承認がもつ”猛毒”
こんにちは。
大雨から始まった長雨がいまだに続き、コロナ再拡大の懸念がされていますね。
一日も早い世界の安寧を、心から祈るばかりです。
今回は、「承認欲求」について考えてみたいと思います。
コロナ拡大により、最近は特に「孤独」を感じる場面が増えてきている方も多いのではないでしょうか。
リモートワークが代表的な例ですが、多くの人はそれ以外の生活の中でも多々、孤独を感じていると思います。
そんなとき、私たちは普通、他者とのつながりを求めますね。
これは極めて自然な感覚だと思います。
ところが、それに似た感覚で、「承認欲求」というのが存在します。
これは、「つながり求める」という感覚とは似て非なるもの、というか、本質的に異なるものです。
承認欲求とは何でしょうか。
簡単に言えば、「みんなに私のことを認めてほしい」という本能です。
当たり前のように私たちが持っている感覚ですが、じつはこれがかなり厄介なのです。
人は誰しも、多少この欲求が備わっていることはよく理解されているのですが、近年、特にSNS界隈で、行き過ぎた人たちが目立っています。
承認欲求は例えるなら、一人一人が異なる容量のコップを持っているように、人によって承認を求める強さが違います。
そしてSNSを見れば、けっこうな割合でこうした人たちがあふれているのがわかります。
毎日のように自分の顔をupしていたり、
過去に「いいね」の多かった写真を何度もupしたり、
「映え」を狙って奇抜な言動の動画をupしたり...
じつのところ、私はこういったタイプの人たちが苦手でして、あまり近づかないように気を付けています。
なぜなら、この行き過ぎた承認を求める人たちは、どこまで行っても満たされることがないため、
常に「もっと、もっと」と、自分を認めてほしいと求めてくるからです。
しかも、このタイプの人たちの特徴として、
自分の弱みと向き合えなかったり、
自分にコンプレックスがあったり、
ということが多く、
その結果、自分以上の自分を演出してしまうことが多いようです。
自分のことが好きになれない、という本質的な課題を抱えていながら、それに気づきません。
また、こうした人たちは、自分の闇が深い分、外に向かって強烈な光を放つ傾向にあり、その光に多くの人が引き寄せられます。
しかし、どれだけ人が集まってきて自分を褒めてくれようが、いっこうに満たされる気配がないのは不思議です。
私は心理学の専門家ではありません。
しかし、仕事を通した多くの実地経験を通して、こう思うにいたりました。それは、
「自分の器を自分で満たすことができない」ために、他人に満たしてもらおうとしているのではないか、と。
そして、いっこうに満ちることがない承認欲求にいつか気づくことになり、
そのとたん、舞台から去るように、SNSから姿を消してしまったり、引きこもりになってしまったり、病気になってしまったりと、
極端な闇に引き戻されていくのではないでしょうか。
承認欲求の強すぎる人たちの分析はここまでとして、
ここからは、そんな人たちが本当に気を付けなければならないことを挙げていきます。
一見カリスマがあるように見える、こうした強すぎる承認欲求をもつ人たちは、
どんなに内容のないことや、つまならない呟きを吐いても、「すごいですね」「かわいいですね」と言ってもらえます。
しかし、よくよく気を付けなければなりません。
「すごいですね」「素敵ですね」というのは、どんな人でも言えるということです。
ここに、承認という行為の”毒”が潜んでいます。
「かわいいね。素敵だね。そう言っておけば、その場は喜んでくれる」
そのことがわかってしまえば、
この「承認する」ということを、いくらでも悪用する人たちもまた存在する、ということです。
これは、例えばホストクラブやキャバクラに通いつめてしまう人たちの心理状態に、近いのではないでしょうか。
「あそこに行けば...お金さえたくさん使えば...褒めてもらえる」
その一瞬の承認欲求の充足のために、いったいどれほどの時間とお金を使うのでしょう。
つまり、行き過ぎた承認欲求を持つ人たちが陥るワナは、
「手っ取り早く褒めておけば、コントロールできる」と、人に思わせてしまう、ということです。
恐ろしいことです。
これは、「軽く扱われる人」に、みずからなってしまうということなのです。
そして、承認を悪用する人は、どんどん周りに増えてくるでしょう。
では、結論をそろそろ。
”自分の器は、自分で満たしましょう”
けっして人に満たしてもらおうとしないことです。
外に求め続けるかぎり、どれだけお金があってもキリがありませんし、いつかどこかで消耗しきってしまいます。
承認に含まれる猛毒は、麻薬のような常習性を備えています。一度ハマったら抜け出すのが大変です。
自分のことは好きでも嫌いでも、どっちでも良いのです。
実際のところ、私も自分のことにあまり興味も関心もありません。
しかし、行き過ぎた好き嫌いにはならないことが肝要です。
繰り返しますが、自分の闇と向き合うことから逃げてはいけません。
その穴を、他人からの「承認」で満たすようになってしまうからです。
この時期、自分と向き合ってきた人たちは、たくさんいるのではないでしょうか。
時代が求めているのは、ある意味こうした「強さ」を持つ人たちなのではないかと、最近思います。
強くなりましょう。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)
この世でもっとも幸福な人は、
わずかなもので満足できる人である。
なぜなら、
欲しいものが多ければ多いほど、
満足するには、
限りない財宝の山が
必要になるからである。
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