否」だ。

うつ病にならなかったら経験できなかったことがたくさんある。
うつ病にならなかったら出会えなかった人たちがいる。
うつ病にならなかったら経験できなかった感情が渦巻いている。

うつ病になったから今だからこそ、言葉だけではない部分も含め、伝えられることが間違いなくある。

本当の意味で、人を助けるということはどういうことなんだろう。
薄い言葉で励ますことなんだろうか。信念もなく、義務感だけで動くことなんだろうか。

違うと思う。
そんな薄っぺらい偽善をやったところで、きっと後輩を助けることはできなかっただろう。

やらない善よりやる偽善、とよく言われる。
以前の私であれば、この言葉は正しいと思っていたが、今は明確に違うと言える。
信念のない行動ほどお互いが虚しくなるものはない。
なぜならば、信念、ミッションのない行動は、最後までやり遂げられることがほとんどないからだ。
信念やミッションがあるからこそ人は立ち上がり、本気の行動に移せるのではないだろうか。

ちなみに、私は「本気」という言葉は好きではない。
それでもきっと、ミッションを達成するために起こす行動は、「本気」という言葉に他ならないんだろう。

ミッションに基づいて、組織を変革する

うつ病になって約1年。休職はまだ続くが、寛解が近づいている気がするからこそ、ようやくそう思うことができてきた。
だからこそ、復職後の働き方は、これまでと全く異なるものになると思う。

この休職期間で見つけた自分のミッションを達成するために。
信念からブレずに、本当の意味で多くの人を助けるために。

どんな障害があろうと、私は「お互いを信頼し合える生産性の高い組織」を作ろうと思う。
それが、元の職場に戻る私のミッションである。

後輩が会社に戻る頃には、働きやすくて楽しいと思える環境を作っていたいと思う。

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