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チーム作りのための「問い」の立て方

こんにちは。
秋も深まり、2022年も気づけば残り1か月ちょっとになりました。
後悔のないよう、今年を走り切りたいと思っています。

今回のテーマは、良いチーム作りのためのヒントになればと。
リーダーがもつべき、「問いの力」について掘り下げていきます。

問いはすべての始まり

「このチームは何のために存在していますか?」
できれば、チームを率いる立場であれば、1秒以内にスラスラと答えが出てきてほしい問いです。

ところが現実は、この問いに答えられる人が、驚くほど少ないのです。
代わりに出てくるのは、例えば
「売り上げを上げるためです」
「会社の目標を達成するためです」といったもの…

もしリーダーが本当にそう思っているなら、メンバーはそれを聞いてどう思うでしょうか?
「売り上げが目的なら、私の代わりなんていくらでもいるな」
「目標を達成したら、その先はどうするの?また数字なの?」
と、私なら思います。
要するに、「つまらない」と私なら思います。

例えば本部から降りてくる目標を、現場にそのまま伝え、「それをやるために、私たちは存在しているのだ」なんて人がもし私の上司なら、「この人、大丈夫?」と思ってしまいます。
会社の目標を伝えて「やれ」というだけなら、その人は別に要らない、という話です。

リーダーシップと組織風土

コーン・フェリーによれば、リーダーシップは6つの型で定義されており、組織風土の醸成に最も効果的なリーダシップスタイルは、
影響が大きい順に
「ビジョン型」、「民主型」、「関係重視型」、「育成型」であり、
一方で「指示命令型」、「率先型」は、マイナスの影響を及ぼしやすい、とのことがわかります。

コーン・フェリー「個別のリーダーシップスタイルと組織風土との偏相関係数」より
https://www.kornferry.com/content/dam/kornferry/docs/article-migration/Leadeship_Research_Paper_2018_JA.pdf

ちなみに日本型のリーダーは、「指示命令型」と「率先垂範型」が多いのが特徴です…

さきほどの問い「このチームは何のために存在していますか?」の明確な答えを持っているリーダーは、「ビジョン型」のリーダーです。

会社の目標ありきなのは当然なのですが、
そこで思考がストップしてしまうチームというのは、きっと、
リーダーがなんでもかんでも指示をして、
動かなければ恫喝するか、自分が代わりにすべてやる。

という、姿を思い浮かべてしまいます。

そうやっている限り、チームは今以上に成長しません。
それどころか、そんなチームの将来性に絶望した若手はどんどん去っていくでしょう。

「問い」がもたらすチームの姿

ビジョン型であり、民主型であり、関係重視型であり、育成型であるリーダーに共通して言えるのは、

「なんのために?」という問いを現場にできるし、
みずからも、その答えを考え、伝える力を持っています。

例えば、
「このプロジェクトは、そもそも誰を幸せにするためにあるのか?」
「私たちチームは、だれの困りごとを解決するために存在するのか?」
「私たちはそもそも、この仕事を通じて社会にどんなインパクトをもたらそうとしているのか?」

という問いについて、
自問自答、あるいは、チームでディスカッションができているチームは、そもそも仕事を「ジブン事」として、とらえることができています。
自分で仕事の価値を確認し、やり方を工夫し、ときには議論し合って良いもののを生み出す、という姿です。

考えたくなる「問い」の立て方

私は現在、ビジネスコーチを育てるための、「上級者向け」スクールを運営していますが、そこで共有している一つは、「問いの立て方」です。

それは、

①短くシンプルに問う
②遊び心をくすぐる
③とっかかりを与える
④率直に投げかける
⑤答えを尊重する

思わず考えたくなる。思わず議論したくなる。
そんな問いは、もはやリーダーにとっては、必須のスキルです。

ひとつひとつについての詳細は、どこかでまた解説するとして…

「指示命令型」や「率先垂範型」では、プラスどころか、むしろ組織風土にとってマイナスであるという現実。
これをまずは、受け入れる必要がありますね。

そして、
自分が何もかも考え、指示し、代わりに動く。
のではなく、
皆で考え、納得し、一人ひとりが自分から動く。

こんな状態にチームを作っていきましょう。

そのためには、工夫された「問い」をリーダー自身が考え抜くのです。

未来を創るには、「問い」ありきなのです。


今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。
季節の変わり目、くれぐれもご自愛ください。

<今週の箴言>
ほんとうの雄弁は、必要な事は全部しゃべらず、
必要以外は一切しゃべらぬということである。

ラ・ロシュフコー


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